19 残り3ヶ月
晴天の日、瑞希を連れて屋上に行った。
髪がごっそり抜けることがあり、おふくろに頼んで何個か帽子を買ってきてもらった。とりあえず、ベッドでそのまんま寝れそうなやつ…。その日もかぶってた。
青空の中、ぽっかりと白い雲が浮かび、気持ちのいい日だった。
屋上では、たくさんのシーツや、洗濯物が干してある中、杏ちゃんも洗濯物を干していた。
「あ、杏ちゃん」
「あ、こんにちは。いい天気だね」
俺と瑞希に向かって、にこって微笑んだ。
杏ちゃんは俺が帽子をかぶっているのを見て、
「兄がかぶっているのは、私のお手製なの。夏用のニットで編んだもので、よかったら圭介君にも作ろうか?」
と、聞いてきた。
「へええ、すげえ、そんなことできるんだ」
「じゃ、今度来るときまでに作ってくるね」
…え?
杏ちゃんは、そう言って、屋上を去っていった。
「圭介…」
瑞希が、ちょっと怖そうな顔で言った。
「あれ?俺作ってって頼んだっけ?」
っていうか、なんでいきなり帽子の話?俺のかぶってるのが変だった…とか?
「杏ちゃんって気が利くし、可愛いよね。あんな子お嫁さんにしたい」
「は?」
何言ってんの、瑞希…。
「って、男の人なら、思うかなって…」
「?」
何が言いたいんだか?
「ふうん、それ、女性から見たらじゃないの?」
「え?そうなの?」
俺がお嫁さんにしたいのなんて、瑞希だけだよ…。
「俺、年上好みだし」
あ~あ。なんで、二人きりになったのに、他の子の話してなきゃならないんだよ。
「ちょっと、どこ行くの?」
俺が、シーツとシーツの間に入っていくと、後ろから慌てて瑞希がついてきた。その瑞希の腕を掴んで引き寄せ、キスをした。
瑞希が、驚いてた。そんな、驚かなくてもさ…。
「病室じゃ、できないんだもん。カーテン閉めてても、隣の親父、聞き耳立ててそうじゃね?」
あきれたって顔で、瑞希が俺を見た。二人きりになりたいとか、そういうの思わないわけ?瑞希は…。
「今日は、気分よさそうだね」
「うん、なんもない日だから」
瑞希は、俺が明るいねって言う。
「瑞希といるからじゃない?」
「私と?」
俺が、瑞希が帰って一人になると、しくしく泣いてるって言うと、嘘だって言って笑った。
…嘘じゃないよ。まじ、泣いてる。このまま、死んでいくのかな。毎日瑞希と会ってるけど、でも、まるまる1日、べったりしていたい。ちょっとの時間でもおしい。ベッドで、こうやって一人でいるのは孤独すぎる。
毎晩、そう思う…。瑞希は?
「特にさ、夜中、ずっと、瑞希のこと考えてる」
「本当に?」
「瑞希以外のこと、考えてない」
「可愛い、杏ちゃんや、綺麗なナースさんのことも?」
「何それ?ええ?」
なんで、そんなどうでもいい人のこと、俺が考えるんだよ?
瑞希を見ると、上目遣いで、俺のことを見てた。ちょっと、疑ってるような、ちょっと、意地悪を言ってるような…。
「あ、そっか~~。瑞希、やきもち~~?あはは、可愛い」
「う、そうだよ。悪い?なんかみんなと仲いいし、圭介、もててるし」
へ?もてる?何を言っちゃってるんだか…。
「彼女いるのに?」
「私、どうやらお姉さんって思われてる…」
「俺、彼女だって、はじめに紹介したじゃん」
「でも、看護士さんに、圭介くんのお姉さんって言われる」
「お姉さんじゃなくて、恋人ですって言えばいいじゃん」
「……」
え?なんで無言?え?どうして、彼女ですって宣言しないの?
