7 「瑞希」
翌朝、会社に早くに着いた。 朝、すごい早くに目が覚めて、少し頭が痛かったけど、会社に早々と着いてしまった。そして、今か今かと瑞希が来るのを待った。
ドキドキしてた。俺の片思いでもなく、従兄弟の彼女とか、単なる同僚とか、そんなのじゃなくって、もう瑞希とは恋人同士になるんだ。なるんだ…。だよね?
もう、瑞希は俺のことどう思っているんだろうって、悩んだり、瑞希の言葉で一喜一憂しないでもいいんだよね?俺…。堂々と胸張って、俺は彼氏ですって思っててもいいんだよね?俺…。
っていうか、それでもやっぱり会社じゃ、内緒にしとかないと駄目なんだろうけど…。だけど、二人の間じゃもう、恋人なんだよね?ね?
あ!来た!瑞希は、今日は、紺のブラウスを着ている。それに、白のパンツ。なんか、大人な感じだ。
瑞希は、会社には大人な感じの服を着てくる。でも、休みの日にはカジュアルだった。ジーンズ姿の瑞希も、大人な感じの瑞希も、どっちも好きだな、俺。
瑞希は、あんまり化粧を濃くしてこない。そういうところも、好きだな。ネックレスとかも、小さめのをしてて、ピアスもしてるけど、髪から時々きらって覗く程度。
俺は、どっちかっていうと、化粧が濃かったり、ネックレスとかじゃらじゃらつけてたり、長いピアスをしてたりする女性って苦手。本当はすっぴんでもいいくらい。香水の匂いじゃなく、時々、ふわって匂うシャンプーや、石鹸の匂いがいい。
爪も、最近みんな、いろんな色にしたり、きらきらさせたりしてるけど、基本綺麗に切ってあるほうが好きだ。瑞希は、あまりのばさないで、綺麗なピンクの薄い色のマニキュアをしてる。
パソコンを打ってるときの瑞希は、りんとしてる。電話の応対も、しっかりとしてる。でも、なんていうか、穏やかな優しい印象を与える話し方だ。
俺といる時には、けっこう楽しそうに声をあげて笑ったり、いろいろな表情を見せてくれるけど、他の社員とは、意外と話さないほうで、話しても聞き手にいつもまわってる。
そういえば、人見知りをするって前に言ってたっけ。あれは、本当みたいだった。でも、俺の前では明るかったり、すねてみたり、小悪魔みたいになってみたり、いろんな瑞希を見せてくれてるから、それだけでも、俺は嬉しかった。
瑞希が席に着く前に、急いで瑞希にメールを打った。瑞希は、パソコンを開き、そのメールを読む。
>おはよう。瑞希。昨日のことは、覚えてる?
わざと、呼び捨てにした。反応がすごく気になった。どきどき…。
>おはよう。昨日のことって、なんだっけ?
ああ、またこうやって、じらす…。まだ俺、振り回されてるじゃん…。
>それ、冗談ですよね。
って、メールをしたら、少し間を空けて、
「ちょっと、びびった?」
って、瑞希は聞いてきた。ほら、そういうことを言うときの瑞希の目、いたずらっぽくて、小悪魔の目になる。
「ちょっとどころか…」
実は、けっこうびびったけど…。でも…。
>覚えてないって言っても、俺こくりますから、何度でも。
もう、今までの俺とは、違うぞ、どうだ!ってメールを送った。だけど、心の奥じゃどきどきだけど。どう返事が返ってくるか…。
>仕事しなさい。
なんで~~~。瑞希は、こうやって、時々、お姉さんぶるんだ。
「へ~~い」
ま、そういうところも、好きなんだけどさ。
午後、やけに気分が悪くなった。やべえ、吐きそうだ。トイレに行って、吐いちゃって、応接コーナーで少し休むことにした。
ああ、去年の秋にもあったな、同じパターンだよ。これ…。
ぐったりしてると、社長が、そばにやってきて、帰っていいぞと言ってくれた。それも、瑞希に、タクシーで送ってもらえと、タクシーチケットまで、くれた。
あ、ありがたいけど、瑞希にも迷惑かけちゃう。だけど、瑞希は、さっさと帰り支度をして、俺の鞄まで持って、付き添ってくれた。
エレベーターを待ってる間、瑞希の顔を見る。なんか、驚くほど、しっかりとした顔つきの瑞希がいる。こんな表情もするんだ。
タクシーに乗り込んで、どうにか行き先を告げる。瑞希がよっかかってもいいと言うので、甘えさせてもらった。まじで、辛かった。余裕なんてなかったし…。
