物語No.62『勝利の翌日』
五月四十一日。
魔女との戦闘を終え、三世たちはギルド街へと帰還した。
列車から警備をしていたギルド第三師団と魔法警察のメンバーは、ギルド街で待機していた別の部隊と任務を交代する。
ギルド街には、勇者ミロが腰に剣を携え、完全武装した状態で待機していた。
「魔女の脅威に打ち克ったのですね」
勇者はボロボロになった三世やその仲間たちを見て、死闘を繰り広げたことを察した。
「長旅を終え、死闘を終え、ひどく疲れているでしょうから、ギルド本部で休息をとることをおすすめします。もちろん、代金は私持ちで構いませんよ」
勇者は胸もとを覆う鎧の下に手を滑り込ませると、ジャラジャラと音がする布袋を取り出した。
綴じ紐をほどくと、袋一杯の金貨が露になる。
愛六の目は釘付けになり、口をだらしなく開き、よだれを垂らす。
「稲荷ちゃん、大金だよ大金」
「寿司食べたい」
愛六と稲荷は欲望丸出しにして金貨を見つめる。
「負傷者は私についてきてください。他の者はこのお金で食事をしてきてください」
勇者の手のひらに無防備に置かれた布袋。
稲荷は容赦なく、勇者が差し出した金貨袋を掴み、愛六とともにギルド本部へと駆け出していく。
「相変わらずだね」
暦は涼しい顔で二人を静観する。
「あいつら……」
琉球は苦い顔で頭を抱える。
「…………」
勇者は平然を保ち、視線は去っていった二人ではなく、終始三世に向けられている。
視線に気付き、三世はおろおろと目を右往左往させる。
その反応に好感を持ち、勇者は口もとに微笑を浮かべる。
「では負傷者は私についてきてください」
背を向ける直前まで、勇者の視線はただ一人の少年へ向けられたままだった。
三世はなぜ勇者が自分を見つめるのか当惑していた。だが負傷していたのもあり、ギルド本部へと入る勇者の後を追う。
三浦、しいな、銀冰もともに後を追う。
♤
ギルド本部六階。
勇者を筆頭に、三世、三浦、しいな、銀冰が病室で診察を受けていた。
診察をしているのは、ギルド所属の医者の中でも有数の実力を誇る敏腕女医。
「ギルド高等医ペイン」
黒と青が入り交じった暗い色の長髪を揺らし、夜空のように暗い瞳をした女性。
体に密着した半袖の白衣を着ており、服の外で露になった首もとや腕、くるぶしは全て包帯で覆われている。
首に下げた聴診器を三世の額に当て、瞳を閉じる。
勇者は壁に背を当て、仕事ぶりに感心しながら、ペインの一挙手一投足に目を離さなかった。
「聴診器を当てるだけで体の治療案件を感知できる、君専用の魔法。これまで治療不可能とまで呼ばれた幾つもの傷を治し、異世界医学に大きな貢献をもたらした名医。幾度も私のパーティーに勧誘しているが、断り続けていたっけ?」
「私は死にたくないんだよ」
勇者の呟きに、ペインが軽くいなすように返事をする。
「私なら必ず護れるよ」
「世界に絶対はないんだよ。あるとすれば、神の前だけだ」
ペインの呟きに勇者はハッと表情を一変させる。
「なるほど神か。いるとすれば、どんな見目をしているのだろうな」
「さあ。一つ言えることは、結局それらは虚像に過ぎない。なぜなら神は、私たちよりも上の次元に存在するのだから」
勇者と会話を続ける間に、ペインは全員の診察を終えていた。
聴診器を耳から外し、首に垂らす。
「全員治癒魔法で多少治癒しているようだが、やはり魔女の魔法は骨身に染みる。一流の治癒術士でも苦戦はするかな」
「ペイン先生に限ってそんなことはないんでしょ」
「無論だ。私に治せない傷はない。女三人は私とともに来い。男はここで待機していろ」
ペインは立ち上がると、三浦、しいな、銀冰の三人に目配せをし、ついてこいと促した。
少し恐い目つきに怯み、三人はお化け屋敷に入るかのように寄り添い合いながらペインとともにカーテンの向こう側へ行った。
