15 マイナス思考の俺
瑞希を送ってから、家に帰った。もう、12時近かったけど、親父もおふくろも、リビングで待っていたようだ。
「どうだったの?瑞希さん…」
「……。うん…」
ぼりって頭を掻いた。あ、そうだ。俺の顔、泣き顔だった。見られたかな…。少し顔を下げて、見られないようにしながら、
「瑞希とは、別れるのやめた…」
と言った。親父は、ただうなづいた。でも、おふくろは、
「だけど、瑞希さんが、辛い思いをするんじゃないの?」
と言ってきた。
「母さん、二人で決めたらいいことなんだよ。口を出すのは、もうやめよう」
親父が、おふくろにそう言った。
翌日、瑞希は会社に来た。会社の人たちは、瑞希が病気で休んでいたと思っていて、口々に大丈夫?って聞いていた。
瑞希は、やっぱり少し痩せた。本当に食欲なかったんだろうな…。
俺の仕事はどんどん片付いていき、あとは、デスクの片づけをするくらいまでになっていた。
「これ。お弁当」
瑞希が、お弁当をくれた。
「今日のは、母の手作り」
「え?まじ?」
瑞希の家族、みんな俺の病気のことは知ってるんだろうな。
「お母さんさ、俺のこと怒ってない?」
「別に、何で?」
「いや、瑞希のお父さんかんかんだったし。お母さんもめちゃくちゃ怒ってないかなって」
「ああ、くす…」
「え?何?」
「お父さんね、演技だったんだ」
「は?」
演技って?
「怒ってないよ、この前も冷静だった」
「嘘だ、すごい剣幕だったんだよ。瑞希にも見せたかった」
「そうでもしないと、圭介が真相を話してくれないだろうって…」
「え?」
そっか…。そうだったんだ。あれ、演技だったんだ。わざと怒って見せて、俺がなんでいきなり結婚やめたかを、聞き出そうってしたんだ。
それも、娘のために…。
お弁当、美味しかった。なんか、瑞希の家族の瑞希への愛情が伝わってきた。
「美味しかった。お母さんにお礼言っておいて」
瑞希に、午後、そうっとお弁当箱を渡した。
6時過ぎ、瑞希と一緒に、瑞希の家に行こうって思って、俺の仕事が終わるのを待っててもらった。瑞希は、ちょこちょこっと、デスク回りの整頓をしながら、俺の横で、待っていた。
「木曜から新しい人来るって」
「そう…」
「どうする?瑞希、瑞希好みのすんげえイケメンだったら」
瑞希がキーボードをたたき出した。あ、メールで送ってくるんだな。
>私の好みは圭介だからな~~。
…そっか。照れるな。
>でも、すごいイケメンなんだよ。めちゃくちゃ、かっこいいやつだったら?
>圭介もすんごいイケメンだけど。自分で気づいてないの?めちゃくちゃ、かっこいいよ。
「え?まじ?」
「まじ」
瑞希が、こっちを向いて、即答した。
イケメンって、よくわかんないけど…。どういうのが、イケメンでとかって、さっぱり?でも、めちゃくちゃ、かっこいいは、どうよ?
「それ、あれだよ、恋は盲目ってやつ」
「なんじゃ、そりゃあ」
「あははは…」
ま、いっか。瑞希から見たら、俺はすげえイケメンで、すげえかっこいいやつってことで…。
30分位して、ようやく仕事も終え、瑞希と会社を出た。それから、一緒に瑞希の家に行った。
瑞希のお母さんが、ドアを開けてくれて、
「いらっしゃい、圭ちゃん」
と、とても、明るい笑顔で迎えてくれた。
クロもやっぱり飛んできた。ああ、クロにまた会えて俺も嬉しい!クロの首やらおなかをなでまわした。
瑞希の家では、お父さんも、あとから帰ってきた修二さんも、みんながあったかく迎えてくれ、楽しく食事ができた。
ああ、こんな和やかなムード久しぶりだ。家じゃいっつも、みんな葬式みたいに暗くなってる。
食後、リビングに移動した。この前のお父さんのが演技だったとは言え、やっぱりきちんと迷惑をかけたことは、謝らないとと思い、お父さんに謝ると、
「そんなに謝らなくていいよ、圭介君」
と、優しく言ってくれた。
瑞希がコーヒーを持ってきてから、
「圭介、時間まだある?」
と、聞いてきた。鞄からDVDを取り出し、一緒に観ようと言う。そのDVDの題名を知り、修二さんが、でかい声をあげた。
「あ、俺それ観たことある!」
なんか、感動の映画なのか、それとも面白い映画なのか?修二さんは、お母さんのことも呼び、リビングにみんなで集まって観始めた。
