物語No.60『過去を越えて』
魔女にとっては不快でしかなかった。
他人の不幸が自分の幸せであったのに、二人が不幸を抜け出そうとしていたのだから。
魔女は笑わなかった。
「片方殺して反応を見ようか」
魔女は瞬間移動により二人の背後に回り込んだ。
だがまるで読んでいたかのように、しいなは無視で銃口を後ろに向け、引き金を引く。
予想外の動きに反応できず、銃弾は頬をかする。
空中を浮遊して頭上に逃げ、かすり傷がついた頬に触れる。
「私の動きを読んだの?」
「いいや。お前は魔法の天才。ならば一瞬で消えたということは瞬間移動、移動先は背後しかない、と考えただけだ」
「へえ、やるわね」
だが褒める気はなく、苛立ちが込められているだけ。
「でもすぐに強気を言えないようにしてあげるわ」
魔女は再び瞬間移動により消える。
しいなは再び背後に銃口を向ける。だがブラフであり、頭上にいるだろうと空を見上げる。
ーーが、魔女はまだ目の前にいた。
「透明化よ。こんなことも見破れないのね」
魔女の手がしいなの腹部に触れる。
直後に伝わる全身を震わす電撃。
しゃがみ込みはするものの、腹を押さえるだけでそれほど痛みは感じていない。
魔女の瞳でしいなを凝視し、その理由を理解する。
「即座に対魔法を三種類発動したか。毒、電気、氷。確かにこれら三つは受ければ身動きがとりにくくなる。最悪行動不能に至る。だけどさ、私ほどの魔法使いであれば火炎で一瞬で消し飛ばせるし、風で全身を木っ端微塵にできる」
「じゃあ、ゲホッゲホッ……なぜそれをしない」
「私はあなたたちの苦しむ表情が見たいの。一撃で殺してしまえば白紙の感情が残るだけ」
「そうか。油断、軽率、だからお前は何度でも失敗を繰り返す」
しいなは魔女の足下を見たまま、銃口を魔女の頭部があるであろう場所へ向け、引き金を引く。
だが魔女はしいなの思考を知っている。故に銃弾は宙を泳ぎ、そのままどこかへ消えていく。
「弱いわね」
魔女は口に微笑を浮かべる。
「かわせるのかよ……」
引きつった表情で毅然と佇む魔女を見上げる。
魔女はしいなの持つ拳銃を蹴り飛ばし、今度は三浦に視線を向ける。だが三浦は目の前にはいない。
動揺するーーこともなく、すぐに三浦の動きを理解する。
「頭上よね」
魔女の頭上から襲来する三浦が剣を振り下ろす。だが剣は空気の壁に弾き返される。
力の限り剣を振るっても、刃は魔女には届かない、
「私の前であなたたちは無力よ」
魔女は腕を一振りするだけで、二人は突風に吹かれたように宙を舞う。地面に激しく打ちつけられて、全身を傷にまみれさせる。
しいなは壁に背をつけ、地面に転がる。三浦は屋根の上に転がり、動かない体に力を入れながらしいなを見る。
魔女は三浦には目もくれず、しいなの前で足を止める。
「あなたの心って結構複雑よね。結局、自分の殺意を消しきれてない。行き場を失った復讐心が、右往左往し、迷子になって、いつまでもあなたの心に残り続ける」
魔女は見ている。
しいなの心を瞳で凝視し、しいなの思考を視覚情報として認識している。
「あなたを苦痛から解放してあげようかしら」
魔女は短剣を握り締める右腕を振り上げる。だが振り上げたまま静止し、そっと右腕を下ろした。
「…………」
魔女は右目を右手で覆い隠し、ぼんやりと考える。右目を隠したのは、自分の考えに意識を向けたいから。
あらゆる情報が視覚情報として認識できるために、自分自身の考えに集中しづらい。
自分の思考に意識を向けたからこそ、彼女は気付いてしまった。
「しいなを操って三浦を殺す……っていうのもありよね」
ーー最悪な殺し方に。
魔女は笑った。
故にしいなに魔法をかけた。
三浦に対する殺意を増幅させ、自然と右手に刃を握らせる。
「さあ殺しなさい。三浦はあなたの仇でしょ」
魔女が耳元で囁いた。
傷を負い、身動きがとれないほど疲弊していたしいなだったが、不思議と徐々に気力が戻り、動けるまでになっていた。
「さあ、怒りを、怨みを、殺意を、あなたが心に秘めている全てを爆発させなさい」
呼応するように、しいなは殺意に満ちていく。
もし殺意が実体化したならば、この場にたちまち無数の刃が降り注ぐだろう。
「絶ッ対に殺してやるッ」
空気を歪める叫声が轟く。
まるで無慈悲な神が悪戯に賽を投げたように、二人の関係は振り出しに戻る。
「殺しなさい。二階堂しいな」
二階堂しいなの視線は三浦のみに注がれている。
宿敵であるはずの魔女を真正面に捉えながらも、敵意も怒りも全て三浦にぶつけている。
「三浦友達、お前は私を裏切ったんだ。私の分までちゃんと死んでよ」
理性が失われていた。
魔女の魔法はそれほどに、隠していた本性を剥き出しにし、それを増幅させる。
