物語No.53『再会に復讐をそえて』
「あら驚いたわ。あの子、不思議にも一人で列車を降りちゃうなんて。周囲に魔法警察がいたままだったら接触はできなかったけど、絶好の機会よね」
魔女は見ている。
魔女の瞳から逃れることはできない。
「ああ、あの子はどうしようかしら。私が思いついた最高のシナリオを壊した罰がまだだったわね」
第十区画でのことを思い出していた。
毒の館での戦闘で疲弊した時を狙っていたが、勇者に妨害を受け、魔女の思い描いていたシナリオはことごとく壊された。
魔女は腹を立てている。
何度もシナリオを壊された。見たい物語が見れなくなっている現状が不快で仕方がなかった。
「稲荷の暗殺も失敗。おまけに真実も駒として利用できない」
失敗続きの現状を魔女は一言で表す。
「ーー駄作だわ」
つまらない物語だ、と吐き捨て、現在の終わりを求めていた。
終始胸を掠める鬱憤に鬱憤し、終わりのない苛立ちが膨れ上がり続ける。
「もう退屈だわ。六月までは待てない。せめて五月が終わるまであなたたちと遊んであげる」
魔女は走る少女の姿を眺めている。
ぼんやりと見つめたまま、どう扱おうか迷っている。
「お腹がすいた時は三時のおやつが必要かしら」
退屈が終わらない。
色欲が終わらない。
永遠が終わらない。
「どうせなら終わりにしましょう。あなたの物語はここで終わっても良いほどピークを過ぎてしまったのだから」
少女へ終焉を。
少女へ死亡宣告を。
少女へさよならを。
「第三師団、もう一度私のために働きなさい」
魔女の目は見開かれるとともに金紫色に発光し、三世の瞳を見つめる。
魔女は光る眼を人差し指と中指と親指で、今にも抜き出してしまうような力で掴んでいた。
歯が砕けるほど噛み締めるも、深呼吸ですぐに冷静さを取り戻す。
「イライラするわ。こんな物語、とっとと終わってしまえばいいのに」
鍵盤が無造作に叩きつけられるような、心臓を逆撫でする声が響き渡る。
魔女は怒っている。
だから、終わりへ終わりへ。
「さようなら、三浦友達」
♤
走る走る走る。
フードを深く被り、影に紛れるように歩みを進める。
二階堂しいなが列車に乗り込んだ時点で、三浦は列車を飛び出していた。
何者かが近づいていると感じた三世が囮になり、その隙に三浦が逃げたのだ。
ギルド街に隣接する駅町には、ホテルや宿屋、旅行客向けの店舗が多く建ち並んでいる。
ギルド街へ到達するには一時間ほどを要する。
三浦は極力人目を避け、気付かれぬよう隠密な立ち回りをしていた。
「三世……、え、エーテルだったね」
暦に言われたことを思い出し、つい言い直す。
路地裏の一角で、壁に背をつき、眉毛をなぞって悶々とした気持ちを露にする。
三浦の心は未だ不安定なままだ。
三世が救ってくれたとはいえ、これまで犯した罪が消えるわけではない。
「しいな……、私はあなたに謝りたいよ」
二階堂しいなのことばかり考えていた。
自分を救ってくれた友達であり、だが刃を振り下ろした相手だ。
どんな謝罪も意味を為さないのかもしれないと分かってはいても、三浦は会って話がしたかった。
ーーじゃあ、会わせてあげない。
魔女は見ていた。
だから絶望をあなたに。
駅町をようやく抜け出せるとなった一歩手前、丁度その道にはギルド第三師団が立ち塞がる。迂回しようと振り返った三浦の視界に映ったのは、四方八方を取り囲む多くの人の姿だ。
「…………っ!?」
一瞬、思考が真っ白になった。
だがすぐに理解できた。
「投降しろ。接続者狩り」
ーーそうだ、自分は生きていてはいけない人間だった。
屋根の上に立つ、フードで顔を隠している女性の声を聞き、三浦友達は理解した。
自分が平穏を望むことは許されないのだと。
世界が三浦友達の幸せを拒む。
いざ幸せを瞳に映した瞬間、悪夢が誘う絶望の世界。そこには希望の片鱗さえなく、孤独だけがあった。
「ごめん。しいな」
しいなへの罪悪感が心を途端に埋め尽くした。
同時に抱いたのは三世を護れなかった後悔。
「エーテル、私は……」
もっと一緒にいたかった。
だけど君のそばにはいられない。
どうして期待していたんだろう。
どうして夢ばかり見ていたんだろう。
「投降しなければ容赦なく攻撃を加える」
警告が脳内を素通りする。
三浦は自分の人生がどれだけ進んでも地獄しかないことを肯定した。
「投降しないと判断し、これより攻撃を開始する。ギルド第三師団全員に通達する。接続者狩りを殺せ」
フードの女性の宣言とともに、ギルド第三師団は武器を手に取り、三浦に向けて殺意を向ける。
全身に悪寒が走り、絶望が膨れ上がる。