『天国の青い蝶』という映画だった。主人公の少年は、脳腫瘍で余命数ヶ月。でも、青い蝶を捕まえたくて、昆虫博士に頼み込み、時期はずれなのにもかかわらず、蝶を捕まえに、ジャングルに行く。そして、そのうちにどんどん元気になり、奇跡的にも蝶をつかまえることができ、そして、ジャングルから帰ってきたら、腫瘍が消えていたと言う、実話の映画だった。
瑞希は、これを社長から借りたらしい。社長は俺が元気になって、会社に復帰すると思っているんだとか…。
複雑だった。そりゃ、こんな奇跡が起きたら嬉しいけど…。どうやって奇跡を起こせるのか、俺だってわかってたら、起こしてみたいよ。
何度も、癌だったってのは夢だったって、そう思いたかった。そうなることも願った。
でも、朝の頭痛、そのうえ何回か、朝、けいれんもおこしている。そんな状態で、夢だとか奇跡が起きるとは、とても思えなかった。
そのあと、修二さんが『ザ・シークレット』というDVDを貸してくれた。
「この中にも、乳がんが消えちゃうって人の話出てくるよ」
そういう話は、俺も聞いたことがある。だけど、奇跡って起きちゃうもので、自分でどうにか、起こそうとして起きるものなんだろうか…。
いや。笹おじさんも、修二さんも、俺のことを思って貸してくれるんだから…。
俺は、修二さんからそのDVDを受け取って、瑞希の家を出た。
帰り道、空を見上げた。曇ってて、星も月も見えなかった。どんよりしている空は、なんだか俺の心の中みたいだった。
家に着くと、やっぱりみんなが食卓にいた。もしかすると、俺がいない間にいろいろと、話をしているのかもしれない。
おふくろの目は真っ赤で、順平も目や鼻が赤かった。順平まで泣いてたのかな。
瑞希の家を出てくる前、瑞希のお母さんやお父さんが、うちに泊まりに来るといいって、言ってくれた。自分ちにいるより、今日はずっと楽だった。今のこの家は息がつまる。
「あのさ、瑞希んち行ったら、しばらく泊まりに来ないかって言われた」
「え?」
おふくろが、少し驚いてた。
「あ、俺も瑞希と一緒にいたいし、2~3日、泊まってもいいかな…」
親父のことをおふくろが見た。
「迷惑かけないのか?圭介」
「大丈夫だと思う。今日も昨日もそんなに、具合悪くなかったし」
「そうね…。瑞希さんの家でそう言ってくれてるなら、泊まりに行ってきたら?」
おふくろは、けっこうあっさりとそう言った。
「うん、じゃ、明日から泊まりに行くよ」
そう言って、俺は風呂に入りに行った。
俺がいると、みんな気を使って疲れるんだろうな…。風呂につかりながら、そんなことを思った。入院してた方が、おふくろも楽なんだろうか…。
風呂から出て、目がすっかり覚めてしまい、修二さんから借りたDVDを観ることにした。でも、最初の方はあんまり興味なくて、とばして乳がんの人のところだけを観た。
だんなさんと、お笑いのビデオを観て笑って過ごし、自分が癌だということも考えなかったと言ってた。そして、数ヶ月でがん細胞が消えたと言う。
「…忘れることなんて、できんのかな?」
DVDを消して、ベッドに転がった。
忘れようとはした。でも心の奥では、いつも怖かった。近々訪れるであろう自分の死。それを、どうやって忘れられるんだろう?
ちょっと、考えただけでも怖くなる。だから、考えないようにする。だけど、怖いから考えないようにしてて、いくら、面白いビデオを観ても、やっぱり心の奥底には、あるんじゃないの?怖いって感情が…。
恐怖や、不安や、いろんなマイナスの感情って、いくら追い出そうとしたって沸いてくる。それに、忘れようってしたって、ふたをするだけだ。
「駄目だ、俺には無理かも…」
俺には、青い蝶を捕まえに行くそんな余裕もない。ただただ、病院でいつまで延びるかわからない、延命の治療を受ける…、それだけしか道はない。
「こえ~~~。こえ~~よ、瑞希…」
これからのことを考え出すと、いてもたってもいられなくなるほどの恐怖に襲われる。
恐怖をかき消し、鞄に明日から瑞希の家に泊まる用意をして、それからベッドに潜り込んだ。
瑞希のそばに一分でもいたい…。そんなことばかりを考えた。そして、瑞希のぬくもりを思い出しながら、布団の中で膝を抱えて、眠りについた。
翌朝、大きな荷物を持って、会社に行った。
「おはよう」
瑞希が出社した。俺が、
「いきなり、今日から泊まりに行っても大丈夫かな?」
と聞くと、
「大丈夫だと思うけど…」
って、瑞希は答えた。
ほ……。
ほとんど、仕事は他の人が代わりにしてたから、俺は定時には仕事を終えていた。
「最近、定時に帰れるくらい、仕事ないの?」
