物語No.87『勇者は思い出す』
ーーあなたは勇者になりなさい。
幼い頃、誰もが言った。
生まれたばかりで言葉が分かり、二本足で立て、魔法を使える私に。
期待の押しつけ、というと語弊が生じるかもしれない。
だが、語弊が語弊でなくなるほどの、文字通りの意味以上のものを私は受けてきた。
生まれた瞬間から、誰もが私に期待した。
「あなたは世界一の勇者になるのよ」
「あなた様の降臨を長らくお待ちしておりました」
「どうか、我々を率いてください」
幼い私に誰もが平伏した。
なぜだろうか。
まだ幼いながらも、なぜか私は知っていた。
世界には避けることのできない分岐点がある。
一つは世界の始まり。一つは世界の終わり。
どうやら私は世界の始まりそのものだったらしい。
私が生まれた意味は、世界の始まりだった。
私の誕生と同時、世界に始まりの樹が生まれた。
聞くところによると、それ以前に終わりの樹が存在していたらしい。だが私の登場とともに枯れ、始まりの樹が世界の中心になったという。
始まりと終わり。
世界は囚われている。誰もが始まりと終わりを有している。
それでも、誰かが言った。
私に終わりはないのだと。私は始まりそのものなのだから、と。
それから私は導かれるようにある大樹の中へ入った。それは異世界にも現実世界にも存在する樹。
湖の中心に生え、最上部が見えないほど大きく高い。いや、木葉そのものが空なのかもしれない。
その樹の中で、私はある剣と出逢った。
樹の中に生えるように存在する、神聖なオーラを漂わせている剣。
剣を手に取った瞬間、私は理解した。
私は生まれた瞬間から、この剣を取ることが定められていたのだと。
私には関係ないことだ。私は私であり続ければ、それでいい。
はずだった。
だが私はまるで神が作ったように完璧だった。神そのものとは呼べないものの、この世界で私にできないことはほんの一握りしかなかった。
あらゆる武術、あらゆる魔法、あらゆる知恵を身につけた。
どれほど難易度が高い業があっても、一目見れば習得できる。一目見ずとも、説明さえあれば事足りた。
まるで、神が初期設定に含んでいたかのように。
それでも私にできないことがある。
私は生まれながらに完璧だったから失敗をしない。敗北を知らなかった。
最初は私は永遠に勝利し続けるのだと、そう過信していた。世界のすべてが私よりも弱いようにしか見えなかった。
だがいつからか、私は脅えた。
誰かに負けたわけでも、ましてや死ぬような思いをしたわけでもなかった。
私は負けることを恐れてしまった。勝ち続けるあまり、終わりが見えなくなった。
もし私が負ければ、もし私より強い者がこの世界にいるとすれば。考えるだけで私の心が恐怖に支配された。
「さすがは最強の勇者様だ」
やめてください。
「次の遠征もどうせモンスターを圧倒するんだろ」
やめてください。
「あなたが負ける? そんなことありえませんね。だとすれば、この世界に悲劇が訪れるでしょうから」
もうやめてよ。
私はただ逃げたかった。
私はただ戦いたくなかった。
私はもう剣を振るいたくなかった。
最強無敗の勇者様。
すべてをあなたに託します。
一度期待をしてくれた相手から見離されたくなかったから。
皆が私に抱く憧憬を壊したくなかったから。
だから私に目覚めた潜在能力は、
「初剣」
たった一度で相手を殺す凶器の刃。
潜在能力『初見殺し』はあらゆる敵を一撃で葬る。
潜在能力を初めて使う相手であるならば、私の刃は一撃で相手を絶命させる。
私の潜在能力は容赦を知らない。加減を知らない。
敗北を知りたくないから、私は最強になった。
だが今、私を慕っていた仲間が次々と死んでいく。
私は最強のはずなのに圧されていた。
十人がかりでも劣勢が続いていた。
魔女の魔法に翻弄され、敗北を知りそうになっている。
否定しなければいけない。
敗北を知りそうに……なんて、嘘だ。
私は負けたんだ。
仲間を殺された時点で私の敗北は決まっている。
仲間を護り、敵を討つ。そんな最強が私だったはずなのに。
負けた。
私は負けたんだ。
自分には嘘をつくな。
自分の現状を受け入れろ。
私は敗者だ。
それを心に刻み込め。
私は身体を奮い起こす。
二度と負けないように。
二度と仲間を失わないように。
「私はここで魔女を討つ!」
そして勇者が目覚める日。