「俺、別に、瑞希以外の女性、興味ないよ」
はあ。ほんと。瑞希ともっともっと、もっと一緒にいたいって思ってんのに、なんで他の人のこと考えるんだよ。それに、他の人にもてたからって、嬉しくもなんともないや…。
「外出できないのかな。1泊くらい。そうしたら、瑞希とどっかシティホテルでも泊まるのにな」
「は?」
「そんで、1日瑞希とべったりくっついてる」
「……」
「でも、俺、もしかしたら」
「うん?」
「なんでもない」
瑞希、こんなこと言うと、引くかな…。
「何?」
「なんでもない」
「何?気になる」
「その日、狼になっちゃう」
「はあ?」
はあ?って。そんなにあきれなくても…。瑞希は、そういうの思わないのかな。
「なんてね」
瑞希を見て、おどけてみせた。冗談だってふりをした。
瑞希は、うつむいたまま、黙ってしまった。あ、俺やばいこと言ったのかな?
「あのね、圭介。私、最近思ってたことがあって…」
「ん?」
何?
「あのね。…圭介、驚くかもしれないんだけど…」
「うん…」
…何?
「圭介の、子供…、欲しいな」
「え?子供?」
瑞希、飛びすぎてるっていうか、子供って、俺死んじゃうのに?
「父親がいない子になるよ」
「……」
「それに、瑞希一人で、育てることになるよ。それに…」
「ん?」
「俺はその子に会えないよ」
「……」
瑞希を見ると、さみしそうに笑った。なんでいきなり、子供って…。っていうか、結婚だってしてないし、シングルマザーになったりしたら、瑞希大変な思いをするのに。
瑞希が、帰ってからも、俺はずっと考えた。瑞希、本気で言ってたのかなって。でも、子供を欲しいって言われても、この今の状況じゃ、どう考えても無理だ。
外出許可を取るとか、いや、いっそ病院出るとか…。
ああ!そうじゃん。そういう選択だってあるじゃん。ずっとこのまま、病院いて治療続けても、死に近づいていく一方だ。死ぬまでここにいることになるだけだ。だったら、いっそ、病院でて、瑞希と暮らしてもいいんじゃねえの?
いや、症状がどんどん悪化して、入院しなくちゃいけないようになったら、また、ここに戻ってくるかもしれないけど、でも、まだ生活ができる状態なら、瑞希と暮らすことだって、できないことじゃないじゃん。
俺は、そう思いついたら、いてもたってもいられなくなった。今すぐにでも抜け出して、瑞希に会いたくなった。1分1秒でもおしい。ずっと、瑞希のぬくもりを感じていたい。
翌朝、瑞希に電話した。
「瑞希、早めに今日来れない?おふくろより早めに…。相談があるんだ」
「うん、いいよ。すぐに支度して出るね」
「うん!」
瑞希はなんて言うかな?瑞希さえ、OKしてくれたら、親父やおふくろや、先生がなんて言ったって、強行突破する。
ただ、瑞希の答えが怖い。瑞希も俺と一緒で、俺とずっと一緒にいたいって思ってくれてたら…。
ベッドの上に座って、まだかまだかって、瑞希を待った。少しでも早くに伝えて、今日にでも退院したいくらいだ。
「瑞希!」
瑞希が病室に顔を出した瞬間、俺はベッドを飛び降り、瑞希を連れて、廊下の端にある休憩所に行った。
「あのさ、俺…」
「うん」
「退院しようかって思ってるんだ」
「え?」
「っていうか、もう治療受けるのやめようかって」
「辛くなったの?」
「違うよ。治療したって治らないし、延命って言ったって、どれだけ命が延びるかもわからないし。毎日瑞希は帰っちゃうし、だったら、瑞希と暮らした方が、瑞希と一緒にいられる時間が取れる」
「暮らす?」
「うん、本当は結婚もしたい。あ…」
って、未亡人になっちゃうか…。
「でも、籍は入れないほうがいいかなって思ってるけど…」
「籍、入れたい」
「え?」
「私、圭介の奥さんになりたいよ」
「でも、わかってるの?未亡人になるんだよ?」
「いいよ、別に」
いいって…。瑞希の顔は、真剣だった。俺は、びっくりしてた。一緒に暮らすことだって、瑞希がどう思うかわからなかったのに、瑞希は結婚することも、OKしてくれるんだ。
「うん、そうだな」
瑞希と暮らすなら、ちゃんと結婚して、籍も入れて、そっちの方が、自然だよな…。
「うちの親にも、瑞希の親にも、言わなくっちゃ」
「うん!」
