物語No.50『ルビーを餞に』/閑話『とあるクラスメート』
目的の結晶を入手したルビーは、木々の中を溢れるすきま風よりも速く疾走していた。
躓く隙もなく、躊躇う瞬間もない。刹那でさえ無駄にできない状況に焦りを覚え、全身全霊で足を動かす。
木枝で顔を擦りむいても、不安定な地面で足を挫こうとも、ただ足を動かして前に進む。
巨大な崖を駆け上がり、空高く跳ね上がって里の状況を確認する。
各地で煙が上がり、未だにカーバンクルの仲間は錬金ギルドと戦闘を繰り広げている。だが既に体力は尽き、窮地に追い込まれている。
駆けつけたい。だが今はーー
里の外れ、焦る稲荷の表情がみえる。視線を辿り、蒼白する。
三世の心臓へ刃が接近していた。
迷う刹那を切り捨てて、一秒でも速くあの少年のもとへ、
煙幕を背中から放出し、加速する。
魔力が尽きかけている今も尚、全力を注いであの少年のもとへ向かう。風圧を受け、お気に入りの髪型がくしゃくしゃになってでも目指す。
届け、届け、届け。
変わってでもルビーを受け入れてくれた稲荷に報いるために、異世界で生きる理由をくれた稲荷を傷つかせないために。
ルビーは一番星。
何よりも輝き、何よりも速く突き進め。
「音速眠り蹴り」
三世の心臓が貫かれる刹那、ルビーの蹴りがイシルディンの顔面に直撃し、攻撃は中断された。
「間に合ったか」
危機一髪のところで命は繋ぎ止められた。
死の間際に現れた救世主ルビー。
心の中でヒーロー参上と呟き、ここが自分のハイライトだと感じるだけで興奮する。
あの頃憧れたヒーローのように、大切な人の危機を間一髪で防いだ。我ながら自分の強運に感心しつつ、敵対しているイシルディンへの警戒も怠らない。
吹き飛び転がったイシルディンのもとへ、胸を張り、強者の佇まいで近づき、
「この程度か。錬金ギルドたった四人の四大鉱帝」
煽る口調で言い放ち、威張る目線で見下ろした。
必然的にイシルディンはルビーを見上げる形となり、屈服した構図が完成する。
「泣きわめく前に降参したらどうだ。その方が潔い人間だったと有象無象の記憶に残るはずさ」
「有象無象のお前に質問だ。本気で勝てると思っているのか?」
「勝つさ。だってルビーは一番星、有象無象の中でもルビーを見つけてくれる人がいるから」
右目の横でピースをし、敗北など思考の片隅にもない圧倒的強者として威勢を張る。
虚勢だ、虚飾だ。
だが今は、格好をつけたい気分だ。
「答えになっているか?」
「ベストアンサーのつもりだったが、きょとんとされると泣いちゃうぞ」
「泣きたいのはこっちの方だ。顔面を蹴るなんて、随分恐いことをするね」
イシルディンは顔を覆っていた金属を解除し、顔に直に触れて無事であることを確認する。
覆っているとはいえ、誰だって顔を蹴られる光景を目の前にすれば恐怖ですくむ。
「恐いことするな。ルビー」
イシルディンは地につけていた尻を離し、二本の足で立ち、戦闘態勢に入る。
おそらく三世や稲荷のことも未だに狙っているはずだ。やはり仲間が三世の救出しようと駆けつけた場に居合わせたから、カーバンクルの一員だと思われている。
この状況を回避するにはどうすれば良いか。
稲荷らを救い、標的をルビーだけに向けさせる方法を。
「顔面蹴りは痛くなくても痛々しい」
「私の人質に手を出すからだ」
イシルディンに反応はない。
続けて、ある言葉を強調して言う。
「これ以上私の人質に手を出してみろ。ルビーの蹴りがお前の顔に炸裂するぞ」
「人質?」
よくぞ聞いてくれた、と心中愉快に踊り明かし、稲荷らを救う最強の一手を放つ。
「ああ。こいつらを使って錬金ギルドに奇襲を仕掛ける策を思いついたんだ。だが拐われるとは予想外だった」
ハッタリだ。
だがこの嘘が通ればルビーの恩人を救うことができる。
「どのように実行するつもりなのかな?」
やはり聞いてくるか。聞いてくると分かっていたからこその策、それ故現状を容易く変えてみせる。
