物語No.74『嘘にしたいほどの過去』
思い出したくなかった。
できれば、その記憶が嘘であってほしかった。
だから私は自分が嫌いだ。
体育祭。
私はその日を望まない。
なぜなら私には汗を一緒にかき、喜び合える友がいないから。
本当は、そんな行事はなかった方が平穏だったんだ。
「お前ら、一致団結して優勝するぞ」
学級委員長は言った。
クラスメート全員で円陣を組み、その中に私は一応入っていた。
六年生になって行われる初めての体育祭。今回は六年生だけで行われるため、規模は小さい。だが教師陣は学年で生徒同士の結束を深めるために必要だと判断し、行っている。
この体育祭が終わっても、初等部や中等部、高等部も含めた体育祭もある。私は一度だけでは終わらない体育祭が憂鬱だった。
一致団結の証として青いハチマキを巻く。
他のクラスも赤や紫で統一し、体育祭は熱を帯びていた。
「さあ、体育祭が始まりましたあああああ」
元気な声を皮切りに、体育祭は幕を開ける。
開幕早々、私は屋上に向かった。
当然体育祭に真剣な態度で取り組むなんて真似はできなかった。私が一人で浮かれれば周囲は私をどう思うだろうか。
常に一人の私にとって、可もなく不可もなくを取り繕わなければいけない。
「あーあ、今日は最悪な日だ」
憂鬱に支配されていた。
まばたき一度で一時間が経過するような能力が欲しかった。ため息を一度でこぼす度に時間移動できる能力が欲しかった。気持ちが落ち込む度に世界の記憶が一変する能力が欲しかった。
私は幻想する。
敵わぬ夢に思いを馳せる。
「なあお前、こんなところで何してるノメ?」
振り返ると、開いた扉の側に私と同い年くらいの少女が立っていた。
水のような麗らかな髪を揺らし、龍のような円らな瞳で呆然と見つめてくる。
「屋上に人がいると面倒なんだが、お前はずっとここにいるつもりノメ?」
「……ま、うん。そうかな」
慣れない会話に拙い返答を返す。
「そうか。残念ノメ」
少女はチラリと私を見ると、すぐに視線を反らして屋上から去ろうとする。
去り際、私は見てしまった。
それを見た時、思わず声が出る。
「りゅ、龍ッ!?」
少女の背後には、青い鱗を纏う龍がいた。
見間違いではない。ぼんやりとだが、少女の背中に龍の顔から身体までの一部が見えた。
「お前、見えてるノメ?」
少女は驚き、足を止め、私を見る。
「そうか。お前も接続者なノメ」
「接続者……?」
「分かりやすく言うと、お前は異世界へ行ったことがあるノメ?」
「異世界……?」
「行ったことがないはずはないと思うノメ。モンスターが見えるのは接続者だけノメ」
異世界という言葉を聞き、思い出すことは確かにあった。
多分、私は異世界へ行ったことがある。
小学校に入りたての頃の話だ。今の私もそうだが、昔から人と話すことが苦手だった。
この世界から逃げようとした。だが子供は多くのものに縛られ、自由の羽はもぎ取られている。到底一人で生きていくことはできない。
現実世界では逃げるにも逃げられない。
だから逃げた先が異世界だった。
だが、その時の体験をほとんど覚えていない。夢だと思っていた私には、到底信じがたいことだったから。
それが現実、いや、異世界で起こった事実である可能性は少女との会話で高まった。
「ならこれからすることを見られても何に問題はないノメ。お前、名は?」
「ライ」
「私は東雲ノメ。お前は私が接続者だと誰にも明かすこともせず、これからすることも秘匿するノメ。当然できるノメ」
「は、はい」
思わず肯定する。
東雲は階段へ進めていた踵を返し、屋上へ戻る。
「さて、探すノメ」
「あ、あのー、何か探しているんですか」
「モンスターノメ」
「ももも、モンスターですか!?」
まさかこの学園にモンスターがいるとは。
私は言葉も出ず固まっていた。
「時折、モンスターが異世界から境界を破り現実世界に侵攻するノメ。私はその討伐を請け負う接続者ノメ。ま、今回は別例だけどね」
「あのー、わ、私も手伝いたいです」
「嫌ノメ」
「ぇぇ……」
勇気を出して言った言葉が簡単に弾かれ、心に深い傷を負う。
「現実世界での魔法の使用はこのバッジを持つ者にしか許されないノメ」
「わ、私は魔法使えません」
「体術は?」
「ここ数ヵ月は運動してません」
「体育は?」
「貧血と嘘ついて見学してます」
「足手まといノメ」
「だ、だよねー」
振り絞った勇気はハエを叩くように振り落とされた。
私はひどく悲しい表情をしていたのだろう。
「連絡先」
「……えッ!?」
東雲さんの手に握られた携帯電話。画面には感知式友達認証システムが既に起動されていた。
お互いの携帯がこの画面をし、携帯を近づけるだけで友達になる。携帯での友達になれば電話やメールをすることが可能になる。
