物語No.5『潜在能力』
小さな店だ。
綺麗に建ち並ぶ商店の端で、貧相な雰囲気の店がポツンとあった。
看板もなく、怪しい雰囲気だけが漂い、誰も店だとは思わない小さな店だ。
店の中は、ただ四角く切り取られただけのおんぼろ部屋で、本棚や瓶が無造作に飾られている。
ーーネタバレ屋。
それは店の名前となっているが、彼女の異名でもある。
起こり得るすべての未来を知ることができる超常の存在。
主に占いや探し物の協力をしている。
暦に連れられてきた三人はまず、彼女の容姿に驚いた。
ボロきれで作ったようなローブを着た少女。
フードを深く被っているため、顔ははっきりと見ることができないが、目映く輝く白黄金色の瞳は明白に見える。
「用件は知っている」
まだ誰も、口を開いてはいなかった。
ネタバレ屋は既に事情を把握しているのか、次のように言った。
「潜在能力の解放、願いはそれで合っているだろう?」
「は、はい。そうです」
琉球は畏まる。
彼女が超常の異能を所有していることを、今の言動で既に理解していた。
つまるところ、ネタバレ屋は会話を必要としない。相手が何を望み、自分に何を話しかけようとするのか、その未来さえもこと細かく知ることができる。
暦らがネタバレ屋に何も説明せずとも、話は円滑に進んでいた。むしろ話をする時よりも早く。
「まず説明しておくと、潜在能力は人の過去や未来、そこから生じる思いによって発現するものが大きく異なる。潜在能力とは、いわば願いだ」
三人は彼女の話に聞き入っていた。
「潜在能力を自然と発現することもあるが、多くが外的な力によって強制的に発現させられる力である。だがその場合、稀に、自分の深層心理と向き合わなければいけない時がある。察しの通り、君たち三人は皆それに当てはまる」
彼女は知っている。
三人の過去を、未来を、全てを。
だから警告するように、彼女は言葉を慎重に選びながら話している。
「君たち三人は皆、心に隠したなにかがある。潜在能力はね、それを克服することによって開花し、また進化する。さあ、心の準備ができた者から前に進みなさい」
しばらく間があった。
期待と好奇心に満ちていた三世は、足を進めることはない。まるで過去とは向き合いたくない、そう目が訴えていた。
愛六は理解のできない恐怖を心の中に感じていた。
この正体が一体なんなのか、分からない。
彼女は歩もうとした。自分の深層心理に何があるのか、知ろうとした。
だがその一歩手前で彼は、琉球が先に前に進んだ。
「まずは君か」
予想通り、とばかりにうっすらと見える口もとに笑みを浮かべている。
「君は潜在能力に何を求める?」
「強くなりたい。あんな化け物と戦うことになっても、護りたいものを全部護れるくらい強くなりたい」
琉球の目は目標を真っ直ぐに見ていた。
ネタバレ屋は、そうか、とだけ呟くと、重い声音で言った。
「なれると良いね。まるで英雄のような、そんな強さを手に入れて」
ネタバレ屋は琉球の未来を知っている。
琉球もそれが分かっているから、彼女がどういう気持ちで口にしたのか、気になっていた。
だが詮索などさせるはずもなく、間髪入れずネタバレ屋は話を続ける。
「君は、自分の中にいるそれと何度も接触している。君にとって、潜在能力の解放はさほど難しくはないだろう。だが、油断をしていると君はすぐにゲームオーバーだ」
脅すような台詞に、琉球は固唾を飲む。
「長生きできると良いな」
琉球に手をかざす。
「まずは潜在能力を解放しなければ何も始まらない」
手はたちまち光を帯び、眩しいと感じる暇もなく琉球は白光に飲まれた。
「ーー始まりは己の過去とともに」
次の瞬間、脳に声が送り込まれるような感覚に陥っていた。脳が揺れ動く感覚を味わい、そして意識は落ちていく。
深い深い、海の中へ。
眠るように、死んでいくように。
「ーーまだ、目覚めないのですね」
夢の中に落ちていくように、琉球は意識を失った。
●●●●
目の前には、巨大な龍がいた。
見えているのは身体の一部分、人間の視界では全長を捉えることができない巨大さを有している。
食欲が満たされず、飢えているような鋭い眼孔が向けられる。
「ーーまだか、いつまで眠り呆けているつもりだ?」
言葉じゃない。だが、まるで言葉のように理解できる。
ただのうめき声のようなのに、頭では言葉に変換される。
不思議な感覚に吐き気を覚えていた。
また、水の中。
湖か、海かなんて、分からない。
