物語No.38『疑いの目』
列車は終点で停車する。
錬金術師の里まで線路は繋がっておらず、途中からは徒歩で向かわなければならない。
既に列車で二時間以上かかっている。ここから一日ほどかけて歩かなければいけない。
その事実を知った時の反応は様々だったが、愛六はここぞとばかりに絶望していた。
「魔法でなんとかならないの」
「愛六が習得すれば良いんだよ」
「よし、今から頑張るぞ」
「多分一年はかかるだろうけどね」
「もっと長い……」
愛六の瞳からは涙がポロポロとこぼれ落ちる。
一日も歩かなければいけないという状況と向き合う度、絶望が耳元で「帰ろう」と囁く。
愛六が列車に引き返そうと踵を返したのを見ると、琉球がすかさず愛六の腕を掴んで阻止する。
「嫌だ嫌だ。歩きたくない」
濁った声で泣き叫ぶ。
「しかも何ここ。見渡す限り山だらけなんですけど。絶対に登るよね、ね、ねっ」
周囲は山だらけだ。
干からびた大地、所々に生えているのは金属、家屋の一つも見当たらず、視界に収まらないほどの鉱山が立ち並ぶだけ。
ここで働いているのか、ヘルメットを被り、ピッケルを持った男たちが鉱山に生える金属を削っている。
「ねえねえ稲荷、あの金属って持ち帰ったら売れるの?」
「もちもち。金属は武器や防具で使うからね。ってか今日は皆防具は装備してないんだね」
全員武器も防具も装備していない。
現実世界で着ている私服を身につけ、異世界を冒険している。
三世は指先まで隠すほど袖の長い服を着ている。
「長袖を着ていると自分を包み隠してくれるみたいで安心するから」
「なるほど」
対照的に、愛六はほぼ袖のない青い半袖を着て、お腹を出している。短パンは太ももを覆い隠すことはせず、淫らに肌をさらしている。
深海のような深く濃い紫色に近い色を持つ髪を小さく折り畳み、ポニーテールにしている。
琉球は黒色の半袖にフード付きの服を着て、長ズボンを履いている。
三浦は影に隠れるような服を着て、ポケットに手を突っ込み、まるで雰囲気は暗殺者だ。
操られていたとはいえ、あの頃の装いは身体に染みついている。
「装備をつけた状態で山登りは駆け出しには相当な負担になる。疲弊した状態での戦闘は危険だ。だから君たちには装備をさせていないわけさ」
暦は淡々と説明する。
「それに、ボク一人でも君たちを護れるからね」
自信は表情には見せないが、台詞から自分の強さを自負しているようだ。
「しかし鉱山地帯は掘削されている場所が多く、そのため足場の不安定による落下事故が何度も起こっています。気をつけるべきはモンスターだけではありません」
真実の注意を皆が真摯に受け止める。
一時はピクニック気分になっていた愛六らの心が引き締められる。
「錬金術師の里までは長い道のりになりますから、食糧も十分に必要です。遭難した場合にも備えてです。あなた方はどれほど持ってこられたのですか?」
答えは簡単だ。
列車の代金もまともに払えない状況だった。
食糧を大量に買い込むことができる余裕はあるはずがなかった。
まず錬金術師の里がどのような場所か、稲荷以外は詳しく把握していない。
そのため用意しようという心構えを持つことはできない。
誰かが食糧を買っているのかもしれない。そんな雀の涙ほどの疑念があるからか、誰も答えない。
もちろん食糧を持っている者がいればすぐに名乗り出るだろう。
真実はすぐに状況を悟る。
「もしよろしければ、私が錬金術師の里に着くまでに必要な道具を一式買ってきましょうか?」
「「いいんですかっ!?」」
稲荷と愛六は声を揃えて歓喜する。
暦は稲荷を、琉球は愛六の腕を掴み、真実に抱きつくほど近づく二人を引き離す。
「お話はありがたいのですが、本当によろしいのですか?」
琉球が不安そうに尋ねる。
「無論だ。いずれにせよ、一人用の道具一式は買うつもりでしたので、六人分の費用が増えても支障はありません」
真実に異論はない。
申し訳なさを感じさせないためか、真実は「むしろ楽しい道になりそうです」と言って感謝した。
「では私はあちらの店で買い物をしますので、しばらくお待ちください」
真実は礼儀正しく言うと、駅の横に立つ唯一の建物へ向かう。
真実が戻ってくるまでの間、暦らは周囲を見渡していた。
山といっても、傾斜がなだらかな場所もあれば、崖のように絶壁な場所もある。
