物語No.44『偽ったから』
錬金術師の里を、暦、琉球、愛六、三浦、稲荷の五人が歩いている。
愛六はずっと考えていたことを稲荷に質問する。
「ねえ、稲荷が昔に会った少年って今頃何してるんだろうね」
「確かに。でも会えるかな」
「錬金ギルドに所属してるんじゃない? もしかしたらイシルディンがそうなのかもね」
「だったら嫌なのだ。受け入れ拒否なのだ」
稲荷は全力で拒否する。
稲荷は抱いている理想を花のように咲かせ、ときめいている最中だった。
その相手は決してイシルディンではない。
「ところで三浦は武器壊れちゃったのだよね。じゃあ稲荷が奮発して武器を買ってあげるのだ」
稲荷はドンと胸を張り、パンパンに膨らんだ財布を見せびらかすように出した。
手品でもするのかと財布を見せびらかしている。
「武器屋とかあればいいけどね」
と呟き、散歩している道中、幸運にも武器屋を見つける。
店は全て黄金で造られ、店頭には数本の剣がずらりと並べられている。
見ているだけでも十分な物だったが、黄金の重い扉を開き、中へ入る。
店内には種類豊富な武器が並んでいる。剣だけでなく、槍や斧、短剣や刀など、様々だ。
素材は黄金製や銀製、中にはアダマンタイトやミスリルといった貴重な金属で造られた武器もある。
「敷居が高すぎるよ」
先ほどまで胸を張っていた稲荷は、今ではすっかり愛六の背中に隠れている。
店内を歩き、値段を一通り拝見する。
安い物で金貨二十枚、高い物では金貨一千枚の価値があるものまで売られている。
「急に恥ずかしい急に恥ずかしい」
尻尾をふりふりと揺らし、顔を紅潮させている。
ここに来る前と後で大きく態度を一変させる。
「稲荷、財布はいくらあるの?」
「せいぜい金貨十枚分しか持ってきてないのだ。それにここでお金を使いきったら帰りは列車に乗れなくなるのだ」
「それは嫌よ」
明らかに値段が不相応である。
稲荷は今にも帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「私は良いですよ。武器がなくても戦えますから。それに、あの時感情的になって行動した私が悪いですから」
三浦は放心状態になる稲荷に告げる。
稲荷にとっては嬉しい言葉であった。だがここで引けないプライドもある。
「だ、大丈夫なのだ。稲荷に任せるのだ」
稲荷は極寒地帯にいるほどぶるぶると震えながら、店員のもとへと向かう。
まるで市民に襲いかかるゾンビだ。
「店員さーん、金貨五枚で買える武器ってありますか」
この上ない願望を込めた声で稲荷は問いかける。
もちろん店員は首を振り、稲荷は海よりも青ざめた表情で戻ってくる。
「ちょ、ちょっと待つのだ。稲荷は絶対に剣を探して戻ってくるのだ」
「そこまでしなくても大丈夫ですよ」
「駄目なのだ。稲荷は約束は絶対に守るのだあああああああ」
と叫びながら店を飛び出す。
里を全力疾走する稲荷を皆不審な目で見送る。
だが気にもせず、一件一件店を回っていく。だがどの店でも金貨五枚で買えるような剣は見当たらず、追い出される。
とうとう力果て、そばにある緑が生い茂る木に背をつける。
そこで稲荷は声をかけられる。
また、あの日のように。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
あの時よりも大人びた口調。
あの時よりもキザな言い回し。
「ルビ……私はルビーゼ。困っているなら正義の味方が手を貸しましょう」
宝石のような輝く髪と瞳を持ち、透き通るような白い肌で、凛々しい女性が稲荷の前に現れた。
「お前は昔……稲荷に、会ったことがある少年か?」
ルビーゼと名乗った女性を見て、稲荷は思わず口にした。
口調が違えど、仕草や優しさはあの頃のままだ。
「ルビ……ルビーゼは女性ですよ」
「そ、そうなのだな」
稲荷は一瞬巡り会えたと思ったが、違ったと分かり、表情を曇らせる。
「お困りごとですか? 是非よろしければルビーゼが手を貸そうじゃないかっ」
「稲荷、お金がないのだ。だから金貨五枚で買える剣を探しているのだ」
「金貨五枚ですか……?」
ルビーゼは右手を右目を包み込むように当て、考え込む。
稲荷はルビーゼの一挙手一投足を見逃さない。
本人が自覚していないような癖でさえ凝視し、その度に驚かされる。
「金貨五枚で売ってる剣は……思い当たる物はないですね。ですがルビーゼが足りない分のお金を出しましょう」
「それは駄目なのだ。稲荷、返せないのだ」
「ではお金に代わる何かと交換、でどうでしょうか?」
「良いのか?」
「もちろんです。ルビーゼは人の役に立つことが好きなんです」
ルビーゼの表情に嘘偽りはなかった。
