ついに旦那様にバレてしまいました
目を覚ますとぼんやりと懐かしい天井の模様が見えた。
ここは実家のわたしが以前使っていた部屋だ。
お嫁に行ってもまだそのまま残していたっていうことは、すぐにこんな形で戻ってくることも想定していたのかしら。
「ヴィクトリア?」
わたしの顔を覗き込んできたのは母だった。
「見えてる? 目にゼリーが張り付いていたから取ってもらったのよ。頭が痛かったり気持ち悪かったりはしない?」
こくこくと頷いて上半身を起こすとお腹がぐうっと鳴った。
「大丈夫。それよりもお腹が空いたわ」
「しょうがない子ねえ。昨日のことは覚えている?」
母が呆れている。
「ボススライムと戦っている時にゼリーが落ちてきて、息が出来なくなってひっくり返ったの。それで……」
ロイさんと会ったのは夢だったんだろうか。
「そうよ、それで侯爵様が駆けつけてくださって、一晩中寝ずにあなたに付き添ってくださったんですからね」
「旦那様が? 一晩中!?」
「そうよ、朝食のあと付き添いを交代して今は仮眠を取っていただいているところなの。あんなに献身的な旦那様のお仕事中にダンジョンへ行くだなんて、もう辞めなさいって言ったでしょう」
母のお小言が始まってしまったが、それよりもわたしが気にしていたのはロイさんのことだった。
旦那様が一晩中付き添っていたということは、わたしが途中で目を覚ましてロイさんに会ったのは、この部屋ではなかったんだろうか。
もしや冥界とか!?
ロイさんはすでに亡くなっていて、それなのに成仏できていないのかもしれない。
執着心の強い人だったから十分有り得る。
そして死にかけていたるわたしを見つけて引き留めてくれたのかもしれない。
もっと話したかったな。
また死にかけたら会えるのかしら。
いや、そんなことよりも、わたしが実家へ担ぎ込まれることになった経緯を聞いているであろう旦那様にどう申し開きをするのか考えることが先決だ。
回りくどい言い訳をしても無意味だろう。
潔く頭を下げるしかない。
母が運んできてくれた軽食をベッドで摂り終えた後、しばらくして旦那様がやって来た。
もう覚悟は決めている。
「ヴィ……」
旦那様が何か言う前に立ち上がって深々と頭を下げる。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。わたくしはずっと旦那様のことを騙しておりました。今日限りで離婚してくださいませ」
足早にこちらへ近づいてくる気配がして、頭を下げたままの視界に靴のつま先が見える。
「ヴィクトリア、それよりももう大丈夫なのか?」
優しい声色から察するに怒ってはいないようだ。
何よりもまずわたしの身体のことを気遣ってくれたことが嬉しくもあり、申し訳なくもある。
「ありがとうございます。ちょっと頭を打っただけですのでもう大丈夫です」
旦那様のアイスブルーの瞳を見るのが怖くて頭を下げたまま続ける。
「わたくしは侯爵夫人の責務よりもダンジョンの攻略を優先するような愚かな人間です。慰謝料はおいくらでも、旦那様の気の済む金額をご請求ください。一括ではお渡しできないかもしれませんが、必ず全額納めます。愛人の方との結婚が叶わないのなら、次はもっと従順なお飾り妻をお探しください」
あら、そんなつもりはなかったのに、最後の言葉は少し嫌味っぽかったかしら。
言葉にしながら改めて、自分にとって普通の結婚など向いていなかったのだと思った。
これからは冒険者を本業にして世界各地のダンジョン巡りでもしようかしら。
慰謝料はダンジョンで集めた金貨の蓄えがあるし、足りない分はまたダンジョンで稼げばいい。泥パックビジネスの構想だってある。
マーシェス侯爵家はお金持ちだから経済的に困窮しているわけではないが、何かしらの形で謝意を示すにはやはり慰謝料の支払いが妥当だし後腐れもないと思う。
「ヴィクトリア、顔を上げて」
おずおずとその言葉に従うと、目の前に眉を八の字にして困っている様子の旦那様がいる。