「稲荷、一日で行けるって言ってたけど無理だよね」
愛六は高くそびえる山々を見て絶望する。
「稲荷が本気を出せばこんな山、簡単に登れるのだ。ま、出さないけどね」
腕を組み、口笛を吹き、そっぽ向く。
愛六は疑いの眼を向ける。
「さては疑ってるな」
「もちもち」
「真似するな」
稲荷はピコピコハンマー並みの強さで愛六をぽこぽこと叩き始めた。
愛六は痛くもかゆくもない、と醸し出すように振る舞っている。
拳の雨に当たりながらも、愛六は足元に落ちている金属片に視線を固定していた。
「あっ」
その金属片を稲荷が踏みそうになった。
瞬間、愛六は一直線に稲荷の足場へ飛びかかる。金属片をかばうようにして、愛六は四つん這いになる。
「私の金属、私のお金」
「愛六、何してるのだ?」
「この金属を売るんだよ。そしたら大金持ちだよ」
「大袈裟なのだ。そんな物、今の愛六には無意味なのだぞ」
「……へっ!?」
愛六は首を傾げ、稲荷を凝視する。
「ここ鉱山地帯で金属などの採集を行うには錬金ギルドの許可が必要なのだ。採れた金属や鉱石は全て錬金ギルドを通さなければ売買してはいけないことになっている。もし錬金ギルドを通さなければ即逮捕」
稲荷は両腕を差し出すポーズを愛六に向ける。
「えええええええ。なんでよおおおおお」
「採りすぎれば鉱石は枯渇する。鉱山地帯にもダンジョンのような循環システムが存在しているとはいえ、過度な破壊行為を行えば機能に支障が出てしまう。故に、錬金ギルドが統括するのだ」
「じゃあダンジョンもギルドが統括したりしてるの?」
「そうなのだ」
「錬金ギルドとギルドって名前ほぼ一緒だけど、どういう関係なの?」
「話は昔に遡るのだけど、かつて鉱山地帯を支配しようとする者たちがいたのだ。彼らは鉱山を独占し、大金を稼ごうとした。錬金術師の里にいた錬金術師は初めは対抗していた、だがしかし、ある日から戦うことをやめたのだ」
「懐柔か」
「正解、故に彼らを中心に組織が結成され、鉱山地帯の資源を採集しすぎた結果、循環の機能が間に合わないほど荒れ果てた。ギルドは事情を知り、師団を派遣し、これを殲滅。その後錬金術師の里の者たちと協力し、錬金ギルドを結成したのだ」
「私たち、行ってもなんもされないよね」
「死んじゃうかもね。でもそれも冒険だよ」
稲荷は微笑みながら平然と言った。
死に対してまるで無頓着。
愛六が静かにゾッとするのに対し、三世と三浦は少しも脅える様子を見せない。
「でも大丈夫だよ。暦がいるし、何より私がいるんだ。もしかしたらあの日出会った少年が今では錬金術師の里では超有名人になってて、私に特別待遇を施してくれるのではないか」
淡い期待に胸を弾けるまでに膨らませる。
「早く里に行きたいなぁ」
稲荷はウキウキと心を踊らせる。
会話が弾む最中、真実がバックパックを背負って戻ってきた。バックパックはパンパンに膨らんでいる。
「その食糧、何日分ですか?」
愛六はバックパックを眺めて呟く。
「錬金術師の里までは歩いて最短三日はかかります。ですので、予備も合わせ四日分の食糧を用意しました」
「最低三日!?」
鋭い視線が稲荷へ向けられる。
「一日も三日も変わらないのだ。それに歩けばなのだ歩けば。稲荷なら全力ダッシュで一日で着くのだ」
「はい、その通りです。しかしあなた方の多くが駆け出しでしょう。そのためモンスターとの戦闘を極力避けられ、尚且つ危険な道を排除した結果、最短でも三日になります」
「それでも多少のモンスターとは戦うんでしょ」
「はい。しかしここに出現するモンスターはほとんど肉体が頑丈ですので、駆け出しの装備では攻撃は通らないでしょう」
「めっちゃヤバくね」
「鉱山地帯は入り組んだ場所が多いですから、迷子になる危険性も捨てきれません。私はここの地形は完全に把握していますので、その心配はありませんよ」
優秀な真実が語る次々の事象に、愛六らは頷き続けていた。
「真実、やけに詳しいな」
「ええ、全ては視覚情報として知っていますから」
三世は一瞬だけ身体をびくつかせ、真実に視線を送った。だがすぐに視線を離した。
「では行きましょう。長い三日間になるでしょうから」
真実は何かを予感していた。
この旅の行く先に、何が待っているのかを。