「絶対に覗くなよ」
カーテンを閉める直前、ペインが悪魔を宿した目つきで言い放った。
脅え、竦み上がる三世を見た勇者は満足そうに笑った。
「魔女と死闘を繰り広げた勇気ある冒険者は変態だったか」
「ち、違いますよ。別に……そういうことには興味ないです」
「大ボラ吹きめ」
勇者は乱暴に三世の背中を叩き、笑っている。
意外にも痛みがないことに驚きつつ、視線はチラチラとカーテンに向けられる。
勇者は見ないふりをして、大人な対応を見せる。
視線がカーテンに向けられるのはそれまでで、後は勇者の装備に視線が送られる。
勇者は椅子に座る三世を見下ろす形で見て、一人静かに考えていた。
考えに考えた挙げ句、勇者は問いかける。
「三世、お前はこれまで幾度も魔女と死闘を繰り広げてきた。もし次一人で戦うことになったとすれば、勝機はあるか」
唐突な質問に驚きつつも、しばらく黙考する。
「僕一人では無理ですかね」
考えた末に、自信のない声で答えた。
勇者は弱気な三世のつま先から頭までをざっと見し、ため息をこぼす。
「確かにな。今のお前では魔女は倒せない」
「……はい」
「だが、お前は一人じゃない、だから仲間と魔女を倒せ……と言うつもりはない。結局、お前に力がなければ意味がないからな」
勇者は三世を気にかけていた。
三世もそのことが不思議だった。
どうして自分のような弱く、幼い少年に気を配っているのか。
勇者はしばらく無言で三世を見ていた。
その目には懐かしさがあり、親近感もある。
不思議な目だと見入り、しばらく見つめ合っていた。
再び沈黙が降りる病室。
このままでいいとさえ思える心地よさに、三世は浸っていた。
この沈黙を壊すことを躊躇う中、
「これまでの功績を考慮した結果、やはりお前は勇者たる器を持っているな」
勇者は自然と声を漏らした。
「僕が……ですか?」
「今のお前は低級のモンスターにも苦戦する、駆け出しの冒険者。だがしかし、この先辛いことが幾度も降りかかり、時折仲間の屍を前にすることがあっても、歩むことをやめない限り立ち止まることに支配されない限り、私を越える勇者になる日が来るかもしれない」
勇者は冗談で言っているわけではない。
真剣だと分かっているから、三世も真摯に聞いていた。
「もし私がいなくなったならば、次の勇者はお前しかいない」
勇者の指が三世を指す。
「ぼ、僕が……なれるわけないですよ」
「お前は私が見込んだ次世代の勇者。勇者である限り、人前で弱さを晒すことは許されない。常にあらゆる者の頂点で居続けなければならない」
言葉からは重みが伝わってくる。
一つ一つが死地を乗り越え、実力を得た勇者たる発現。
「魔女を出し抜く策略、行動力をお前は持っている。失敗もする、それを覆す成功もする。この先幾度もの経験をして、結果を出せば、自ずと自信はついてくる。ーーだから戦え」
勇者の瞳が訴える。
目の前にいるのは、異世界最強の冒険者ーー勇者である。
「いつか必ず私を越える。だから戦え」
勇者は三世の頭をなでなでする。
懐かしいものを垣間見るように、そっと撫でる。
「私は上で待っている」
勇者は依然勇者だった。
勇者との会話に三世は喜ぶとともに、重圧を感じた。
勇者に見られている、期待されている。自分に応える実力があるのだろうか、それが気がかりだった。
口に出さずとも悩んでいる。
勇者はそれを分かっている。だからこそ彼に言った。
だがあまりにも反論しない三世に少し不安を覚える。
「時には自分の思いをしっかり相手に伝えるのも大切だ。お前は抱え込む方だから、たまには自分をさらけ出せ。反論したければ反論しても構わないからな」
「は、はい……」
会話はそれきり。
カーテンが開かれるまで、三世はこれからのことを考えた。
だがしかし、答えは出なかった。