瑞希が聞いてきた。
「あ、うん。社長が他の人に、俺の分回してくれてるから。俺、社のみんなにも、迷惑かけて」
「ストップ」
いきなり、瑞希が俺の口に手を当てて、
「それはなしだよ。迷惑なんてかけてない。わかった?」
と、ちょっと強い口調で言った。
「うん…」
ちょっと、驚いた。なんか、瑞希、男っぽいっていうか、強いっていうか…。
瑞希の家に着くと、お母さんとクロが出迎えてくれた。お母さんはさっさと、俺の重い鞄を持って、リビングに行ってしまった。
「あ、それ重いです」
って、言ったけど、俺の足にクロがじゃれついてて、動けなかった。
じゃれついてるクロと一緒にリビングに入ると、お母さんが、ご飯にするか、お風呂にするか聞いてくれた。
「あ、先にご飯いただきます。もう腹ペコで…」
それから、上着を脱ぐと、瑞希が来て、上着をハンガーにかけに行った。そういえば、昨日もしてくれてたっけ。
「なんか、瑞希、俺の奥さんみたい」
瑞希は、一瞬固まっていた。嬉しかったのか、それとも?ちょっと複雑な表情だった。
変なこと言ったかな、俺…。俺の奥さんなんて、なれないのに…、そんなこと言ったからかな。
ご飯は美味しかった。でも、途中から少し頭痛がしてきていた。
「俺、風呂あとでいいですから…」
それだけ言って、鞄を持って、2階にあがった。
ふう…。やっぱり、気を使ってるのかな、俺。鞄の荷物を出してて、ぐったりしてきて、ベッドに横になった。
本棚を見る。いろんなジャンルの本の中に、「成功哲学」「プラス思考」と書かれた本が混ざっていた。
「お兄さん、こんなの読んでいたんだ…」
ちょっと、プラス思考の本をとって、めくってみた。でも、まったく読む気になれず、また、本棚に返して、ベッドにうつぶせになった。
トントン…。ドアをノックする音、それから、瑞希の声。
「入るよ…」
「瑞希?うん…」
俺は、ベッドにうつぶせのままでいた。なんか、起き上がる元気も出なかった。
「ああ、ごめん、なんか疲れちゃって…」
「そうだよね、もう休んだら?」
「うん…」
俺はぐるって仰向けになった。天井を見ながら、瑞希に話し出した。
「昨日、修にいが貸してくれたDVDあるじゃん」
「うん」
「乳がんの人のところだけ、観たんだ。昨日、帰ってから」
「うん…」
瑞希は、うんしか言わなかった。
「瑞希、観たことある?」
「ないよ…」
「そっか…」
「どんなだったの?」
「う~~ん、なんかさ、すんげえプラス思考っていうか…」
「え?」
「けっこうきついかも…」
「…そうなの?」
「うん…」
俺は、胸の中にもやもやしたものがあって、それを瑞希に聞いてもらいたくなった。
「俺あんなに強くないな…」
「じゃあさ、私が一緒だったら?」
「一緒に、プラス思考?」
「そう、大丈夫って、絶対治るって思ってみたら?私もそうずっと思うようにするし、一緒なら頑張れるかもよ」
ああ、瑞希、そんなことを思ってたのか…。
「瑞希に、無理させそう…」
「無理じゃないよ、全然」
「でも…」
「何?」
「……。俺、自信ないな…」
本音が出てた。
「何の?何の自信?」
「癌に、打ち勝つ自信…」
言ってて、少し情けなくなった。瑞希の顔を見れなくて、背中を向けた。
「ごめん、すげえマイナス思考で…。だけど、大丈夫って思えば思うほど、怖さが出てくる。絶対、元気になるって思えば思うほど、もし、死んだら瑞希を悲しませるって。元気になるって言っておきながら、もし、駄目だったら、もっと瑞希を苦しめるって、そう思うとさ、そう思うと俺…」
とても、頑張れそうにない。とても、プラスには考えられない。それはもう、言葉にできなかった。
「圭介、そんなに弱気にならないで。圭介がそんなに弱気になったら、私だってどうしていいか、わからないよ。こういうのって、本人が生きるって決めなくちゃ。ずっと、私と生きてくれないの?ずっと、一緒にいたいって思わないの?」
瑞希…?
そりゃ、一緒にいたいよ、俺だって。ずっと、ずっと…。
「ごめん、そうだよね。俺が弱気になったら、瑞希もどうしていいか、わからないよね。ごめん…」
精一杯の笑顔を作った。瑞希の困った顔を見たくなかった。
俺が弱気になると、瑞希も弱くなるんだ。もう、瑞希には甘えられない。もっと、俺はしっかりとしなくちゃいけない…。
そんなことを思いながら、心の奥はぎゅうって何か重たいものがうずめいて、苦しくなっていった。