(2)
夜会当日の今日も旦那様は仕事があり、朝食を摂ると王城へと行ってしまわれた。
夕方に一度こちらへ戻って支度を整え、わたしと共に夜会へ出かける予定になっている。
「いってくるよ、ヴィクトリア」
朝のお見送りの際にはわたしの額に口づけを落とし、ここでもしっかりとラブラブアピールをした旦那様はさすがだ。
「いってらっしゃいませ、お気をつけて」
今朝ベッドの中で、茶番とはいえ逞しい腕に抱きしめられたことを思い出しながら、自然と頬をほんのり染めることに成功したわたしのことも褒めていただきたい。
午前中は、庭園のバラを見せてもらった。
領地の庭師であるマックの腕も大したものだと思っているけれど、本宅の庭師もさすがだ。
ベルベットのような花びらが幾重にも重なった大輪の赤いバラの前で足を止めた。
「これ、もしかして…」
庭師のヨーンに話しかけると、彼はよく日焼けした顔を綻ばせながら教えてくれた。
「さすがは若奥様!それは若旦那様が婚約を申し込みに行くときに持参したバラです」
「やっぱり!ここのお庭のバラだったのね」
ヨーンによれば、早咲きのバラと同時期から開花が始まり、花期が長くて次々に蕾をつけるバラなんだとか。
あの時、旦那様はわたしの前で跪いて「私の妻になってください」と言ってこのバラを差し出したのだ。
実家の両親も使用人たちも、あんなに素敵なプロポーズは見たことがないと、旦那様の帰宅後に大騒ぎしていたっけ。
「若旦那様が、これから愛しい人に会いに行くのだとおっしゃって、ご自分でお選びになったバラでございます」
ヨーンは得意げに続けている。
ちょっと待て。
今の話がこのおじいちゃんの脚色でないのなら、それはわたしではなくて愛人に渡すための花束だったのではないの?
まさか旦那様ったら、同じバラを?
このバラなら間違いなく女が喜ぶだろ!的な?
ゴゴゴゴッ!と怒りが込み上げたせいで、指先から悪いオーラが出てしまったのかもしれない。
目の前の見事なバラが急に萎れ始めた。
しまった!
バラには何の罪もないっていうのに、わたしとしたことが!
感情の揺れで魔法が暴発しそうになった時は、耳たぶを引っ張るといいよ!と教えてくれたのは、わたしの魔法の師匠であるエルさんだ。
おまじないみたいなものだろうと聞き流していたが、実際にやってみると冷たい耳たぶが熱を吸い取ってくれるように指先がクールダウンしていく。
落ち着け、落ち着けと念じながら両方の耳たぶを引っ張る奇妙な行動をとるわたしと、突然萎れ始めたバラを交互に見ながらヨーンがオロオロしている。
「あら、土が乾燥しすぎているんじゃないかしら」
落ち着いたところで、わざとらしくならないようにしゃがんで根元の土を触り、バラにごめんねと謝った。
そのついでに、わずかに掴んだ土でお得意のイモ虫を作って地中に数匹放っておく。
このイモ虫は、地中を動き回って土をふかふかにするだけでなく、害虫を追いかけまわして追い払う役目も果たしてくれる。
そのまま回収せずに放置しておくと三日程度で元の土に戻るという優れものだ。
ただのイモ虫をここまで高性能にしてくれたのは、もちろんエルさんのおかげだった。
きっとこのバラもすぐに元気を取り戻して、さらに綺麗な花を咲かせてくれるだろう。
その後はお義父様のお見舞いをして、お義母様と二人でお昼ご飯をいただくと、もう夜会の支度が始まった。
湯浴みをして髪には香油を、全身と顔は泥パックを塗りたくられた。
泥パックにこっそり「赤ちゃんのような極上のお肌にしてちょうだい」とお願いしたら、泥を流したわたしの肌艶に驚いたメイドたちが「凄い!」と称賛の言葉を連呼している。
なるほど、これは商売になるかもしれないわね。
旦那様と離婚したら『赤ちゃん肌を取り戻せ♡ 極上泥パック』という謳い文句で商品化しようかしら。
将来の泥パックビジネスに思いを馳せているうちに、とんでもないドレスを着せられていた。
せ、背中が…丸見えなんだけど!?
「あの…このドレスで合ってる?下品だって旦那様に怒られないかしら」
戸惑うわたしとは対照的にメイドたちはドヤ顔になる。
「若奥様はしなやかで健康的なプロポーションをしていらっしゃるので、ちっとも下品ではございません」
「こんな綺麗な肌を出し惜しみしてどうするんですか」
「人妻だからこそ、こういう大胆なカットのドレスをお召しになっても何ら問題ございません」
問題ありまくりだわよっ!
人妻って言ったって、わたしまだ生娘なんですが!?
お義母様が様子を見にやって来たため、ダメ出しをしてくれることを期待したのだけれど、お義母様は手を叩いて喜んだだけでなく、なんとメイドたちに臨時ボーナスを支給するとまで言い始めて、この場がお祭りのような騒ぎになってしまった。
「ヴィクトリアさん!正面から見たら可愛らしくて、後ろ姿は蠱惑的で、なんて素敵なの。ロナルドが骨抜きになるのも納得ね。マーシェス侯爵家に嫁いできてくれてありがとう」
お義母様、目を潤ませて喜んでらっしゃるところ非常に申し訳ないんですが、わたしは旦那様のことを骨抜きになどしておりません…と言えるはずもなく、引きつり気味に笑っておいた。
帰宅して支度を整えた旦那様が来たため、椅子から立ち上がって出迎える。
光沢のあるシルバーグレーのスーツに首元に巻いているクラバットはモスグリーン。わたしの瞳の色に合わせたのだろうか。
かく言うわたしのドレスも旦那様の瞳に合わせたアイスブルーだ。
正装の旦那様はいつも以上に素敵で、これで中身がクズ男じゃなかったら良かったのにと心の中でだけ悪態をつきながらにっこり微笑んでみせる。
旦那様はまるで虚を突かれたように部屋の入口でしばし立ち止まった後、甘く微笑みながらゆっくりと距離を縮め、わたしの手を取って唇を寄せた。
「結婚式の時の花嫁衣装もとても良かったけど、今日はそれ以上に可愛いね」
お世辞でも茶番でも、こんな風に「可愛い」と言ってもらえると嬉しくなってしまうのだから、わたしの単純な脳みそもどうしようもない。
「さあ、そろそろ行こうか」
そう言ってわたしの背中に手を回した旦那様は「なっ…」と言って一瞬体をこわばらせ、確認するようにわたしの背後に回った。
おずおずと首だけ回して振り返ると、旦那様は口元を手で覆ってわたしの露出した背中を凝視している。
怒ってる?それとも笑ってる?
旦那様の胸中がイマイチわからない。
「あの…大胆過ぎたのなら、今すぐに着替えます…」
いたたまれなくなってこちらから声をかけると、旦那様は手を放して小さく咳払いをした。
「いや、そのままで構わない。少し驚いたけど…控えめに言って最高に素敵だ」
再び甘く微笑む旦那様の様子を見て、しん…と静まり返っていたメイドたちが一斉に黄色い声をあげ始める。
そんな大盛り上がりのお見送りを受けて、旦那様にエスコートされならがらパーティー会場へと向かったのだった。
控えめに言って最高――茶番でよくそんなことが言えるわね。
お義母様!あなたの息子さん、やっぱりとんだ女たらしですよっ!




