物語No.45『その時は来ない』
ルビーは徐々に暗くなっていく空を見上げながら、深海にいるような息苦しさを感じていた。
地べたを転がるような感覚、視界がねじ曲がるような気持ち悪さが体を襲う。
ルビーは幾つもの偽りを持っている。
ある時は、カーバンクル盗賊団として宝石を華麗に盗み、颯爽と去る。
ある時は、里の人々が困っているのなら問答無用で手を貸すお助けヒーローとして現れる。
「ルビーには、本当の自分がない」
ルビーは気付いた。
だが気付いたという事象が起ころうとも、全身を右往左往する感情を収めることはできない。
自分は偽りだらけだ。
今まで本当の自分を演じたことがあっただろうか。少なくとも、あの日までの自分は本物と呼べるものだっただろう。
だが今のルビーは誰なのだろう。罪を負い、強さを身につけ、盗みに勤しむ。
ルビーは自分を見失っていた。
今まで自分を見失っていたことに、今気付いた。
「これから、どこへ向かえば良いのだろう」
あの日の約束も果たせないまま、ルビーは終わってしまうのですか。
言わなければ傷つかない。
でも、言わなきゃ伝わらない。
ルビーが言わなくちゃいけないんだ。
それでも、恐怖が先行して、ルビーは気持ちを伝えることができないんだ。
あの日の自分はもういない。
あの日のことを思い出しては、今のルビーがちらついて、終点のない列車に乗っている人生を歩んでいるようで、それが気がかりで……。
時折外の景色を眺めては、座席に腰掛け、夢を見る。いつも同じ夢を見る。
ルビーはあの日、君と約束をしたんだ。
一人の狐と約束をした。
「あれから何年が経っただろうか」
もう何年も前の約束を、忘れてもおかしくない子供の約束を、どうして大切そうに覚えている。
ルビーがどれだけ変わろうとも、きっと分かってしまうんだろう。
だから、きっと……言わなくても伝わっている。
「ーーなんて、逃げだ」
逃げて逃げて逃げて、ルビーはいつだって逃げ続けて。
これで良いなんて、誰が納得するんだ。
伝えないまま終わって、偽りのまま会わないで、自分の思いも言葉にしないで。
あの日の狐は言った。
ーー世の中には、言葉を交わさなくても伝わることはたくさんある
でも、言葉に出せば必ず伝わる。
思いを述べず、言葉にせずに、どうしてルビーは逃げることが許される。
宝石を盗む時だって、宝石を掴みもせず逃げることはしない。
最後まで戦って、手を伸ばして、足を動かして、前に進む。
そうやって、抗うんだ。
「だから、選ばなきゃ」
そうだ。ルビーは会えないんじゃなく、会えなくなる理由を探していた。
会えないんじゃなく、会わないんだ。
でも会おう。
ルビーは振り返り、またあの高台へ戻ろうと決めた。
……はずなのに、
高台を見て、ルビーの全身に寒気が走る。
「まさかまさかまさかまさか……」
一目散に走る。
木々の中を疾走し、風よりも速く駆け抜ける。
十メートルの壁も易々と越え、今すぐに、とあの高台へ走る。
だが着いた時には……、
灼熱の炎が高台を焦がし、激しい黒煙を上げていた。
消火するには遅すぎるほど、火の手は高台全体を包み込んでいる。
燃える草原に同化しているが、黒焦げた人のような何かが転がっているのが遠くから見える。
「……なんっ、で……!?」
燃える草木に全身を焦がされ、それが誰なのかさえ分からないほど原型は失われている。
だがあの時間、高台にいたのはたった一人。
目を凝らしてよく見ると、黒煙に紛れて動く人影があった。
一瞬、歓喜の声を漏らしそうになった自分が嫌になる。だってその人物は、黒焦げになった遺体を踏みつけ、左手には松明を、左手には血染めの短剣を握りしめているのだから。
殺意が木霊する。
感情が爆発し、自分の制御が効かないほどに膨れ上がる。
気付けば足が勝手に動いていた。武器を持つ相手目掛け、一直線に突っ走る。
「お前は……、お前は誰だああああ」
感情的になり、動きに変則さがない。
ただ一直線に向かってくるルビーを、女性は赤子をあやすかのような笑みでかわし、直後、短剣をルビーの腹に突き刺した。
短剣は深々と突き刺さるーー寸前で側面から蹴られ、砕ける。
化け物のような蹴りの威力が短剣を持つ女性の腕にも走り、全身が硬直する。間髪入れず、怪物のような狂気の表情で回転蹴りを頭部にくらわす。
だがその一撃も女性は片腕で防いでみせた。
「いい蹴りですが工夫が足りませんね。正面突破では私の筋力には敵いません」
丁重な口調で戦闘を行う女性。
ルビーは何度も全力の少し先の威力で攻撃を仕掛けるが、赤子のおしめを変えるようにあしらわれる。
灼熱の大地の上で、呼吸も息苦しい中、刹那の油断も許されない。
「あなたは何故私に果敢に戦いを挑むのですか?」
「お前が、殺したんだろっ!」
怒りを乗せた蹴りを相手に与える。
だが女性は振るった足を掴み、そのままルビーを地面に押し倒す。
「あの狐耳の少女のことですか?」
「そうだっ。どうして殺したっ!」
「使命だからです」
「なんで、なんでなんでなんで……なんでええええええええええ」
ルビーは張り裂ける声で叫びながら、感情を暴れさせる。
怪物のように暴れても、女性には一撃も与えられない。
ただ悔しかった。
大切な人を殺され、その仇を討つこともできず、逆に遊ばれている。
起き上がる気力は体のどこにも残っておらず、地べたに横たわって恥辱にまみれるだけ。
燃える大地に体を焦がし、心までも溶けていく。
「ああ……ルビーは、ここで死んでしまう」
炎に揺れる金髪を薄目で見つめる。
胸もとに付いた五つの星を見て、これから自分も星になるのだと考える。
良いかもしれない。
護れなかったんだ。向き合おうとしなかったから。
これはルビーへの罰なんだ。
女性は砕けた短剣に触れる。バラバラになったはずの短剣は修復され、元の形状を復活させる。
切れ味は元通り。人間の首を簡単に切断できる。
「錬金術……っ」
「これであなたの首を切断されてしまうでしょう。お別れが来てしまいますね」
女性は一歩ずつルビーのもとに歩み寄る。ステップを踏むように近づき、それと同時に死も迫る。
歩みが止まる。処刑台の設置が完了したらしい。
「ああ……終わる」
風を切る音とともに周囲が紅色に染まる。
やがて意識は薄れゆき、静かに目を閉じた。
ーーそして思い出す。