瑞希は、ずっと黙ってた。車が揺れるたびに俺に気を使い、力を入れて、揺れないようにしてるのがわかった。瑞希の優しさと、力強さを両方感じた。
タクシーにそのまま、乗って帰るかと思ったら、瑞希は家にまで着いてきてくれた。申し訳ない、って気持ちと同時に、瑞希がいてくれて、安心する自分がいる。
俺、相当瑞希に甘えてるんじゃないのかな…。瑞希の優しさに。
どうにか、2階まで、自力であがった。上着とベルトをはずして、横になった。ああ、ほっとする。
「ズボン、しわにならない?」
「うん、脱ぐ」
そう言って、もさもさ脱ぎだした。あ、パンツ瑞希に見られちゃうって思ったけど、もう、どうでもいいかってなってた。本当は、
「脱がして」
と言いたいところだったけど、それはさすがに、甘えすぎだろう…。
そのまま、布団の中に潜り込んだ。
「は~~~~~~~」
長いため息が出た。ああ、だいぶ楽になった。
ふと、横を見ると、瑞希が俺の脱いだ上着とズボンを、椅子の背もたれにかけていた。
「なんか、奥さんみたい」
「お母さんみたいって、言われなくて、よかったわ」
瑞希は、そう言ってふふって笑った。
まじで、なんか奥さんみたいだって思った。言ってから、照れくさくなった。でも、瑞希が笑ってくれたから、なんか嬉しくなって俺はもっと甘えたくなった。
「そこにでかいクッションあるでしょ。それを持って、こっちに来て座って」
そう言うと、瑞希はクッションを持って、ベッドの直ぐ横に座った。それから、俺が、
「手」
と言うと、俺の手の上に手を乗せて、手をつないでくれた。
ああ、これじゃ、犬の「お手」みたいだって思って、なんか自分でおかしくなった。だけど、犬は瑞希じゃなくって、確実に俺のほうだよね。
瑞希の手は、あったかくって、柔らかくて小さかった。
「ちょっと、こうしてて」
「うん」
瑞希の手のぬくもりも、すぐ横にいる瑞希の俺を包んでくれる優しさも、俺を安心させてくれて、俺は、いつの間にか、そのまま眠っていた。
なんとなく、夢を見てた。いや、うすぼんやりと、途中までは意識があったのかもしれない。瑞希が俺の顔のすぐそばに顔をくっつけてきて、俺の顔をずっと見ていた。
視線をずっと、感じながらも、俺は目を閉じてて、瑞希のその優しい視線の中で心地良さを感じていた。
なんで、こんなに優しいのかな。あったかいのかな。ほっとするのかな。そんなことを感じながら、すぐ横にある瑞希の髪の毛が頬に触れるたび、ドキってしたり、瑞希の息が顔にかかるたびに、ドキってしていた。夢と現実の狭間のような、不思議な感覚…。
瑞希の匂いに包まれて、嬉しくて幸せな気分になると、さっきまでの気持ちの悪さも消えていった。
気がつくと、部屋は暗く、瑞希の姿はなかった。瑞希のいたあたりを、触ってみたが冷たかった。
「帰っちゃったんだ。なんだ…」
急に、迷子になった子供のように、一人で孤独になった。暗いままの部屋の中で、しばらく天井を見ていた。
ガチャ…。ドアが静かに開いた。おふくろ? 違う。暗い中に見えるシルエットは、瑞希だった。
「瑞希?」
「起きてたの?」
「うん、ちょっと前に」
瑞希がいる、そう思っただけで、こんなにも喜んでる。
また、瑞希がベッドの横に来て、クッションの上に座り、俺の手をにぎってくれた。不思議だな。不安も気持ち悪さも、いっぺんにふっとんでいく…。
暗さの中で、瑞希を見てた。もっと、瑞希の顔がちゃんと見たくて、電気をつけてもらった。瑞希の顔がはっきりと見えた。
瑞希の目、まつげ長い。瑞希が少し視線をはずす。瑞希の瞳、少し茶色がかってる。
おふくろが部屋に来て、ご飯ができたことを告げた。まだ、瑞希、家にいるんだ。俺も一緒に一階に行きたいけど、そこまでは回復してないかも…。
瑞希は、軽く俺に手を振り、おふくろについて下におりていった。
し~~ん。さっきまで、瑞希の声がしてた部屋が静まり返る。ポカリを持ってくると言ってた、おふくろがなかなか来なかった。多分、忘れてるんだ。
どうやら、誰かリビングに移動したらしい、リビングと階段がつながってるから、リビングで話し出すと、けっこう声が聞こえてくる。
「圭介なら家族サービスとか、よさそうじゃね?」
あ、順平だ。俺の話をしてんのか?