瑞希は元気に、そう返事をした。
早速、瑞希は家に電話をした。俺も親父に電話をしておふくろと一緒に来てもらうよう、頼んだ。土曜だから、親父も瑞希のお父さんも、病院に来てくれるって言ってくれた。
もし、親がなんて言おうとも、関係ないって、硬く俺は決心していた。
親父たちが来て、みんな揃って、喫茶店に行き、俺がもう治療をやめて、病院を出て、瑞希と一緒に暮らすことと、そして結婚することを言った。
「圭介、それは、少し考え直した方が…」
親父は、戸惑いながらそう言った。でも、その横からおふくろが、
「いいわ、私は賛成。圭介のしたいようにするのが1番だと思うわ」
と、きっぱり言った。驚いた。1番、反対するだろうって思ってた。
「瑞希は?どうなの?」
ああ、瑞希のお母さんは、最初から俺との結婚、反対してたっけ。
「圭介と、結婚したい」
瑞希は、真剣に答えた。
「私も賛成よ。瑞希がそうしたいなら、反対はできないわ」
瑞希のお母さんも、そうきっぱりと言った。おふくろといい、瑞希のお母さんといい、俺は母親の強さというか、女性の強さを目の当たりにした気がした。
その逆で、親父たちは、おろおろしていた。だけど、瑞希のお母さんが、
「じゃ、早くにいろいろ決めないと、住まいとか、結婚式とか」
と言い出した。
「式は大変だろう」
瑞希のお父さんが、俺を気遣い、そう言った。
「せめて、ウエディングドレスは、着せたいわ」
「あ、俺も見たい」
思わず、瑞希のお母さんの言葉に、俺もそう言ってた。ずっと、瑞希のウエディングドレス姿を想像してた。それは、絶対に見たいって思った。
「じゃ、身内だけで、式をあげましょう。圭介が疲れない程度の、簡単な、ね?」
おふくろが、俺に向かってそう言った。
ここまで、話が進むとさすがの親父たちも、賛成せざるを得なくなり、みんなですぐにでも、担当医の竹内先生に話してこようってことになった。
「あ、そういえば、この前、検査したんだ。結果を今日当たり教えてくれるって、竹内先生言ってた」
俺が、親父にそう言うと、
「そうか、じゃ、それも一緒に聞いておこう」
と、その日の午後、親父とおふくろが、竹内先生にアポを取り、話をしにいった。
瑞希と、病室で親父たちが戻ってくるのを待った。
「瑞希、本当に良かったの?」
「…何が?」
「結婚…」
「結婚しようって、言ってたじゃない?私たち。それが叶うんだもん。嬉しいよ」
そう言うと、瑞希はふふって笑った。
「じゃ、まず退院したら、指輪見に行かなくちゃね」
「うん」
瑞希は、俺の顔を見て、すごく嬉しそうに微笑んだ。
おふくろが戻ってきて、
「OK出たわよ」
って、言った。でも、どっかよそよそしく、目が真っ赤だった。あ、検査の結果かな?
「ちょっと、瑞希さん、いい?」
親父は、瑞希を連れて、病室を出て行った。なんだろうか?
「おふくろ、検査の結果は?先生なんて言ってた?」
「……」
おふくろの表情が固まった。
「あとで、竹内先生が教えてくれると思うわ」
おふくろはそう言うと、病室を出て行った。
瑞希は、なかなか戻ってこなかった。俺はベッドの上で、ぽつんと孤独になり、まるで迷子の子供のように、瑞希が戻ってくるのをただ、ひたすら待った。
そこへ、看護士さんが来て、竹内先生から話があるから、来てくれと言われた。
外来の竹内先生の診察室に入る。3時から外来が始まるから、もう待合室はいっぱいの人だった。
「ああ、圭介君。ここに座って」
「はい」
「検査の結果なんだけどね…。あ、そうだ、さっき、お父さんがいらして…」
「はい、退院の許可ありがとうございます」
「うん…」
「で、先生、検査の結果は?」
「…転移しているのが、見つかった」
「転移?」
「うん…。お父さんとも話したんだけどね。もう治療をするのは、やめようって」
「…治療しても、どうしようもないってこと?」
「……。ちょうど、お父さんが治療をやめて、圭介君を家に連れて行きたいと言い出したから…。そんな話をこちらからもしようと思っていたんだよ」
「あと、もって、俺、どのくらいですか?」
「……。3ヶ月…」
「…?」
3ヶ月って、今、7月の終わりだから、8、9、10…。秋にはもう?