「簡単さ。こいつらはギルド師団の制服を着ていた女性と一緒にいた。ではこいつらはギルド師団の人間である可能性が高い。となると、人質にすればお前たちは宝石と交換するんじゃないか」
そんなことはありえない、自分でもよく理解している。だが今はこの策しか残されていない。
非論理的であっても、筋が通っていなくても、支離滅裂な解答でも、稲荷らを仲間じゃないと思わせられればそれでいい。
だから乗っかれ泥舟に。
そして沈めイシルディン。
固唾を飲み、反応を待つ。心臓が激しく脈打ち、鼓動が行進曲を奏でる。
ルビーの心中を覗き見るような視線を向けつつ、イシルディンは口を開く。
「そういう推論、嫌いじゃないよ」
イシルディンはルビーの言葉を疑おうとはしなかった。
信じているのか、まだ疑っているのか、まだ分からない。
イシルディンの視線はルビーから稲荷へ映り、目を合わせ、思案しながら問いかける。
「仲間じゃないというのなら、君たちの目的は何?」
稲荷は自分への質問だと察し、ルビーの策も理解しているのか、素直に答える。
「ある結晶が欲しい。それさえ手に入れられればこの里を出ていくつもりだ」
なるほど、と納得した呟きとともに息を吐き、視線をルビーに戻す。
ルビーの身体を何一つ見落とさないようにとじっくり観察し、やがて頬が緩む。
「だったら最初からこの戦いに意味はなかったみたいだ。ルビー、君はその結晶を発見したからこの場に現れたってところか?」
「気づかれていたか」
上手く標的が稲荷らから逸れつつある。
だがここまでの流れを踏まえると、なぜ人質の協力をするのかと疑問点が生まれる。
未だに納得のいく言い訳が思いついていないが、即興に頼って進むしかない。
ここは話を逸らすため、例の結晶を取り出し、イシルディンに見せる。
この結晶を見れば必ず反応するはずだ。
「その結晶、つい先日戦闘したあの赤い山にあったやつだよね」
「ああ。奪うなら予告状は出しておきたかったが、一刻を争う状況だったんだ。ルビーの怠惰を許してくれると助かる」
話よ逸れろ、と心の中で何度も念じる。その思いが届いたのか、話題は転換し、
「あそこに通じる道は塞いだはずだ」
「ルビーだって些細ながらも錬金術は身につけている。十五分もあれば道をこじ開けられる」
「だからあの場は逃げたわけか。十五分も同じ場所にいれば袋のネズミだからね」
全て合点がいく、とまではいかないが、イシルディンの思考を混乱させる程度のことはできたはずだ。
「ルビー、今すぐその結晶を稲荷に渡せ」
イシルディンの狙いが分からない。まさか稲荷らを見逃すつもりなのだろうか。
都合が良いが、都合が良すぎる。
警戒しつつ、稲荷へ歩み寄る。
稲荷のそばに片膝をついてしゃがみ込み、一度振り返るが、イシルディンは全く戦闘する気がない。
「稲荷、あなたにこれを」
赤い結晶を稲荷の手に置き、上から握り締めてしっかりと握らせる。
本当はこのままずっと手を繋いでいたい。久しぶりにあなたに会えたのに、何も話せないまま終わってしまう。
約束したのに。
いつか未来でルビーがどんな過去でも受け入れられる器を手に入れることができたなら、自身で封印してしまった過去を教えてくれると。
だが時間はルビーと稲荷を引き裂いていく。
ゆっくりと二人でいる時間も与えてくれないなんて残酷だ。
「稲荷、またね」
「ルビー……行くのか」
稲荷が寂しげな声で訴えかける。
振り返らないつもりだったが、目を逸らすことはできない。また稲荷に会えるとも分からない。
「稲荷、ルビーは……」
一度イシルディンに視線を向ける。イシルディンには今すぐ交戦する意思は見られない。
イシルディンは琉球が閉じ込められているオブジェに近づき、触れる。オブジェには穴が開き、琉球が通れる幅が出来上がる。
「良いのか? 錬金ギルドが泥棒行為を見逃して」
「ああ、別に良いよ良いよ。邪魔さえしてくれなきゃいい。僕は真面目君じゃないから、鉱山地帯から出ていけば罪人であろうと見逃すさ。もちろんカーバンクルは邪魔だから捕まえるよ」
