三話 怪我をした少年を助ける
馬車は街道を外れ、お花畑の中を通る小径を走っていました。
「馬車を止めて!人が倒れているわ」
車内の窓からお花畑を眺めていた私は、花に埋もれるように横たわる人に気付いたのです。
それは少年でした。服はどろどろに汚れ、腕は血で真っ赤に染まり、生きているかどうかも分かりません。
「大丈夫ですか?」
私が声を掛けると少年はゆっくり上体を起こしました。
「…森で狼に襲われて…」
「噛まれたのか?」
ランスロットが訊きました。
「いえ、爪で引っ掛かれて…持っていた短剣を突き立てたら、そのまま逃げていきました…」
「ならば良かったが…」
「あなた名前は?どこから来たの?」
私の質問に少年は困惑したように首をかしげ、
「…僕は誰なんでしょう?思い出せない…」
絞りだすようにそれだけ言って意識を失いました。
けが人を放っておく訳にもいかないので、私達は少年を連れて行くことにしました。
* * * * *
宿場町に着いた私達は追っ手の刺客に注意しながら宿を選び、昨日と同じく三つの部屋を取りました。
一つの部屋ではガストンが少年を看病しています。
私とランスロットは宿の酒場で食事中でした。
「姫様、身元も分からぬ者をおそばに置くなど賛成しかねます」
「ただの少年ですよ。狼に襲われて怪我をしている、助けてあげてもいいでしょう?」
「そうでしょうか?猟師が言っていたではないですか、狼は人に化けて近づいてくると…」
「あの少年が人喰い狼だと?悪い冗談は辞めて、私には猟師の方がよほど怪し気に思えるけれど」
この発言には、多分に私の希望的観測が入っていました。
「慎重になるに越したことはないと言っているのです」
「私はぜんぜん怖くないわ。だってランスロット様が守ってくれるのだから」
どうやら食事の飲み物にお酒が入っていた様です。酔った私はランスロットにもたれ掛かりました。
「そろそろ部屋に戻って休まれた方が…」
慌てて言ったランスロットを、私は潤んだ瞳で見つめました。
「ねえランスロット様…私はあなたの妹にしかなれませんか?…私はあなたの事をずっと…」
でも、やはり疲れていたのでしょう。私はそのせりふを最後まで言い切る事無く眠りに落ちてしまったのでした。
* * * * *
「うわああ…」
真夜中の叫び声に私は目を覚ましました。ランスロットが運んでくれたのでしょう、私は部屋のベッドの中でした。
叫び声は近く部屋からのようです。私は慌てて枕元のランプを手に取ると部屋を飛び出ました。
「姫様!ご無事でしたか」
同じタイミングでランスロットも部屋を出てきたところでした。
「良かった、ランスロット様も無事だったのね」
安心したのも束の間、ガストンが部屋から出てきていない事に気付きました。
「ガストン!」
部屋に入ろうとした私をランスロットが押し留めました。
「姫様は私の後にいてください」
ランスロットは扉を開けてランプで室内を照らすと、思わず「うっ」とうめき声を上げました。
私がランスロットの背後から部屋をのぞき込むと、首筋を食いちぎられて絶命したガストンが横たわっていました。
「狼が追って来たんだ…」
ベッドの上には、そう呟きながら震えてうずくまる少年がいました…
* * * * *
状況を考えればガストンを殺した犯人の第一候補は少年です。でも少年は右腕に大怪我をしており、何より私が少年を信じたい気持ちだったのです。私は宿の主人にそれなりの金銭を握らせて後処理を頼み、少年も連れて先に進む事にしました。
あぜ道を走る馬車。御者台では宿場町で雇った御者が手綱を握り、車内は鎮まり返っていました。
「残りは三人、誰が狼か多数決でも取りますか?」
ランスロットは少年を狼が化けた姿だと確信しているようです。
「やめてくださいランスロット様、犯人は外から侵入者かも知れないではないですか」
私は期待を込めて言いました。
「使用人とは言えガストンは武道のたしなみもある。不意打ちでも無ければ簡単にやられたりしませんよ」
皆、そのまま押し黙ってしまい、会話の無いままその日が過ぎていきました。
* * * * *
宿場町に着き宿を取った私達は、黙々と食事を取ると、早々に別々の部屋に籠りました。
ランスロットに傍にいて欲しい思いもありましたが、少年の件で仲違いした気まずさがそれを許しませんでした。それでもランスロットはこの部屋の外で私を守ってくれている、そんな確信がありました。
「貴様、どうしてここに!」
真夜中、まだ眠れずにいた私はランスロットの大声を聞き、部屋を飛び出しました。
そこには剣を構えたランスロットと、銃を構えたあの時の猟師が対峙していたのです。
「犯人はあなただったのね…人殺し!」
私は猟師に向かって叫びました。
「違う…話を聞いてくれ」
猟師は銃を降ろしてポケットに手を入れました。
「問答無用!」
ランスロットが剣で切りかかります。猟師は銃身で剣を受けると後方に飛びずさり、
「赤ずきん、信じるな、全てを疑え」
そう言い残して走り去りました。
「待て、逃がしはしないぞ!」
追いかけようとするランスロットを私は止めました。
「追わなくていいわ!それよりも少年を…」
言いかけた時、少年が部屋から顔を出ました。
「何かあったの?」
「ああ良かった。無事だったのね」
私は安堵のため息をつきました。
それにしても、あの猟師は何を言おうとしたのでしょうか…私は混乱していました。
* * * * *
予定より到着は大きく遅れていました。早くお婆様に薬を届けなくては、それが今の最優先事項です。私は御者台のランスロットに頼み、ギリギリまで馬車を急がせました。
夕暮れの頃、馬車は湖畔の村に通じる森に差し掛かりました。
「何とか今日中に着けそうね」
私がそう言うと、ランスロットが意義を唱えました。
「姫様、夜の森を抜けるのは危険すぎます。見通しのきく場所に馬車を停め、そこで夜を過ごすのが懸命でしょう」
「僕もそう思います。森の中は逃げ場がない」
少年にまでこう言われては従うしかありません。草原に馬車を停めると、一晩そこで野営する事にしました。