魔女がかけたささやかな回復魔法。
故にしいなは屋根に飛び乗り、転がる三浦に遠慮なく刃を振り下ろす。刃は三浦の頬を真っ赤に染め上げる。
刃は頬に深い傷を残すだけ。
「顔をずらして死を免れたか。だが結局死ぬというのになぜ抗う」
「…………」
三浦は声を上げようにも、喉に何かが詰まったように言葉が出ない。
恐怖が、絶望が、三浦を沈黙へ誘う。
「私はお前が大嫌いだ。お前を殺せば私の中から大嫌いは消えてくれる。だから死んでよ。ーー三浦友達」
残酷な刃だった。
しいなの刃はなんのために振るわれるのだろうか。
刃を振り下ろす直前、しいなの頬を雫が染める。
「ーーああ、そうか」
刃は無慈悲に振り下ろされた。
周囲には血が錯乱し、三浦の顔が真っ赤に染まる。
魔女は歓喜し、この上なく込み上げる笑いに身を委ね、腹を抱えて笑っていた。
「最高かよ、最高すぎるわ。ふふっ、本当っ、こういうのは何度見ても飽きないわね」
魔女は笑った。
目の前の光景が自分が望むものだったから。
何度も妨害を受け、遠ざかり続けた現実が今、目の前に起こった。
「三世、あなたも絶望しているのでしょ」
三世が転がっていたはずの場所へ視線を向ける。だがそこに三世はいなかった。
魔女はふと考える。
三世が負った傷はすぐに動けるほど軽傷ではない。少なくとも一日は身動きがとれないほどの大怪我だった。
「ではなぜーー」
考えるよりも先に、魔女の視線は一点へ向けられる。
入れ替わり、もしその能力を使ったとしたならば。
魔女は最悪の想定をし、しいなの方へ振り返ったーーと同時だった。
「この時をずっと待っていた」
魔女の背後より迫る赤い槍と一人の少年。
気配を感じ、背後から迫る正体を確認する。
「「遅い」」
閃光のごとく投げられた赤い槍が魔女の左目を貫き、首を三世の刃が斬りつける。
左目は失われたものの、魔女の首に入った傷は浅い。
魔女は左目を押さえ、首を治癒魔法で回復させながら、右目で襲撃者を睨んだ。
「三世、それに暦……か」
魔女エンリの前に立つは三世と暦。
「じきにここへ魔法警察並びにギルド第三師団が到着する。お前の勝利はあり得ない」
魔女は暦の話を聞いてはいなかった。
治らない左目に危機感を感じ、それとともに疑問を抱いた。
「その槍……お前の槍は何なんだ」
「気付いていると思ったが、やはりこの槍の効力を見ることはできなかったらしい」
「…………」
「この槍はあらゆる理を壊す。魔法、潜在能力、たとえどんな理による力であろうと、その尽くを壊し、これによって壊されたものは二度と元には戻らない」
故に、魔女はその槍の効力が分からなかった。
あらゆる理を破壊することは推測できても、修復できないというのは予想外だった。
魔女は出し抜かれた。
今まで常に先手を打ってきた彼女が今、力の一端である左目を奪われて。
「お前はあらゆる情報を視覚情報として認識できる。だからこそ、お前にとって目は必要不可欠なものであったはず。それを今、壊したぞ」
左目の損失は大きかった。
想定外の損失。
全てを魔法で補えると思っていたからこその怠慢。それが魔女を破滅へ導いた。
「お前との戦いもこれで終わりだ」
「確かに私は追い込まれている」
左目を押さえながら、苦悶に満ちた表情で、雨粒が人知れず落ちるような囁き声で呟いた。
しかしすぐに魔女の表情は一変。屋根上で繰り広げられた惨劇を見ろと言わんばかりにその場所へ視線を向ける。
「だがお前らは仲間を一人護れなかった。私を追い詰めたとしても、護れなかった弱さは消えない」
この場にいる誰もが呆然と空虚に落ち、静かに項垂れる。
魔女はそう思い込み、事実、直前まではそう思っていた。
「……どういうことだ」
魔女は魔法をかけていた。
しいなの憎悪を増幅させる魔法。それだけでなく、魔女はもう一つ魔法をかけていた。
必ず三浦を殺す魔法ーー『死者選択』
それは魔法をかけた相手に、必ず特定の対象を殺させる魔法である。故に、しいなに憎悪がなかったとしても、しいなは三浦を殺しているはずだった。
だからこそ、目の前で起こっている事象が事実かどうか疑った。
確かに三浦の顔は血で染まっている。だが刃は三浦に刺さっておらず、しいなが右手で振り下ろした刃は、しいなの左手で防がれていた。
「どういうことかしら。私の魔法が効かなかったっていうの?」
魔女は状況を理解できなかった。
だが三世は見ていた。だから理解していた。
「効いていたさ。だが、あいつらは乗り越えたんだよ。自分の過去を、自分達の過去を」
過去と向き合い、過去を乗り越える。
「まさか……」
魔女は気付いた。
過去と向き合うことが何を意味するのか。
「ーー二人の潜在能力が覚醒した」