「げえ、まじで結婚させようって思ってたの?」
誰と、誰をだ?すげえ、気になる。
ベッドから立ち上がると、あ、もう大丈夫そうって感じだから、下におりていった。
「あら、圭介、もう大丈夫?」
おふくろが聞いてきた。
「うん、うるさくて、寝れないし」
「あら、2階まで聞こえてた?」
「圭介、信じられねえよ、この夫婦。圭介と柴田さんくっつけようともくろんでやがる。やばいから、ここらで一発言っとかないと…」
順平がなんか、嬉しそうに言ってくる。ああ、俺と、瑞希のこと…?
「ああ、なんか聞こえてた」
「圭介、冗談よ…」
おふくろが、申し訳なさそうに、言い訳をする。う~~ん、なんか、あまり元気なくて、話をしっかり聞く余裕もない…。
「ああ、圭介、柴田さんは正吾に送らせるから」
親父が、突然そんなことを言い出してきた。
え?兄貴に?
「……」
なんか気になって、兄貴のほうに行って、兄貴に聞いた。
「兄貴、彼女いたよね」
「ああ、うん」
「じゃ、大丈夫だよね」
「何が?」
「でも、彼女年上だっけ?」
兄貴、年上好みだっけ…。やばくない?
「何が言いたいんだよ、お前」
「瑞希のこと、駄目だよ。好きになっちゃ」
「はあ?お前、あほか、なんで俺が」
なんでって、わからないじゃんか。瑞希、可愛いし…。
「あ、すげえ、まじなんだ。圭介は、柴田さんのこと」
って、順平が俺の顔を覗き込んできた。ああ、ちょっと、うざいかも。
「おふくろ、ポカリは?」
「あ、ごめんなさい、忘れてた」
やっぱり…。
玄関に行った兄貴と、瑞希。どうも、気になる。
「兄貴、頼んだよ」
「ああ」
兄貴は、そうクールに言ってのけ、さっさと玄関をあとにした。瑞希は、俺に微笑んで、出て行った。
はあ…。俺が元気になってたら、送っていったのに。なんか、あの空間に兄貴と瑞希の二人だけでいるってだけで、嫉妬してる俺がいる。俺、こんなに嫉妬深かったっけ?
兄貴にとって、瑞希は…、いや、瑞希にとって、兄貴はどう映るんだろう?俺よか、年上で、しっかりしてて、大人でクールで…。
ベッドに入り込む。瑞希はいったい、俺のどこが好きなのか考え込む。12も下だ。子供っぽい。能天気で、そうだ。犬みたいって言ってた。
瑞希は、俺のどこに惚れてるんだろうか…。そんなことを考えているうちに、また、気持ちが悪くなってきた。
朝起きると、頭が割れそうに痛くて、熱を測った。37度。微熱だ。気持ちも悪くて、また吐いた。
「大丈夫なの?圭介」
おふくろが、心配そうにトイレで吐いてる俺のところに来て、声をかけた。
「うん。ちょっと、休めばなんとか…」
そう言って、自分の部屋に戻ると、親父が来て、
「今日は、病院に行ってこい。前に茂君がいた大学病院。つてがあるから、すぐにでも診てくれる」
って言ってきた。え~~?病院…?