呼吸などというものは、しているのかさえ分からなくなってうた。
いつからだろう。
龍はいつだって、側にいた。
不思議な感覚だけど、いつも龍が側で見守ってくれていたことを俺は知っている。
守護霊と言われれば、少し違う。
自分を護ってくれるわけじゃないし、災いを教えてくれるわけでもない。
ただ龍はいつも側にいるだけ。干渉をすることもなく、だからといって不干渉でもない。
時折、龍は夢の中に現れて、話しかけてくる。
「ーーまだ目覚めないのか。いつまで眠りの愚者を演じ続けるのだ」
龍は怒っている。
龍はいつも待っている。
まるでその時が来るまで、動くな、と命令されているように。
そういえば、なんで俺はここにいるんだろう。
大切な目的があったはずなのに、思い出せないでいる。
今はこの場所が気持ち良く、ずっとここにいても良いと、そう思えるようになっていた。
「このまま眠りについてもいいだろう」
静かに目を閉じようとしていた。
身体の奥底から感じる眠気に流されるがままに。
「ーー愚か者、お前はまだ愚行にさ迷い続けるか」
だが、眠気を振り払うように、龍は口を開いた。
喋っているのは人の言語ではない。だが琉球の脳内で瞬時に理解できる言葉に変換される。
気持ち悪い。
「ーー目を覚ませ。いつまでお前はここで眠ったままでいる? 思い出せ、お前は何をするために生きようとしているのかを。思い出せ、お前の心の奥底に眠る本懐を」
「うるさい」
吐き捨てるように言う。
「今は眠っていたんだ。今日はいろいろ疲れた」
そういえば、なんで今日は疲れているんだっけ?
思い出せない、思い出せない。
「ーー思い出せ、思い出せ」
頭が痛い。
脳が裂けるような感覚。
「ーー思い出せ、思い出せ」
記憶の扉が徐々に開かれていく。
深い記憶を遡り、過去の自分を思い出そうとしていた。
だが、過去はまるで厳重に鍵がかけられているかのように、思い出そうとするのを拒んでいた。
記憶が干渉を拒んでいる。
だが良かった。
遠い過去のことは思い出せない。でもーー
「俺がここにいる理由……それは思い出せた。俺は異世界で生きていく力が欲しい」
「ーー力への渇望か。お前は力さえあれば生きられるのか?」
「生きると決めた、護ると誓った」
「ーーお前はなぜ護りたい? それほどに重要な命か?」
三世と愛六のことをバカにされているようで、琉球は腹が立っていた。
怒りを押し殺し、琉球は答える。
「あいつらは大切な友達だ」
「ーーでは思い出せ。いつ、どこで彼らと出逢った?」
「そんなの……」
学校だ、と琉球は言おうとした。
そこで、記憶の違和感に気付いた。
現実世界に対する違和感が、胸の中でうごめいている。
学校に通うよりも遥か前に、あいつらに会っているのかもしれない。
三人でよく遊んでいたのかもしれない。
そもそも学校などなかったのかもしれない。
記憶に幾つもの誤りを感じた。
明確には分からない。間違いがなんなのか、分からない。でも何かが違っていると感じた。
記憶の扉は相変わらず固く閉ざされ、曖昧な記憶しかない。
幼少の頃の記憶は、まるで外的要因によって知らせまいとされているみたいだ。
でも誰が、なんで?
分からない。
「ーーもし過去を思い出したのなら、その時改めてお前の中で潜在していた能力は覚醒する。今はまだ、未熟で良い」
龍は話を終わらせようとしている。
直感で気付いた。
「ーー本来、干渉してはいけないはずだった。それが約束、いや、契約か」
「待て、答えを教えてくれ。どうして記憶が、変なんだ」
「ーーいずれ分かる。その時が来たら、改めて己を受け入れろ。そして進化しろ。今度こそ、全てを変えるために、取り戻すために」
「待ってくれ。俺は、俺はあああああああ」
止めようとした。
聞きたいことが山ほどあった。
だが海の中から引き剥がされる。
眠りから目覚める前は、いつも不快な感覚に陥る。
不快と言っても様々だ。
俺にとっては、意味の分からない、理解のできない感情などは全て不快に分類していた。
だからこれも、不快な気持ちだ。
●●●●
半ば強引に眠りから引き剥がされ、俺はネタバレ屋で目を覚ました。
「ここは……」
「はい、君が目を覚ますまで九十分かかりました」
ネタバレ屋の台詞を完全に聞き逃した、なんとも言えない余韻に浸っていた。
変な夢の余韻だ。
あの龍は一体なんなのか。