心から他人を思い、他人のために生きたいと願う不思議な女性だ。
「そうだ。稲荷、凄い宝石を持ってるのだ」
思い出したように尻尾に手を突っ込み、真っ赤に輝く宝石を取り出した。
瞳ほどの大きさの宝石。
ルビーゼはその宝石をじっと眺め、言葉を失っていた。
「あっ、でもこれは駄目なのだ。これはあの日約束した少年から貰った大切な物なのだ」
「大切……ですか」
「約束したのだ。また会えるように、あの少年はこの宝石を稲荷にくれた。だから、これだけは交換できないのだ」
「そう……ですか」
大事そうに宝石を尻尾にしまう稲荷を見て、ルビーゼははにかんだ笑みを浮かべた。
上手く笑えない。
「ん? どうしたのだ?」
「なんでもないです」
ルビーゼは稲荷に背を向け、表情を隠す。
ルビーゼの挙動を不思議に思いながらも、稲荷は再び尻尾に手を入れ、ある物を取り出した。
「これはどうなのだ」
稲荷が握っているのは"錠開け"の魔法が使用できる魔法チケット。
「買い取ろう。丁度欲しかったところなんだぜっ」
ルビーゼは魔法チケットを受け取る。
「それじゃあ剣を買いに行こう。足りないお金はルビーが……じゃなくてルビーゼに任せてもらおうじゃないかっ」
とその前に、と前置きし、
「店に行く前に寄りたい所があるんだ。良いかいっ?」
「大丈夫なのだ」
稲荷は快く承諾し、ルビーゼの足取りを追う。
しばらくして着いた場所は、自然豊かで花がいたるところに飾られている家。
「お婆ちゃん、お水持ってきたぜっ」
ルビーゼは腰につけたポーチからミニチュアサイズのジョウロを取り出す。
ポーチから出るとみるみる大きくなっていき、最終的に赤ん坊ほどの大きさで止まった。
「中に廻水晶が入っているから三十日は持つぜっ」
「いつもありがとね。ルビーゼちゃん」
「他に困り事があれば何でもルビーゼに任せるのだ」
お婆ちゃんはルビーゼに感謝していた。
受け取ったジョウロで家中の花に水をかける。
「次行こうじゃないかっ」
どうやら他にも二件残っているそうだ。
一つはピッケルが欲しいという依頼、もう一つは発光結晶が欲しいという依頼だ。
ルビーゼはどちらも容易にこなす。
更には稲荷が欲しいと言っていた剣を金貨三十枚で購入する。
稲荷は断ろうとしたが、ルビーゼに押し切られる形となった。
「やっぱ人のために何かをするっていうのは気持ちが良いじゃないかっ」
一仕事終え、二人は高台に立ち、風に揺らされていた。
稲荷はまだ数時間という短い間過ごしたルビーゼのことを深く理解していた。
思いやりを人一倍持ち、人のために尽くす行動力と能力を兼ね備えている。
稲荷はあの日の少年を思い出す。
あの日会った少年も優しかった。
「ルビーゼ、お前はやっぱり昔会った少年に似ているな」
ルビーゼは一瞬言葉に詰まる。
何を言えば良いのか分からない、困惑故の間隙だった。
「……会えると良いですね」
「会いたいのだ。もしかしたら稲荷のことを忘れているのかもなのだ。それもあり得なくはない話なのだけど、寂しいかな」
草原に寝転びながら、真っ赤に輝く宝石を眺める。
あの日のことを回想しながら。
「それとも覚えていて会わないのかもなのだ」
「もしかしたらその少年は、会えない理由があるんじゃないですか? その頃の姿とは何もかもが変わって、自分を偽って生きている、とか。だから会わないんじゃなくて会えない」
「そうだろうか」
稲荷は体を起こし、背中を向けて立っているルビーゼに向かって言う。
「それではまるで偽ることが悪いみたいなのだ。自分を偽ることは悪いことじゃなく、むしろその決断をしたことは勇気がいるはずなのだ。そこに障害は存在しない。だから会えない、ではなく会おうとしていないだけなのだ」
ルビーゼは少し振り返ろうとして、やめた。
今顔を見てしまえば、きっと、きっと……
「あの少年がその選択をしたのならば、稲荷は何も言うことはないのだ。会えなかった、それで終わりなのだ。きっとあの少年は偽った先で色んな人に出会い、幸せな人生を送っている。そう思って、稲荷はまたここを去るのだ」
「稲荷さんは……稲荷は、会えなくても良いんですか」
「良いのだ。会えなくても、思い出で繋がっているから。稲荷は思い出を胸に抱えたまま前に進むのだ。世の中には、言葉を交わさなくても伝わることはたくさんあるのだから」
稲荷は無限に広がると思えてしまう空を眺めて言った。
空を見上げたままのルビーゼは動けず、沈黙する。
互いにそれ以上言葉は交わさなかった。
お互いに言いたい言葉があった。伝えたい思いがあった。
だがルビーゼは振り返らない。だが稲荷は空を見上げる。
「ーーーー」
「ーーーー」
だから、二人は知らないふりをする。