物語No.75『そして少女の人生は狂い出す』
「すぐ治癒魔法をかけてやるノメ」
「下に、もう一人負傷者が……」
痛みに耐えながら声を絞り出す。
「まあ待て。お前を治癒したらすぐに向かうノメ」
私は治癒魔法により腹に受けた傷は徐々に治っていく。受けた傷が甚大だったために完治しないものの、動きに支障がないほどに回復した。
「ところでお前、体育祭は参加しないノメ?」
「いいんですよ。私は、別に馴染めませんから」
空元気に言ってみせた。
東雲さんは私の顔をしばらく凝視した。
「たまには勇気を出すのも良いノメ。きっかけはいつだって突然ノメよ」
「そう、ですか……」
「私は下の奴の治癒を済ませたら報告しなきゃいけないノメ。また何かあったら連絡するノメ」
風のように去っていく。
少しの時間だったが、私は東雲さんに会って少しだけ勇気を貰った。
今まで避け続けてきた会話、今まで避け続けてきた行事。
今日だけ頑張ってもバチは当たらないよね。
だが、世界は残酷だった。
死神が鎌を振り下ろすタイミングを私たちは知らない。だからこれもそういうことなのだ。
クラス対抗リレー。
これはクラス全員で参加する形のリレーのため、当然私も参加することになっている。
今まで参加すべき種目はサボったものの、これだけは参加しようと決めた。
「今までずっといなかったけど何かあったの?」
真っ先に委員長が駆けつける。
「い、いえ。そういうわけじゃ……」
会話が続かない。うまく話せない。
私はなんと言えばいい加減分からず、結局そのままフリーズした。
「体調悪かったら無理しないでね。やっぱりクラス全員元気の方が良いからね」
こんなにいい人だったんだと、今気づいた。
今まで見ようとしていなかった。だがいざ面と向かえば印象は違う。
「あのー、」
「どうしたの?」
「私、リレー、頑張ります。サボった分も頑張りますから」
「大丈夫だよ。気楽に気楽に」
委員長は優しく私の背中を叩いた。
嬉しくて、嬉しくて、気分が踊る。
見えていた世界が一変する。そんな予感がしていた。
リレーが始まる。
私たち六年九組は一位を保っている。だが私の順番が来る直前で一位と二位のデッドヒートが始まる。
ここは頑張り時だとハチマキを締め直し、バトンを受け取る。
思いの外身体は動き、幸い接戦しているクラスの相手は私と同じくらいの運動神経。これなら勝てると腕を大きく振り、次の走者へバトンを託す。
託した。
託したかった。
でも、悲劇は起こった。
私がバトンを渡した直後、接戦をしていた相手走者が私のレーンに割り込み、そこで足が絡まり、相手は転ばなかったものの私は思いきり転んだ。横転し、三回転して地べたに顔をつける。
膝を擦りむき、痛む。側にいた同じクラスの女子が私を心配し、駆け寄ってくる。私は大丈夫だと強がり、水道に向かった。
「…………」
なんと言えば良いのだろうか。
分からないまま水道で擦りむいた膝を洗う。汚れた体操服も洗いたかったが、冷たいのは嫌だからやめた。
膝を洗い終え、戻る。
既にリレーは終わっていた。
リレーが終わり、一旦食事休憩を挟む。皆が散り散りになり、私も去ろうとした。だがその時、ある生徒が言った。
「おいこいつ、こいつのせいで俺らのクラス最下位なんだけど」
私は相手走者にぶつかって転んだことが原因だとすぐに分かった。それと同時に、恐怖を覚えた。
寄ってくる多くの生徒。
全員が同じハチマキをつけている。一組の生徒だ。
「へえ、こいつ自分からぶつかっておいて謝らないんだ」
「うざくね」
やめて。
「謝ることもできないって人間失格じゃん」
「謝れよ」
やめてよ。
「早く謝れ」
「この期に及んでまだ謝らないとかどういうこと?」
大勢に周囲を囲まれ、逃げ場はない。時々誰かが背中を押して、リーダー格と思われる生徒に押しつけられる。
