(2)
「遅いよ。もうとっくに始めちゃってるよ」
わたしたちの姿を見つけたエルさんが笑顔で手招きする。
ダンジョンの大樹は聖樹の扱いとなるため、登ることはもちろんむやみに触れることさえ禁忌とされている。
ロイパーティーはその立ち入り禁止の柵のすぐそばに陣取ってすでに宴会を始めていた。
昨晩も遅くまで、いやもしかするとオールナイトで酒盛りをしていたんじゃないかと思われるメンバーの中にはすでに寝転がっている者もいる。
花見に慣れているというハットリが場所取りから花見弁当作りまで手筈を全て整えてくれたらしい。
この日のために職人さんに発注していたというイグサを編んだ大きなむしろを地面に敷いて、そこにみんなで座ってくつろぎながらお酒を酌み交わしている状態だ。
仲間に入れてもらってエルさんの隣に座ると、イグサから爽やかな緑の香りがした。
なんだかとてもリラックスできる気がする。
「私もご一緒していいかな」
旦那様の言葉にメンバーたちが快諾する。
「どうぞどうぞ。ヴィーの旦那さんなんですから遠慮はいりませんよ」
大樹を見上げ、風に揺れた白い花が舞い落ちて来る光景に目を奪われた。
ふわりふわりと左右に揺れながら下降してくる白い花びらはキラキラ輝いていて、なんと幻想的なんだろうと息を呑む。
しかし、じっと眺めているとあることに気づいた。
「花は地面に落ちる前に消えてしまうんですね」
「そうなんだよ。どうにか残せないかと思ってさっきから凍らせてみたり小さな空間に閉じ込めてみたり、あれこれ試しているんだけど上手くいかないんだ」
エルさんが残念そうに言う。
地面に到達する前に消える花が大半で、たまに誰かの頭や肩に着地したり地面に落ちる花もあるけれど、何かに触れた途端に消えてしまう。
これでは押し花になど到底できそうにない。
なるほど、大樹の花が「幻の花」だとか「不老不死の効果がある」とか言われているのは、一度きりしか咲かない上に消えてしまって残せないからなのだと納得する。
目の前にひらひら落ちてきた花びらに手を伸ばした。
手のひらに落ちてきたそれが消えるのを待ってみたけれど、どういうわけか消えずにわたしの手のひらに乗ったままだ。
「あら?」
「え……」
どうして消えないんだろうと思いながらエルさんと見ていると、旦那様がわたしの手のひらを下から押した。
「ヴィー、早くそれ食べろ」
「もがっ」
妙な声を上げるわたしの舌に花が触れたと同時に消えてしまった。
それでもとりあえず、こくんと飲み込んでみる。
何か体に変化はないかと聞いて来る旦那様に、妻を実験台に使わないでください! と言いたくなったが、それを口に出す前にわたしの体に早速大樹の花の効果が表れた。
旦那様のせいで朝からずっと怠かった体がスッと軽くなって、すっかり回復してしまったようだ。
元気よく立ち上がると、また落ちてきた花びらを引っ掴み、お返しとばかりに旦那様の口に押し付けた。
万が一、まさかの不老不死になった場合、わたしひとりで生きながらえるだなんて御免だ。
旦那様も道連れよっ!
喉仏を上下させてしばし沈黙した後に、旦那様は「なるほど」と言ってにやりと笑った。
「さすがに不老不死は眉唾物だろうと思うが、これは相当な回復力があるな」
今夜も頑張れそうだと耳元で囁かれて、何言ってんだこの人は!と頬が熱くなってしまった。
一体なぜわたしの手のひらでは花びらが長持ちするんだろうか。
じっと自分の両手を見つめても皆目見当がつかない。
「土魔法をマスターした手との相性がいいとしか思えないな」
旦那様もわたしの手を不思議そうに見つめている。
エルさんはそんなわたしたちのことなどお構いなしに、どうにか自分も花を食べようと奮闘し始めた。
上を向いて大きく口を開け直接食べようとしている姿はとても王子様とは思えない。
さらには、浮遊魔法で飛んで咲いている花にかぶりつてもいいかと聞いて、旦那様に怒られていた。
エルさんはひとしきり大暴れした後とうとう諦めたらしく、わたしに泣きついて来た。
「ヴィー、僕にも食べさせて!」
しょうがない人ねえと思いながら落ちてきた花びらを手のひらですくうと、差し出す前にエルさんの顔が突っ込んできて花を食べた。
だからそれ、王子様とは思えないんですが!
