物語No.77『少女の誓い』
少女は、巨人は叫んでいた。
過去の痛みを抱えながら、苦しみに泣きながら。
痛みも苦しみも消えない。だから少女は選んだ。
自分を苦しめるすべてに終焉をもたらすことを。
私は進まない。
私は戻らない。
私はすべてを終わらせるだけ。
ここですべてを終わらせて、世界とともに私も死ぬの。
それが私の最高の物語。
だが、少女の幻想に亀裂が走る。
巨人の前に現れたのは、剣を持った一人の少年ーー三世。
「ライ。殻に閉じ籠って、その上学校を壊そうだなんてするな。どれだけ学校を恨んでいようと、壊したって君は救われるわけじゃないだろ」
うるさい。
そう言うかのように巨人は叫ぶ。
空間を揺らすほどの叫び。巨人の叫びは大地に亀裂を生じさせる。
「これが……ライか。随分と変わったな」
巨人の前に立つ恐怖。
脅えながらも、三世は立つ。
「君の願いは違うだろ。それを今から証明する」
三世は巨人に向かって走り出す。
巨人は容赦せず、拳を振り下ろす。地面には特大の大穴が空き、攻撃を受ければ瞬殺だ。
巨人は拳を上げ、穴を覗き込む。
「今だッ」
巨人の背中が見える。そこへ龍の背中に乗っていた愛六、琉球、三浦が飛び降りる。
「全員、巨人の心臓部にいるライを引きずり出すよ」
全員は巨人の背中に刃を突き刺す。
ーーが、巨人の背中は刃を弾き返した。
「硬過ぎる」
「刃が届かない」
「全員逃げるよ」
龍の背に乗っていた東雲と三世は、巨人の背に降りた三人の回収を試みる。
巨人は怒っている。
邪魔をする彼らに巨人の乱暴な攻撃が炸裂した。最悪にも、ハエを払うようにして振るわれた腕の一撃が五人に命中した。
五人全員が校舎の残骸に身体を埋める。
「一撃で全滅……!?」
隠れて見ていた不寝は、巨人の圧倒的強さに目を見開く。
「あの魔法道具は怨念の強さだけ力が増す」
少女の怨念は強すぎた。
すべてを壊してもいいと思えるほど、少女は世界を憎んでいる。
少女は悲しかった。
だから少女はヒーローが欲しかった。
瓦礫の中、頭から血を流す東雲。その背後に見える龍は東雲から離れ、巨人と同じ大きさまで巨大化する。
青い鱗に包まれた龍は巨人を睨む。
「青龍、私の全生命力を使って巨人を討て」
青龍は大きく口を開く。
巨人は破壊衝動のままに青龍へ突撃を仕掛ける。巨人の手が龍に触れるーー刹那、青い火炎が巨人を飲み込んだ。
全身が燃え、皮膚が溶けていく。身体が剥がれ落ち、心臓部から中に埋まったライの顔が露になる。
「…………」
炎に包まれ、巨人の上半身は失われた。下半身だけが残された巨人は膝をつき、崩れ落ちた。
炎の中から落ちたライは、東雲と向かい合う形になる。
「邪魔をしないでよ」
火傷を負いながらも、痛みは気にしない。復讐だけに意識を集中していた。
「邪魔をしたんじゃないノメ。お前を救っただけなノメ」
「私を救う? ヒーローなんていらないんだよ」
ライは新たな魔法道具を取り出そうと腰に巻いた袋に手を入れる。
「死んでよヒーロー」
取り出されたのは銀色のナイフ。握りしめる拳からは血が流れ出る。
瞳は鋭く尖り、口からも血を流している。
殺意が滲み出ている。
「ヒーローは死なない。お前を救うまでは」
生命力の大部分を龍の攻撃に使い果たしたため、動く気力も湧いてこない。
瓦礫を背に、東雲は消え行く火のように意識を朦朧とさせていた。
対してライはまだ気力が有り余っている。
少女が握るナイフは容易に東雲の心臓を貫くだろう。
ナイフが届く距離まで近づいた。
「私の復讐を邪魔した報いだ。これは……正しい裁きなんだ」
ナイフを持つ手が震えている。
殺意に染まった右手。震える右腕を押さえつけるように左手がそえられる。
震えながら右腕を上げる。ライは東雲の顔を瞳に映し、硬直する。
「最後に言い残すことはあるか」
ライは言った。
少女は期待していた。少女は求めていた。
「……そうだ。これ、」
東雲はポケットから携帯を取り出す。
「まだ、お前の携帯、登録してなかったな……ノ」
「……うん」
少女にとって、それは嬉しい言葉だった。
誰とも繋がりを持てなかった少女にとって、その言葉は繋がりを持つことそのものだった。
「それで最後か」
「まだあるノ……」
ライは静まり、東雲の言葉を待つ。
「お前、嘘をついたノ……」
「嘘なんかついていない。私は真実が大好きだから」
少女の子供の頃の約束。
母と交わした大切な約束。
どれだけ寂しくても、どれだけ苦しくても、少女は母に正直者になることを誓った。
真実は少女にとって大切なもの。
母との絆そのもの。
「だから、私は嘘をついた」
少女は隠していた。東雲は分かっていた。
「もう、一人で抱え込むのは嫌だから。私のすべてをぶちまける。私の独白、聞いてくれる?」
東雲は力なく頷く。
「私はずっと下を向いていた。あの時、弱者に対する虐げが始まった日、私は見た。この世のものとは思えないほど恐ろしい顔を」
少女の脳裏に熱く刻まれた苦しみ。
与えられた恐怖に、あの頃から少女は支配されていた。
「見たくなかった。見られたくもなかった」
他人が怖い。
恐怖の存在=他人になった。
「私は常に母を見ていた。嘘をつくなと言った母。嘘をつかずに生きてきた。結果、私は友達に恵まれなかった。もしあの時、友達がたくさんいれば私は虐められずに済んだんだ」
一人の人間が標的であれば、大多数の人間は虐めることに否定的な意見は持たない。
言葉で、力で、そうやって楽しんだ。
常に誰かに下にいてほしいと抱く者。下を見て、虐げることが喜びである者。
耳を塞ぎ、見ないふりを、聞いていないふりをしたかった。
「母が嫌いだ。地獄に落ちてほしかったから。だから私は下を向く」
少女は怨念を口にした。
「私は高校の制服を着ている。あの日から逃げたかったから。あの日を拒んだから。私は小学生じゃない。そう言い訳をするように高校の制服を着た」
逃げたかった。怖かった。
「魔女と悪事を働く日々。私はそれに幸せを感じていたんだ。居場所と思える場所ができたから」
魔女との日々を思い出す。
今思えば、自分の潜在能力を使われていただけだった。
あの日、魔女に翼を奪われた。
遠くへ行かないように縛りをかけられて。
「私はまだ、高く飛べるかな」
少女は夢を追いかけるあの頃のように。
ヒーローを追い求める昔のように。
手を空に伸ばし、未来を馳せる。
「飛べるよ。翼をもがれていたって、新しい翼を身につければいい。そうやって私たちは成長していくんだよ」
東雲は続ける。
「思春期は天使のように。堕天使になるのも大天使になるのも全部自分次第ノメ」
東雲はぎゅっと少女の手を握る。
少女はその手の温もりが消え行くのを感じながら、瞳の端に涙を浮かべた。
「……うん」
少女は知っている。
それでも、その言葉は少女を導いた。
「私は、誓いを立てる。これからに向けて」
少女は向いた。振り向いた。
三世、愛六、琉球が立つ瓦礫の丘を。