「モンスターを見つけたら私に報告を。多分お前では相手にならないから戦いはするなノメ」
「そ、そんなに強いのですか?」
「学園ではなぜかモンスターの出現頻度が激しいノメ。それについて幾つか考察が成されているが、私が最も信じている説は思春期の不安定さがモンスターを発生させるというものノメ」
「思春期が……ですか?」
「現に、思春期には不可思議な現象が起きやすいノメ。接続者の多くが思春期であるという報告もあり、思春期という時期が何か大きな影響力を持っていることは確かノメ。そして今日は体育祭。正も負もいつも以上の混乱と無秩序に飲まれる。今日という日には確実にモンスターが発生し、その上強い」
私は淡々と頷いた。
ただ、話している内容は正味理解に足るものではなかった。
「とりあえずモンスターの件は任せた」
そう言うと、東雲さんは背中にぼんやりと漂っていた龍を顕現させ、龍の背に乗る。
「不可視化魔法」
その呟きの後、東雲さんの姿は消えた。
「……魔法ッ!?」
不可視化の魔法。
なんとなくだが、そのまま龍に乗って空へ飛んでいった気がした。
私はこの日、異世界に魅了されたんだ。
私は学校を歩き回り、モンスター探しを始める。
孤独な体育祭へ参加することよりも、異世界へ行きたいと思った。その思いが私を現実世界から遠ざけていることを感じながら。
ふと時計が目に入る。街灯の隣に建てられた時計。
時刻は十一時。今頃私が参加するはずの障害物競走が始まっているはずだ。
だが私は使命を与えられた気がした。誰も友もおらず、孤独なレースには向かいたくない。
気付けば目を逸らしていた。
校庭には戻らない。
♤
「いやぁぁぁぁぁああ」
悲鳴が響く。
方向から考えると場所は駐輪場。
急いで駐輪場へ向かう。
「…………あ、あれはッ!?」
広がっていた光景に私は唖然とした。それとともに死に対する恐怖心がわき上がる。
まず見えたのは、頭から血を流して倒れている男子生徒の姿だった。
男子生徒が倒れる壁は小隕石がぶつかったようなクレーターができていた。
男子生徒を見下ろすモンスターの横顔を見た。
頭は黒猫、胴体は分厚い体毛で覆われ、筋肉質な肉体を持ち、二足歩行をしている奇妙な生物。
わたしはその生物を見て思った。
「ば、化け物ッ!?」
私はすぐに報告すべきと判断した。
だが叫びが聞かれていた。化け物は私を見ると、標的を私に選んだ。
「これは死んだな……」
直感する。敵わないと。逃げなければ死ぬと。
「に"ゃ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」
携帯を取り出した。しかし起動のスイッチを押すよりも先に化け物は目にも止まらぬ速さで私の正面に立っていた。
目が合う。瞬時に覚える死の感覚。
まるで全身を舌で舐められているような寒気が全身を駆け巡る。身体は逃げることを望みながら微動だにしない。動くことさえ拒まれる絶望感。
「ああ、終わった」
迫る恐怖からは逃れられない。それを受け止めるだけで身体は少し楽になる。まるで身体が軽くなったように、宙に浮かぶように……
腹に入る衝撃とともに、身体は宙に浮かんでいた。浮かぶ、などという生易しいものではない。拳の一振りで人間が吹き飛ぶほどの威力。
「なんだよこれ……。確定した死ほどつまらないものはないな」
校舎を軽々と越え、屋上に転がる。
腹から円心状に広がる激痛に苛まれる身体は悲鳴をあげていた。意識も記憶も吹っ飛ぶほどの痛み。
「……あっ、ぐ…………、ゲッ……」
これは死んだ。
察する絶望。
せめて東雲に連絡をしようと、壊れかけの機械のような動きで携帯を取り出した。だが連絡を取ろうと起動した時、無意味だったことを悟った。
「なんだよ……。連絡先交換してなかったじゃん」
助けは来ない。ここで死ぬ。
化け物は十メートル以上もある高さを跳躍し、死は屋上に現れる。
死が急迫する。
ここで脳裏を駆け巡るのは走馬灯というやつだ。だが私には大した記憶がない。
今まで嫌なことばかりだった。
私は今日を望んでいたんだ。自らでは命を絶てない。誰かに自分を殺して欲しかった。
死んでも後悔はない。悲願が叶うだけだから。
おやすみ。
ようやく私は眠れる。
目を半開きにし、現実を薄い瞳で受け止める。
迫る死がこれほど待ち遠しいものだったのか。
化け物の足は振り上げられる。左足を軸にし、右足を自分の顔よりも高く上げる。
バランス力の高さについ笑ってしまう。
やがて足は振り下ろされる。特大のクレーターを発生させてーー
「ーー殺せ」
足が振り下ろされる直前、化け物の胴体は消滅した。まるで龍が通りすぎたように、一瞬で。
「……ノメッ」
龍に乗った東雲さんが颯爽と現れた。
まるでヒーローのように。