稲荷らは完全にイシルディンの標的から外れた。既に狙いはカーバンクルのみ。
僕は周囲を気にすることなく、ただ稲荷だけを見つめる。
このまま時間が止まってしまえば良いのに、と願っても、世界の歯車は延々と回り続ける。
分かっている。この瞬間がいつまでも続かないことを。
だからせめて、この一瞬にルビーの全てをあなたに伝えたい。
「ルビーは……僕は、あの日あなたに出逢った少年です。驚いたでしょ。僕は盗賊をすることに決めた時、顔も性別も変えた。僕が罪人だと知れば、僕を拾ってくれたお婆ちゃんがどう思うか分かりきっていますから」
「やはり稲荷の見る眼は正しかった。どうりで瞳が、魂が宝石のように輝いていると思ったのだ」
「…………」
「たとえ何が変わったとしても、お前は宝石みたいな奴なのだ」
長い間待っていた狐は、今の自分を受け入れ、かけてもらって一番嬉しい言葉をくれた。
あの時悩んだ異名のこと。憧れはあの日のまま変わらない。
握り締める宝石、中心には星が刻まれている。それを見た時から僕は決めていた。
「だって僕はルビーですから」
さよならは言わない。
稲荷に手を振り、別れを惜しみながらイシルディンに視線を移す。
もっと話したい。もっとあなたを知りたい。
けれど世界はそれを許してはくれない。
「ルビー、お前がどこに行ってどんな姿になろうとも、必ずお前を見つけ出す。変わってもお前はお前だ。何度でも変わっていけ。稲荷はそういうお前が大好きなのだ」
最後の最後に、何よりも聞きたかった声が聞こえる。
稲荷、あなたに会えて本当に良かった。
自分を偽ったあの日、後悔ばかりが残ると思っていたのに、どうしてこんなにも清々しいのだろう。
この思い出があれば僕は何よりも美しく輝ける。
「ありがとう稲荷。僕を見つけてくれて」
覚悟は決まった。
僕はここで捕まり、囚われの身になるだろう。これまでの罪の代償として、暗い檻の中で生きることになる。
それでも、今日の思い出があればどんな場所でだって笑顔で明日を迎えられる。
「行くぞっ、イシルディン」
「盗賊ルビー、確保する」
拡張魔法が施されたポーチから赤い粉が入った試験管を取り出す。蓋を指で弾き、周囲に撒く。
「これがルビー最強の大技だ」
周囲に撒かれた赤粉は風に漂っている。
手を合わせ、周囲に意識を向ける。途端、空間を漂ってい赤粉が拳と同等の同じ大きさへと変貌し、多くが六角形の形状をする。
「遠隔錬金術、それも微細な粉を膨れ上がらせる。これほどの量を」
百を越える赤い結晶が周囲を埋めつくし、宙を滞在する。赤い結晶に星光が反射し、目を瞑ってしまうほどの閃光に照らされる。
「紅晶世界」
「また目眩まし。だが、」
イシルディンは全身を金属で覆い、刃が通る隙間もなく密集する。
当然僕の攻撃も通らないーー分かっている。
それでも歩みを止めず、一直線に駆け抜ける。相手が目を塞いでいる間に突風のごとく駆け抜け、宙に浮く宝石を足場に飛び上がる。
負けてなるものか。
大切な者の前でみっともない姿を見せてなるものか。
僕の蹴りはあらゆる不条理を打ち砕く。
足を大きく振り上げ、
「垂直眠り蹴り」
金属で覆われたイシルディンの頭蓋目掛け、振り下ろす。
直前、空間を揺らすほどの怒号とともに夜空から雷が襲来する。
全身が焼け落ちるような痛みに襲われ、身体の各所に入れていた力は抜け落ち、無様に地べたに転げ落ちる。
数度地面にバウンドした身体は傷にまみれ、意識が落ちていく。
遠くなっていく意識を掴む余力さえも残されておらず、消え行く意識の中で、雷とともに飛来した男の姿を見た。
「ギルド第三師団"臨時副師団長"真実の右。勇者より任された任務を遂行すべく遥々遠方から赴いたわけだが、混沌が極まっているな」
そうか……。
僕はここで終わりということか。
♤♤♤♤
宝石大地にパラパラと転がっている。