きっと今も俺の側にいる。でも姿も見えない、声も聞こえない。それでもなぜか、側にいるって分かる。
心がそう言っている。
「あれ? ウケると思ったんだけどな」
ネタバレ屋はなぜか困惑したような表情を浮かべている。
暦は壁に寄りかかって腕を組み、起き上がった俺を見ている。暦の足元を見ると、三世は座り込んでいる。
愛六は俺の横で眠っている。
「ネタバレ屋、琉球は潜在能力を開花させられたのか?」
「うん。でもね、私は一つ不服に思うことがあるんだ」
ネタバレ屋は俺を横目に見て、いぶかしんでいる。
「ねえ琉球、君はもしかして過度に干渉したのかな? それとも過度に干渉されたのかな?」
ネタバレ屋の質問に困惑した。
彼女は何でも知っているはずだ。
あらゆる人の未来を、過去を、その全てを知っているはず。
質問とは無縁の人生を生きてきた彼女は、なぜ自分に質問をしているのか分からない。
「だとすれば違和感だよね、暦」
「ボクは今回、期待しているんだよ。若き彼らに」
「絶望を見てきた当事者が言うと重みがあるね」
「からかわないでください」
ネタバレ屋のからかいを気にも止めず、暦は俺の側まで歩み寄る。
「異常が生じたのではないですか?」
「確かに今まで何度もあったか。面白い」
ネタバレ屋は興味深そうに俺を見ている。
二人が何の会話をしているのかさっぱり分からず、終始呆然としていた。
しばらく経つと、愛六も目を覚ます。
「はい、君が目を覚ますまで六十分かかりました」
愛六は聞いていなかったのか、周囲をキョロキョロと見回していた。
「あれ? なんでこれがウケないの? 暦、私のイチオシのボケが不発に終わっていく」
暦は盛大にため息を吐く。
「三世、お前は潜在能力を発現させなくて良いのか?」
「僕はいい」
「そうか」
愛六は潜在能力を発現させたのだろうか。
そもそも俺は、潜在能力を発現できたのだろうか、実感も何も今はない。
「よし、全員現実世界に帰っても構わない」
「方法が分かりません」
「教えていなかったな。では俺が実演する。ちゃんと見ておけ」
暦は両手の小指を結んだ。
「こうして現実世界の行きたい場所を思い浮かべながら『プロミス』と言えば、現実世界に戻ることができる」
にわかには信じがたい。
こんなあっさりと現実世界に戻れるだろうか。
「あと現実世界に戻る前に宿題を出そう。現実世界から異世界に転移した際、多くの者が異世界限定の名前を作る」
「なんかゲームみたい」
「異世界限定の名前、略して異名を明日までに考えてこい」
俺を含めた三人は各々頷く。
「また明日な」
お別れの挨拶を交わし、ようやく現実世界へ戻る。
ささやかな不安を抱きながら、小指を結び、修学旅行で泊まる予定のホテルを思い浮かべ、プロミスと呟く。
視界が一瞬で変化したのに気付いた。
だが同時に、俺は足場が水面であることに気付いた。
水面に立つことは敵わず、水の中に落ちていく。
またこれか、と水難ばかりの人生に嫌気がさす。
「ってかここ、温泉か!?」
水にしては温かく、入っていて心地が良い。
まさかと思い、周囲を見渡すが、まだ誰も入っていないようだ。
「危ない。誰かいたらまずかった」
と思ったその時、温泉の入り口から声がする。
最悪なことに、それは女子の声。聞き覚えのある声が多数聞こえてくる。
まずい。
扉が開く直前、俺は小指を結び、プロミスと叫ぶ。
「あれ? 戻ってきた……と思ったらびしょびしょで……」
ネタバレ屋に戻ってきた。
既に三世と愛六はいない。いるのは暦とネタバレ屋だけ。
「なにか忘れ物か?」
「い、いえ、何も……」
もう一度現実世界に戻ろうと小指を結ぶ。
プロミス、と言えば現実世界に戻れる。しかし心残りがあり、思い切って聞いてみることにした。
「自分の過去について知りたいことがあるんですが、聞いてもよろしいでしょうか?」
ネタバレ屋はしばらく沈黙し、答える。
「私は何でも知っていても、何でも答えるわけじゃない」
聞いても教えてくれなさそうな雰囲気だ。
俺は仕方なく小指を結び直し、プロミスと呟く。
今度はホテルの入り口に飛んだらしい。
三世や愛六に聞きたいことが山ほどある。
だが今日は、異世界での戦いや諸々に巻き込まれ、身体はボロボロだ。
治してもらったとはいえ、左腕も痛む。
「今日は疲れた」
ふかふかのベッドで一夜を過ごそう。
そう思うほどに、今日は波瀾万丈な一日だった。
明日への期待と不安を募らせ、俺はホテルに向かって歩き出す。