あれほど幸せを望んだのに、眼前に広がるのは目も開けられない最悪の事態。
足音が駆け足で響く。
足を止めたままでいれば、無数の刃の餌食にされることは間違いない。囲んでいる数は十や二十を優に越え、少なくとも百人はいる。
三浦は腰に携える剣に手を当てるも、迷いが生じる。これ以上誰かを傷つける行為は避けるべきだ、その思いが三浦に剣を取らせない。
うだうだと躊躇う間に、三浦の背後から二人、正面から三人が向かってくる。
(私はどうするべきだろうか)
絶望の中で少女は考える。
孤独だった、
今にも涙が溢れそうだった。
辛い人生から抜け出したと思ったら、また闇の底に引きずり下ろされる。
絶望が足を掴んで離さず、希望の空へ羽ばたかせることは決してない。時折見える光はすぐに闇に染まり、血と苦しみの世界へ沈んでいく。
助けて、助けて、助けて……
深い海の底にいる。
光さえ届かない闇の中で。
孤独だった、それでもそばにいてくれる人がいる。
(だから私は戦おう)
一瞬の戸惑い。刹那の間隙。
直後、三浦の体は動いていた。
剣を抜き、振り下ろされる五つの刃の軌道を見切り、川の流れのように受け流した。
襲いかかった五人の男は何が起こったのか理解できず、地面に転がった。
三浦友達は知っている。
無数の太刀筋、無数の回避術、無数の技。
神と名乗る者に操られる中で、幾つもの戦いを見てきた。それが糧となって体に染みついている。
まだ未完成だった戦闘技術が、錬金術師の里での戦いを踏まえて一段階進化した。
「私はまだ、死ぬわけにはいかないんだ。謝らなきゃいけない人がいる。だからーー」
三浦は叫び、死に抗う。
多くの敵に囲まれる中、生にしがみつく。
「そうか。それがお前の答えか」
フードの女性は淡々と呟き、それでも顔には嗤いを浮かべ、素顔を包み隠すベールをめくる。
晒された顔、露になった正体を見て、三浦友達は硬直する。
「久しぶり。三浦友達」
聞き覚えのある声、いつまでも記憶に居続けた人物と同じ顔。
自分の救世主であり、自分の恩人である。
「謝りたい相手って私のことかな。ドブネズミ」
まるで全くの別人のようだった。
あの頃の優しさも、あの頃の輝かしさも、あの頃の温かさもない。
あるのは空気を一瞬で黒く染め上げる殺意だけ。
瞳に映る人物に対し、罪悪感を感じずにはいられなかった。
あの頃の記憶が脳裏を駆け巡り、途端に心を埋め尽くした。
「こそこそとドブを這いずり回って、残念な人生を送ってやがる三浦さーん。お前のドブみたいな人生を終わらせるために私が来てやったんだからネズミ捕りの中で大人しくしておけ」
口調は悪く、表情には怒りが露になっている。
憎悪に駆られた鬼のような形相で睨む女性。
「訂正しよう。久しぶりだな、ドブネズミ」
三浦の心は原型をとどめないほど歪に曲がりくねり、状況に頭が追いつかないほど混乱していた。
「し、しいな……っ」
黒いローブに身を包んでいた女性ーー二階堂しいなは右手に拳銃を構え、三浦に向ける。
話し合いなど考えていない無慈悲な弾丸が放たれる。反射的にかわした弾丸は頬を掠め、傷をつくる。
「逃げるな。死を受け入れろ三浦友達」
ーー逃げるな。
その言葉に三浦友達はハッと意識を戻し、状況を改めて理解する。
周囲を囲む第三師団に加え、拳銃を構える二階堂しいな。
三浦は恐怖に押し潰されそうになりながら、それでも三世が背中を押してくれるみたいに前に一歩踏み出し、話をしようと口を開く。
「しいな、私はあなたにーー」
「ーー喚くな死体」
再度銃声。
銃弾は三浦の右腕の上腕を貫き、脱力した手から剣が落ちる。
痛みでしゃがみこみ、左手で右腕に空いた風穴を押さえる。
「お前の声など聞きたくない。いいから黙って朽ちていけ」
「……ァァ、お願い、します。私はしいなに謝りたいんだ」
地に額をつけ、目に浮かぶ涙が眉毛を伝って溢れていく。
感情が右往左往し、頭の整理がつかないほど散らばり、心が張り裂けそうな痛みに息苦しさを覚える。
だがしいなは見ていない。聞いていない。
「第三師団、接続者狩りを殺せ」
しいなの無慈悲な指示が轟く。
三浦は泣き叫んだ。
喉が壊れるほど叫び、声が乱れるほどの大声を出し、感情をぐちゃぐちゃにしながら走った。
「逃がすな」
多くの刃と銃弾が飛び交う中を、一心不乱に走る。
右腕を押さえ、激痛に苛まれながら、声を枯らしながら、感情の起伏に苦しみながら、ただ走る逃げる。
「……ァァぁァアアああアアあア」
三浦の涙に呼応するように、雨が降り始めた。
曇天を見上げ、血を流し、死にそうなほどの痛みを抱えながら走る逃げる。
「……ぁあ、死にたい」