「病院?面倒くさいよ。休んでたら治るって」
「一回、ちゃんと診てもらえ。なんでもなかったらそれでいいんだし。な?」
「う~ん…」
仕方ない。一回行けば、親父もあれこれ言ってこなくなるだろうし、行ってくるか…。
1時間も横になっていたら、なんとか動けるまで回復した。それから着替えて、病院に行った。
「げ、何この混みよう…」
しばらく様子をみてたけど、いっこうに、人が減らない。時計を見たら、9時半過ぎてた。
「あ、やべ」
病院の外に出て、携帯で瑞希に電話をした。
「もしもし」
「あ、瑞希?俺だけど」
「どうしたの?」
あ。俺、「俺だけど」って名前を言ってないじゃん。ってか、それだけで、俺ってわかっちゃうんだ、瑞希…、ってちょっと嬉しくなった。
「今、俺、病院にいるんだけど。なんかまだ、調子悪くて、親父が一回診てもらえって言うから、来てるんだ。すんごい混んでて、会社に着くの昼過ぎそうだから、社長にも言っておいてもらえる?」
「うん、わかった」
瑞希の声、なんか沈んでた。心配したのかな…。そりゃ、そうだよな…。
去年もあったっけ…。具合悪くなったの。彼女と別れて、すんごい仕事に打ち込んで、会社に泊まりこんで仕事して…で、ぶっ倒れた。あ~~あ。情けね…俺って。
「榎本さん、3番にお入りください」
やっと、呼ばれた。で、たったの5分で診察は終わった。2時間近く待ってたのに…。それも、胃カメラ?それ、おおごとじゃね?胃カメラなんて、すんの?俺…。
あ~~。へこむ。へこみながら、駅のうどん屋にはいり、うどんをすする。
会社に着くと、俺の席で、社長が俺の依頼された仕事をしていた。げ…。やば。この前瑞希に送ったメール、消してないよ!慌てて、社長のところに飛んでった。
「あ、社長、すみません!」
「いいよ。それより、どうだった?病院」
「はい、胃カメラの予約してきました」
「おお、そうか~~。なんだか、おおごとだな」
「そうなんすよね~~」
まじ、まさか、胃カメラで検査までになるとは、思ってなかったよ…。
社長とバトンタッチして、席に座る。
「社長、メールのところ、見てなかった?」
瑞希に聞いてみた。
「うん、多分ね」
「やべ~~、この前瑞希に送ったメール、見られたらどうしようかって思った。消しとこう」
「消さなかったの?」
「瑞希消したの?」
「うん、それより、呼び捨てになってるけど」
「あ、やば」
会社では、一応さんづけで、呼んでた。付き合ってることも、隠している。あ~~~。すんげえ、動揺してない?俺。って、胃カメラで、かなり、落ち込んでるんだ、これ…。
6時、社長が来て、
「今日は、圭介、帰ること!」
って、言ってきた。俺の体を心配してそう言ってくれたのが、嬉しいけど、だけど、なんか俺って情けないなって思う。社長が、俺の仕事、かわりにするんだよな…。
瑞希と一緒に、ビルを出た。
「なんか、気が重いな」
「え?」
「社長に申し訳ないっていうか、俺って使えないやつだよね」
って、なんで俺、瑞希にこんな情けないこと言ってんの?
「そんなことないよ。でも」
でも?
「でも…何?」
「お母さんも言ってたけど、もっと自分の体は大事にしなくちゃ。食べるものに気をつけたりとか」
「ああ、言ってた?俺もよく言われる」
なんだよ、おふくろのやつ、そんなこと瑞希に話してるのかよ。
「じゃあさ、コンビニのお弁当とか、カップラーメンとかじゃないご飯にしたら?」
「外食でも栄養は偏るよ。それに高いじゃん」
「お母さんのお弁当は?」
ええ?おふくろの?そこまで俺、ガキじゃないって…。
「う~~ん」
頭を掻きながら、何て言ったらいいもんかを、考えた。
「いいんだけどな~~、でもな~~。抵抗ある。だって誰も弁当持ってきてないし、それも親の作った弁当ってなんだか…」
中坊みたいじゃん。
「彼女とか、奥さんならいいの?」
え…?奥さんって、俺まだ、独身っていうか、彼女ってことになったら、瑞希でしょ?作るの…。
「そっか、それもありだよね」
瑞希が、作ってくれるって…ことかな?って期待していいの?俺…。
「そうだよな~~」
瑞希が、奥さんになったら、毎日瑞希の弁当…。瑞希が奥さんっていうのも、ありだよな~~。って俺は勝手な妄想をしていた。