物語No.26『気づいて』
ネタバレ屋。
またここへ戻ってきた。
「長い葛藤と苦悩の末、君は進むことを選んだ」
客が来ることを分かっていたのか、ネタバレ屋は椅子に腰掛け、僕の目を真っ直ぐに見つめていた。
「知っていたでしょ。あなたは全てを知っているから」
「確かに私は知っている。でも、選んだのはあなた」
ネタバレ屋の手もとには本が置かれている。
分厚く、大きな書物だ。
表紙を撫でるように手を置き、僕をじっと見ている。
「あなたは一度、闇に染まりかけた。だが、もどってきた」
「はい」
「これは、あなたの未来が書かれた書物。潜在能力を使って奪ってみなさい」
すかさず交代を発動し、ネタバレ屋と僕の位置を入れ換える。
だが、位置は変わらなかった。
まるで当然かのようにネタバレ屋は微笑んでいる。
「言っていなかったかしら。特殊潜在能力には弱点や条件、代償があると。あなたの場合、潜在能力の発動に条件があるみたいね」
「条件? 一体どんな条件ですか?」
「潜在能力はその者の潜在意識の表れでもある。あなたはいつも誰かになりたいと願った。君の願望が形になったのが潜在能力」
ぐうの音も出ない事実だ。
会話が上手で、誰とでも仲良くなれる愛六みたいに。
どんな不条理にも立ち向かえる勇気がある琉球みたいに。
僕は何度も他人になりたいと思ってきた。
「条件は君の欠点、克服したいと思う事柄だ」
僕は欠点だらけの人間だ。
数少ないヒントで答えに思い至らない。
答えの候補がありすぎて、何が正解か分からない。
「分かったかな?」
「僕は欠点だらけの人間です。間違いだらけの人間です。だから、僕には分からない」
「そうか。やはり君はそう答えるか」
ネタバレ屋は表情一つ変えずに言った。
彼女の表情は以前変化しないままだ。
「もうすぐ今日が終わる。だからこれは警告だ」
重々しい空気のまま、彼女は告げる。
「現実世界の一ヶ月は三十日だ。だが異世界には、その先がある。君が望むなら、君が選ぶなら、君は異世界で始まる三十一日から六十日を過ごすことができる」
僕は思い出す。
三浦さんは言った。
「ーー創世三世、私を救いたければ、三十一日の異世界へ来い」
三浦さんを救うには、先へと進まなければいけない。
「ただし、三十日が終わるまでに異世界に来なければ、異世界で始まる三十一日後の世界に進むことはできない。決断の時は、今だけだ」
僕は、ずっと迷っている。
ゴールがないかもしれない迷路を、延々とさ迷い続けている。
迷路は嫌なことだらけだ。
辛いこと、苦しいことが、繰り返されることだってある。
また同じ道を辿る。
もしここで現実世界に帰ってしまえば、またあの道に出る。
慣れれば良かった。
でも、慣れないよ。
僕にはそんな才能はなくて、痛みも苦しみも、受け止めることはできなくて。
ずっと一人で、ずっと一人で……
「君は最初、現実世界を逃げる場所だと思っていた。現実世界から逃げるための避難場所。だがそれでは君を現実世界に戻してしまいかねない」
ネタバレ屋は真剣なトーンで言う。
「最後の問いだ。君は、異世界に何を望む?」
異世界が僕に聞いてきた。
ーーどうして一人で泣いている。
「僕はひとりぼっちだから」
ーー君にとって異世界は何?
「異世界は僕の理想、僕の憧れ」
ーー君は異世界に何を求める?
「力」
ーーどんな力?