呆れるわたしをよそにエルさんは満足げに腹部をさすりはじめる。
「ありがとうヴィー、さすが師匠思いの弟子だね。お腹に穴が開いてから、なんだかしっくりきてなかったんだけど、これで大丈夫そうだ」
もしかすると、同じ方法でお義父様にも花びらを食べてもらえば……そう気づいて旦那様を見ると、同じことを考えていたようだ。
「いや、しかしもうあの人は転移魔法で移動する体力もない状態だから、ここまで連れてくることができない」
残念そうに視線を落とす旦那様に力強く言う。
「大丈夫です! お義父様の寝室には観葉植物の鉢がありましたよね。わたしが運びます!」
「上手くいくかな」
「絶対に成功させます!」
旦那様へというよりは、自分自身に向かって言い聞かせるように宣言した。
「大丈夫、きっと上手くいくよ」
エルさんが手をぎゅっと握ってくれた。
じんわりとした熱が伝わってくる。きっと魔力を強化するようなバフをかけてくれたに違いない。
ひらひら舞い落ちて来る花びらを手のひらで受け止めた。
どうか……どうか消えないで!
そう念じながら花びらが飛んで行かないようにもう片方の手で蓋をして、マーシェス侯爵家本宅のお義父様の部屋に置いてあった観葉植物を思い浮かべると、足が地面に沈み始める。
「すぐに追いかけるから」
不安そうな旦那様に笑顔を見せた次の瞬間、わたしはもうお義父様の部屋に移動していたのだった。
転移には無事成功した。
観葉植物の鉢から飛び出してきたわたしを見て、お義父様も、ちょうどその場に居合わせたお義母様もギョッとした顔をしているが、それどころではない。
「お義父様っ!」
ベッドに駆け寄って手を開くとそこにはまだ白い花びらがあった。
それをお義父様の口元に押し付ける。
「お薬です! 飲み込んでくださいっ!」
説明している余裕などなく有無を言わさずではあったが、一応それを信用してもらえるだけの信頼関係は築けていたようだ。
お義父様は素直にそれをこくんと飲み込んでくれた。
しんと静まり返る寝室で、最初に口を開いたのはお義父様だった。
「おお……体がすごく楽になった」
ベッドから起き上がったお義父様の顔色は、具合の悪そうな土気色からみるみる血色のいいものへと変わっていく。
「ヴィクトリアさん、今のは何?」
お義母様がさっぱり分からないといった様子で困惑している。
「お義母様、ダンジョンの花を食べていただいたんです。きっとこれでお義父様は元気になります!」
お義母様が慌てて侯爵家お抱えの神官を呼びに行ったところで、旦那様が魔法陣から登場した。
ああ、やっぱり魔法陣の転移のほうが土から登場よりも数段かっこいい!
「父上、マーシェスダンジョンの初回踏破が完了しました。今朝、とてもきれいな白い花が咲きましたよ」
「そうか、お疲れ様。おめでとう」
これまで立ち上がることもできないほど衰弱していたお義父様がベッドから一人で立ち上がり、しっかりとした足取りでわたしたちに近づくと、両腕を伸ばしてわたしと旦那様をまとめてぎゅっと抱きしめてくれた。
驚くべきことに、お義父様の病巣は自覚症状が現れる前のごく初期の状態まで小さくなり、本人の体力も劇的に回復した。
あとは定期的に回復魔法をかけて病巣の肥大化を抑えれば元気に暮らしていけるらしい。
神官にどんな方法を使ったのかと聞かれ、口外しないことを約束した上でダンジョンの大樹の花をここまで持って来たのだと言うと、彼も早速休暇を申し出てマーシェス侯爵領へ行ってしまった。
しかし翌日、浮かない顔で戻って来た彼は「上手くいきませんでした」としょぼくれていた。
どうやらあの花を維持できる手を持つ人間は、わたしだけのようだ。
マーシェス侯爵領で毎日庭の手入れをしていたことが功を奏したのなら、旦那様と庭師のマックに感謝しなければならない。
お義母様は泣いて喜び、感謝しなければならないのはこちらのほうだと何度も言ってくれた。
「わたくしも花びらを食べれば、もしかしたらお肌が若返ったりしたのかしら」
後からお義母様がポロっと漏らすのを聞いて、わたしは別の提案をした。
「お義母様、それなら大丈夫です! 特製の泥パックを差し上げますわ!」
これがきっかけとなり、マーシェス侯爵家の嫁と姑による泥パック製造・販売が一大ビジネスと発展していったのは余談だ。