♤
ギルド本部四階。
温泉やゲームセンター、食事処が多く立ち並ぶ娯楽階層で、愛六と稲荷が金貨を撒き散らし、豪遊していた。
四人の集団は広い廊下を歩き、行き先を決めていた。
「寿司行こ寿司」
「寿司はさっき食べたでしょ。次はゲームセンターでしょ」
「稲荷はお腹空いたのだ」
愛六と稲荷が次の目的地を巡り、熾烈な争いを繰り広げている。
間に割り込むこともなく、暦と琉球は事態の顛末を傍観する。
「どっちが勝つと思います?」
「稲荷じゃないか。異能を使えばイチコロだからね」
「俺は愛六に賭けますよ。一応愛六は俺らのクラスの女子を束ねる首領的立ち位置ですから」
「それなら稲荷だって負けていない。稲荷は世界中を旅する根気がある。体力尽きるまで反論するさ」
愛六と稲荷の口論は激化し、浴衣の胸ぐらを掴み合うほどに発展していた。
「止めます?」
「いいよ。二人は手を出さない。あくまでも威嚇さ」
暦が静観する横で、琉球は心配になっていた。
二人の争いは収まることを知らず激しくなり、とうとうお互いに手を振り上げる。
「あーあー、手が出る五秒前ですよ!」
「大丈夫」
暦が微動だにせず固まる横で、琉球が我慢できずに飛び出した。
琉球が二人の間に入った瞬間、拳は限りなく遅いスピードで振り下ろされた。
あまりにもタイミングよく間に入った琉球の頬を、二人の拳が挟む形で直撃した。
「ちょ……っ!」
「なんなのだ!」
拳を振り下ろした二人が仰天し、振り下ろされた琉球は「なんでぇー」と情けない声を上げ、その場に倒れた。
「当てる気なかったのに」
「寸止めしようと思ったのだ」
二人の鋭い視線が琉球に刺さる。
助けを求めようと視線を移す琉球だったが、暦の視線は琉球ではなく別の方向に向けられていた。
三世、三浦、しいな、銀冰が戻ってきた。
「傷はもう治ったのかい?」
「ペイン先生のおかげです」
魔女戦時には動かすだけでひどい激痛が走った腕をグルグルと回し、傷の具合を明らかにする。
「安静にしてなきゃ傷が開くらしいぞ」
「……えっ!?」
「痛ァァ」
腕を押さえ、わずかに痛みが腕を走る。
勇者は遅かったと思いつつ、馬鹿だなとも思っていた。
「さっきは次世代の勇者とか言ったけど、これじゃ訂正しようかな」
「そんなー。次世代の勇者、カッコいいのに」
腕を押さえながら、次世代の勇者という響きが遠ざかるのを惜しみ、勇者の撤回を求める。
それを聞いていた愛六はすかさず三世のもとまで移動し、
「ってか速っ!」
三世に詰め寄り、恐ろしい形相で睨みつける。
「あんたが次世代の勇者? 私よりも先に、勇者に認められてるんじゃないわよ。私だって数年後は勇者だし」
三世は口を閉じる。
だがふと病室で勇者に言われた言葉が頭をよぎる。
反論を決意し、拳を握り締め、立ち上がる。
「僕は……僕が先に勇者になるんだ」
反論されると思っていなかったのか、愛六は一瞬驚いた。
だがここで負ける愛六ではない。
「あんたが先? 絶対私が先に勇者になるんだから。あんたに渡すつもりはないわ」
「じゃあ勝負だ」
二人は顔を見合せ、互いに睨み合う。
「僕か」
「私か」
「「どっちが先に勇者になるか勝負だ」」
二人の言い争いを見て、周囲は不思議と期待の笑みを浮かべていた。
どちらが先に勇者になるのか。
現勇者はライバル登場だと期待の眼差しを向け、
暦は三世の急成長に驚き、
三浦はもちろん三世一択で、
しいなは三浦の視線が三世一直線に向けられていることにとある疑いを持ち、
銀冰はやはり三世は勇者たる人物だと頷き、
稲荷はお腹を押さえ、
琉球は二人の争いを見て暦のもとへ向かった。
琉球は再び暦に言う。
「どっちが勝つと思います?」
「これは難しいな」
愉快に微笑み、しばらくして暦は賭けに乗った。
「ボクはーー」
「俺はーー」