「ただ強い力。誰よりも強く、カッコよくて、世界最強の力」
ーー違う。君が本当に求めているものは、今答えた虚飾で覆い隠されている。
「ど、どういう……こと?」
ーー君はまだ自分自身と向き合えていない。このままでは君の潜在能力は蕾に返るだろう。
「嫌だ。せっかく力を手に入れたのに」
ーー君は選ぶ。だから異世界は、君を待っているよ。過去と向き合うその時まで。
異世界は僕から遠ざかってしまう。
ネタバレ屋により力なのか、僕は異世界から引き剥がされる感覚に陥っていた。
現実世界が近づく恐怖が迫る。
僕は結局、救われない。
落ちてしまう。
空間に裂け目が走り、吸い込まれる。
異世界から放り出される。
体が宙に浮く感覚の直後、手が誰かに掴まれた。
「ネタバレ屋、少し待て」
暦の言葉に、ネタバレ屋はまばたきをした。
直後、現実世界へと引き戻そうとする割れた空間は消失した。
僕は手もとを見る。
見覚えのあるがっしりとした手が僕の手を掴んでいた。
「琉球……!?」
僕は咄嗟に逃げようとする。
だが出口には愛六が道を塞ぐように立ち塞がっている
「逃げんな」
愛六の雷のように大きな声が、僕の鼓膜に突き刺さる。
僕は驚きで身を震わせた。
愛六は僕の顔を掴み、琉球の方へ無理矢理向かせた。
きっと逃げた僕に文句を言いに来たんだろう。
僕は悪い奴だから、飛びっきりの悪口でも言いに来たんだ。
僕は琉球を睨みつける。
琉球は僕の顔をじっと見つめ、甘く、囁くように言った。
「一人にさせてごめん」
瞬間、愚痴が消えた。
桜の花びらが風に吹かれて消えるように、敵対心がなくなっていく。
「三世が学校に来なくなった理由はそれだろ。気付いていた。でも、俺は助けてやれなかった。ごめん」
何で謝るんだよ。
僕は勝手にいなくなったんだ。
君との約束を破って、僕は現実世界からも異世界からも逃げたんだ。
なのにどうして……
頬が濡れる。
気付けば、目から大粒の涙が溢れていた。
止めようにも、涙腺は決壊した。
「俺は頼りない奴だ。仲間の苦しみにも気付いてやれない駄目な男だ」
違う。
お前は誰よりも主人公だ。
お前がいなきゃ、俺は初めて異世界に来たあの日、死んでいた。
「そんな俺でも、もう一度仲間になってくれないかな」
琉球は優しく手を差し出した。
赤子の頭を撫でるように、そっと。
「僕の方こそごめん。僕は、皆を困らせた……。ごめん、ごめん、ごめんなさい」
謝ることしかできない。
非力な僕は、頭を下げた。
「迷惑をかけて、ごめんなさい」
「迷惑じゃないさ。居てくれるだけで、俺は嬉しいよ」
眩しすぎた。
太陽に近づきすぎたみたいだ。
僕は琉球が差し出す手を掴む。
ぎゅっと握ると、琉球も優しい力で握り返した。
「三世は一人じゃない。三世には俺がいる」
そうか。助けてって言えば良かったのか。
琉球はこんな僕でも助けてくれる。
これからは君に報いよう。
僕と琉球を横で見ていたネタバレ屋は、静かに口を開く。
「君の潜在能力の条件、それは対象が友達であること。お互いにそう思っている場合にのみ、君の潜在能力は発現する」
確かに僕は友達が欲しかった。
でも友達がいない。
潜在能力の条件はそれだったか。
悩みに悩んだ一ヶ月。
僕は前に進めただろうか。
気持ちをぶつけ合った後、不思議な余韻が残る。
「一息つくのはまだ早いでしょ。三浦さんを救うんでしょ」
愛六は腕を組み、僕らに背中を向けて言った。
恥ずかしいところを見せてしまったと顔を赤く染める。
「三浦さんを救う。必ず、必ずだ」
僕らはまだ、冒険の途中。
まだ見ぬ先に、何が待っていようとも、必ず越えてみせる。