稲荷は落ちている宝石を拾い、虚ろな瞳で見つめていた。
「錬金ギルド、既にカーバンクル全員拘束済みだ」
ギルド第三師団の制服を着た金髪の男は、雷とともに現れた。
ルビーが意識を失って倒れており、イシルディンは男が敵か味方か思案していた。
「君は?」
「俺は臨時副師団長、真実の右。第三師団は現在、勇者の指揮の下動いている。混沌が極まっている状況で生憎だが、ここに長居するつもりはない。任務はあるパーティーとある女性の捜索」
真実の右は側にいる三世、琉球、稲荷、三浦を視界に入れ、仕事が減ったと呟く。
「パーティーはもう見つかっている。残りの二人は既にこちらで保護していますので」
暦と愛六は既に第三師団が保護している。
「あとは、」
と前置きし、真実の右は三世に視線を移す。
三世は自分へ向けられた視線に首を傾げつつも、真実の右が探しているであろう人物に心当たりがあったため、質問を待つ。
「ギルド第三師団師団長の疑いがある女性を知っているか?」
「……ああ、」
確信はない、疑念だけだ。
しかし答えに至る不可解さが幾つもあった。
答えを告げようか迷いながらも、その者の名を口にする。
「真実。つい数日前に僕らに接近し、魔女に操られている可能性がある人物だ」
一時は一人分断されていたため、真実の不審な行動を知ることはできなかった。しかし今この場に真実がいないことから、琉球や稲荷、暦の誰かが真実と交戦し、負傷させたという可能性が高いと考えていた。
あくまでも推測ではあるが、魔女の力を踏まえれば別段不思議なことではない。
三世が異世界からも現実世界からも逃げ、孤独な道へ進んだのも、三浦が三世が錬金ギルドによって連行されている際に感情を爆発させて動いたのも、全て魔女の魔法によって逆撫でされていたとする説が有力。
全て魔女と契約した後に起こっていることだったから。
「お前もそこまで思案していたか」
「まるで僕以外にもここまで予想していた者がいるみたいな発言だな」
「俺たちは勇者の指示通り動いている。勇者は現在、魔女エンリが行ってきた疑いのある罪を洗いざらい調べあげ、矛盾点をくまなく調査した」
勇者の優秀さに感心するとともに、勇者ならば魔女に勝てるのではないかと期待を抱く。
「真実はどこにいる?」
三世は分からないため、稲荷に視線を向ける。
「真実であれば琉球が燃やしちゃったのだ。多分あそこの高台に倒れていると思うのだ」
「そうですか」
真実の右は高台を眺め、誰にも聞こえないほどの声量で呟いた。
「ほんと、趣味が悪いよ」
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数日かけて鉱山地帯を下り、列車へと向かう。
道中モンスターに襲われることもあったが、真実の右が一瞬で討伐し、停滞することなく列車についた。
列車に乗り込み、発車を待つ。その間三世と三浦は二人きりで夜景を眺めていた。
「あいつらって凄い仲良しだよね」
「ああ。三浦のおかげで三世も最近明るくなった」
愛六のふとした呟きに琉球が嬉しそうに答える。
今の三世のことを琉球は喜んでいたが、愛六は正反対に苛立ちを覚えていた。
どこにも行き場のない苛立ちを抱え、頭に手を当てて考え込む。
自分が何に苛立っているのか心中では分かりながらも、本音を隠そうと心の中でさえも偽る。
苛立ちに感情がかき乱される中、更に心をかき乱す人物が目の前に現れる。
「お久しぶりです。尾張琉球、木守愛六」
聞き覚えのある声だった。
最初は聞き間違いかと耳を疑ったが、視線の先にその人物が映ったことで疑いは驚きへ。
「お前も……接続者か!?」
琉球は目を見開き、突如現れた人物に驚きを露にする。
その人物は身体の所々に包帯を巻き、瞳の奥底に殺意を宿して言い放つ。
「私は二階堂しいな。異世界では魔法警察として活動中。そして現在、接続者狩りを追っている」
しいなの宣言の後に、暦は静かに呟く。
「ーーそうか、生きていたっけ」