「愛人などいないよ。初夜のことは悪かったと思っている。好きでもない男に抱かれるヴィクトリアが気の毒だと思って控えていただけだ」
「え……?」
腕を引かれて温かい胸に優しく抱きしめられた。
「最初から知っていたんだ。ヴィクトリアがマーシェスダンジョンを攻略中だっていうことも、ロイが好きなことも」
「ええっ!」
「ちなみに父も知っているよ」
「ええぇっ!?」
どういうことなのかわからず、口をはくはくさせることしかできない。
「ダンジョンの踏破まであと少しのところまで来ている状態で辞められない気持ちはよくわかる。だから正直に秘密を話してくれたら最後まで頑張れって応援するつもりだったんだよ?」
旦那様がいたずらっぽく笑って首を傾げる。
「知っていて黙っていたんですか?」
忍び服で変装していた意味がない。
しかも旦那様の目の前で大声を張り上げてジークさんを挑発したり喧嘩したことを思い出すにつけ、猛烈に恥ずかしくなってきた。
「それは仕方ない。冒険者協会の規約で職員はたとえ親族が冒険者だとしても他人と同等に扱うことになっているからね。ヴィクトリアのほうから言ってくれなければ、こちらからは何も言えなかったというわけだ」
なるほど、確かにそうだった。
以前、旦那様に協会の職員を紹介してもらいながら挨拶回りをした時も受付のアナベルさんはわたしに気づいている様子だったのに、何も言わずにスルーしてくれていた。
って、よく考えたらあれも旦那様はわざとやっておもしろがっていたってこと!?
もうっ!
「旦那様は人が悪いです」
唇を尖らせて抗議すると、可愛いと言われて抱き込められてしまった。
どうしたんだろう。
旦那様が甘すぎですが!?
「旦那様や使用人たちに内緒で毎日こそこそダンジョンに通い続けていたわたしに、侯爵夫人のままでいる資格はないと思いますが、どうしてそこまでしてくださるのですか?」
旦那様の言う「最初から」がいつからなのかよく知らないが、わたしがダンジョン馬鹿でロイさんのことが好きだということも知っていながら結婚したことになる。
侯爵家という家格とこの容姿、そして魔力も高い旦那様がわたしを妻に選んだ理由がさっぱりわからない。
もっといい条件のご令嬢を選び放題だったのではないだろうか。
「好きだからに決まってるだろう」
あまりにもストレートに言われて息をすることさえ忘れて固まってしまった。
好きだから?
旦那様がわたしを?好き?
ええぇぇぇぇぇっ!
心臓が口から飛び出すんじゃないかというぐらいにドキドキしている。
一旦落ち着かないと死ぬかもしれない。
「いや、あの……ええっ!?」
「すまない。こんなことを言ってもヴィクトリアを困らせるだけだな」
旦那様が寂しげに自嘲している。
「違います! とても嬉しいです。わたしは確かにロイさんのことを慕っていましたが、婚約が決まった時にその淡い想いは断ち切りました」
夢でロイさんに会って、好きだったのだと告白もできて、今はとてもすっきりしているのだ。
「旦那様と少しずつ愛を育んでいけたらと、まっさらな気持ちで嫁いだんですよ」
真っすぐに見上げると、旦那様は少し困ったような顔でまた笑った。
「そうか。では初夜の時に素直な気持ちを伝えていればここまで拗れていなかったというわけか」
「わたしも最初に冒険者だということを正直にお伝えすればよかったんですね」
旦那様の耳が心なしか赤い気がする。
顔を見合わせて互いにふふふっと笑った。
「ヴィクトリア、ダンジョンの攻略が終わったら本当の夫婦になろう。その時には今きみに話せないことを全て話せるようになっているはずだ。ずっと私のそばにいて欲しい」
「はい、お願いします」
再びぎゅうっと抱きしめられて、その逞しい胸に顔をうずめながら頷いた。
当然離婚だろうと覚悟していたのはわたしだけでなく両親も同様だったため、むしろ前よりも距離が近くなっているわたしたちを見て両親は呆気に取られていた。
しかしこの機を逃してなるものかという切り替えの早さで、元気になったのならもう旦那様に連れて帰ってもらいなさいと言われ、追い出されるように実家を後にしたのだった。