「いや、圭介君。これもわからない。もっと、長く生きられるかもしれないし…」
「もっと、短いかもしれない?」
「……」
先生は黙って、うなづいた。
「最後は、圭介君の思ったとおり、好きなようにさせてあげたいと、お父さんもおっしゃってた」
「…はい。わかりました」
「圭介君」
「はい」
「結婚するんだって?」
「はい…」
「そうか。おめでとう」
「……。はい…」
俺は診察室を出た。
3ヶ月…?たったの…?
そのまま、病室に戻る気にはなれず、誰も知ってる人がいなそうな階に行き、人気のないところのベンチに座った。
ぼ~~ってしていると、子供が走ってきた。入院している子供だろう。その後ろから、お母さんが待ってって言って、追いかけてきた。その光景をぼ~~って見ていた。
「子供…」
瑞希が、欲しがってたっけ…。でも、あと俺の命は3ヶ月…。
お母さんが、子供をやっとつかまえて、
「さあ、ひろ君。病室に戻ろうね」
と言うと、その子は嫌だとだだをこねた。
「薬、苦くて嫌だ。注射も痛いから嫌だ」
無理もない。まだ、小学校にあがるかあがらないかの、小さな子に、薬だの注射だのを毎日されたんじゃ、たまったもんじゃないだろう。俺だって逃げ出したくなるときがあるのに。
そのお母さんは、どうするのだろうと見ていると、いきなりその子をぎゅって抱きしめた。そして、
「ママはね、ひろ君が大好き。大好きだよ」
その子供は、お母さんの胸の中で大人しくなった。そして、そのままお母さんに手をひかれて、戻っていった。
「あ、なんかすげえ…」
お母さんの愛情だよな~~。なんて思いながら見ていた。子供をぎゅって抱きしめるお母さんの表情が、なんか俺のことを抱きしめるときの、瑞希にだぶって見えた。
瑞希は、俺が死んだらどうするのかな…。一人、孤独になっちゃうんじゃないか…。
また、他の親子が来た。今度は女の子と、お母さんだ。手をつないで、嬉しそうに歩いていた。
「お母さん、今日はずっといれるの?」
そんなことを、その子はお母さんに聞いていた。お母さんが、ずっといられるよと言うと、その女の子は、体中で嬉しさを表現した。スキップ交じりでお母さんと手をつないで、俺の前を通り過ぎていった。
その二人の後姿を見ながら、そのお母さんが瑞希にだぶって見えた。
もし、俺の子供がいたら、瑞希は寂しい思いはしないんだろうな。それとも、もし俺に似てたら、かえって、きついのかな…。
でも、時々聞こえてくる子供の声を聞いていると、俺は瑞希に、俺の子供を残していきたいって、そんなことを思うようになっていった。
その階の廊下をぐるりと歩いた。それから、エレベーターに乗って、自分の病室に戻って行った。
病室に戻ると、瑞希がおふくろと、俺のベッドの脇に立っていた。
「あ!圭介」
二人同時に、こっちを向いた。
「あ、竹内先生のところに行ってた」
そう言うと、二人して、少し顔が曇った。おふくろは、今日、家のことを何もしてこなかったからと言い、帰っていき、瑞希と二人きりになった。
「屋上行かない?瑞希」
「うん」
屋上に行くと、まだ、日が照り付けてて暑かった。
「瑞希…」
「うん?」
「ううん。なんでもない…」
子供、作ろうねって言いかけた。でも、たった3ヶ月で子供ができるかもわからなかったし、3ヶ月も生きられるかもわからなかったから、言うのをやめた。
もし言って期待させて、できなくって、がっかりさせるのも嫌だった。
「何?圭介…」
「俺、あと3ヶ月だって…。聞いた?」
「あ、うん。お父さんから…」
「そっか…」
やっぱり、聞いてたんだな。
「圭介…」
「ん?」
「圭介との時間、私大事にしていくよ」
「…ん。俺も」
「圭介と、一緒にいる。片時も離れない」
「うん…」
そう言って、瑞希は俺にキスをして、抱きしめてきた。俺も瑞希をぎゅって抱きしめた。
瑞希のぬくもりが、愛しくて愛しくて、涙が出た。ああ、こうやって最後の最後まで、俺は瑞希を抱きしめて過ごしたい。
次の週、俺は退院をした。これから、瑞希と二人の生活が始まるんだ。