物語No.86『魔女は死んだ』
魔女の右手が触れたのは勇者ではなかった。
魔女の思惑を悟ったペインが身を挺して勇者を庇った。
結果、ペインは絶命した。
命が途切れ、飛行魔法が消失したペインは雨に打たれながら地に落ちる。
「ちっ。せっかく左腕を代償にしたが、仕留めきれなかったか」
魔女の左腕は斬り飛ばされた。
代わりに勇者を殺せれば良かったが、結果は功を奏さなかった。
勇者の剣は暦の槍と同様の効果を有していた。故に魔女の左腕は治らない。
「左腕が惜しいか」
「左目に左腕。次はどこを奪うつもりだ」
「命だ」
勇者は魔女と対峙していた中で、表情はひどく曇っていた。
視線は落ちていったペインを追いかけるように。
「仲間の命が惜しかったか?」
「ああ。あいつは……戦闘キャラじゃなかったからな。だから驚いたんだ。自分の命を犠牲にしてまで、私を庇うなんて」
ペインと長い付き合いの勇者だから分かることがある。
「あいつは私に命を繋いだ」
「どうせお前もすぐに死ぬ」
「いいや、私は死なないさ」
「過剰な自信だな」
「当たり前でしょ。私は勇者、すべての冒険者の期待を背負っている。だからここであなたを討つの」
勇者の脳裏には、散っていた者たちの表情が浮かぶ。
皆、最後まで生きようと抗った。
「期待を背負うだけ、私は強くなる」
「嗤える」
「笑えばいいさ。その間、お前は私を捉えられない」
勇者は笑った。
まるで自分が最強と、信じて疑わない。
魔女はその自信を虚勢と捉えた。
次の瞬間、それが本物であると分かる。
瞬く間の一撃。瞬間移動さえ間に合わない刹那の出来事。
その時、勇者は魔女を斬った。右肩から左腰にかけて鮮血が迸る。
「見えなかった」
勇者の速度は常軌を逸していた。ただでさえ異次元な身体能力や戦闘の才を有している。
魔女との戦いの中で、勇者は進化した。
「だったら見えなくなればいい」
魔女は不可視化の魔法により、勇者の追跡を逃れようとした。だが魔女は目に魔力を集め、魔力の動きが見えるよう集中する。
「見える」
魔女から出る糸のように細い魔力を辿って居場所を見た。
「魔法が雑になってるぞ」
今まで僅かでも漏らすことのなかった魔法の痕跡。精巧な魔法が崩れ始めていた。
勇者の攻撃が魔女に再び血の雨を降らせる。
魔女の仕掛けた賭けの失敗。それは魔女を刻々と劣勢に追い込む。
血を流しすぎた。
意識が朦朧とし始めている。
「ああ、まずい」
魔女は千鳥足で右往左往している。
「このままじゃ、死ぬ」
魔女は死の直前にいた。
天秤が地にすれすれになるほど、死へ傾いている。
勇者は最後まで油断はしない。首を跳ねるため、剣を横一閃に振るう。
魔女は瞬間移動でかわすが、勇者に移動先を読まれていた。同じく瞬間移動した勇者の刃が脳天に届く。
「終わりだ。魔女」
「フフッ」
魔女は笑っていた。
勇者が見せた隙。それは魔女の首もとに刃が僅かに触れた瞬間だった。
魔女は小さく呟いた。
「この魔法を使うのは嫌なのよね」
勇者は魔法を使わせまいと、最大限の力で魔女の首を跳ねた。刃は弧を描き、刃は確かに魔女の首を斬り落とした。
血が噴き出し、絶命する。
その考えが間違いだった。
魔女の首が跳ねたと同時、勇者の首に血の線が走る。首を一周する謎の線。
勇者が首の血に驚く束の間、魔女の首は時間が戻るかのように宙を舞い、胴体と繋がった。
「何を……何をしたッ!?」