集団的な圧力。
私は察した。ここで謝らなければひどい目に遭う。
「ごめんなさい」
謝るしか選択がなかった。
たとえ私が悪くなかったとしても、謝らなければ私が死ぬ。
「そうだよな」
「やっと謝ったのかよ」
「遅すぎ」
私は拳を握り、グッと堪えた。
頭を下げ、下を向くだけ。
「じゃあなーー」
最後、誰かが私の名前を言い、頭をポンと叩いた。
悪い予感がした。
私の世界が曇り始めた。
それは正しかった。
私が一組の教室前を歩いていると、ある声が聞こえてくる。
「あいつまじ最悪だよな」
「人の足に引っかけてわざと転んだだけの奴がさ」
「まじ死ねよな」
耳を塞いだ。
それでも消えない。
心に負った傷は簡単には消えない。
言葉だって人を傷つけるのに。どうして私は傷つけられる。どうして私に自殺をせがむような言葉をかける。
もし魔法があれば、私は奴らに復讐していた。この傷を痛みで償わせるためにあらゆる手段を尽くすだろう。
でも怖かった。動けなかった。
目を背けていればその内解決する問題だ。
私はそう願い、教室を去った。だが翌日、私の下駄箱から上履きがなくなっていた。
「…………」
突然廊下で背中を押される。
堂々と私の目の前で悪口を言う。
私が通る度に奴らは顔を見合わせて嗤う。
「…………」
最終的に、暴力にまで発展した。
心だけでなく、身体まで蝕まれていく。
誰かに助けを求めればよかった。だがその行動を取る勇気は私にはなかった。あったら奴らに一撃は復讐している。
東雲さんに迷惑はかけられない。
だが東雲さんは私の顔を見て、何か察していたのだろう。
「何か困ったことはあったのか?」
「いえ。大丈夫ですよ」
そう返した。
他の人に飛び火が行くのを避けたかった。
もう、この痛みは消えないから。耐え続けるしかないと思った。
きっとこの痛みにも慣れて、私は一人を肯定できるようになると思っていた。
「…………」
慣れないよ。
蓄積されていく。
憎悪が。悲痛が。殺意が。
この時、私は思い出した。
ーー思春期には不可思議な現象が起きやすい。
きっと私が接続者であったことが幸いだったんだろう。背中を踏みつけられる最中に身体の内からわき上がる何かを感じた。
全部嘘であったら良いのに。
全部嘘になったら良いのに。
願いは形に。
嘘は現実に。
私は潜在能力に目覚めた。
目覚めたその日、不思議と潜在能力の使い方を知っていた。本能的に感じていた。
自分にどのような変化が起こったのか。自分がこれから何を行うのか。
「消えろ」
その一声で全てが変わった。
私を踏みつける足も、私を傷つける声もなくなった。
その日の私はハイになっていた。
ある日、六年一組の生徒が一人残らず消えた。
だが誰も気にすることはない。最初からそこには誰もいなかった。誰もその空き教室に違和感は持たない。
私は嘘で人を消した。
きっとそれがトラウマになった。私の潜在能力には大きな制限が生まれた。
恐怖した。後悔した。
私は人を殺した。それ以上のことをした。存在そのものを消したんだから。
心に蓋がされる。
潜在能力にも蓋がされる。
私は泣いた。
自分は間違っていたと、心に深い傷を残して。
「あなたは、間違っていたのかしら。間違っているのは君じゃない」
その日、魔女は現れた。私の心を鷲掴みにして。
「私はあなたを救いに来たのよ。あなたは何一つ間違ってなどいない。正しきあなたは私とともに来るべきなの。私はあなたを否定しない。あなたの全てを肯定するわ」
私には必要だった。自分を認めてくれる存在が。
「私と契約を交わしましょう」
迷わず選んだ。
彼女との契約を。
「あなたの名前はライ。これからはそう名乗りなさい」
「分かったよ。魔女エンリ」