物語No.15『魔女の契約』
銀の輝きが橫一閃になびく。
胴体と顔を切り離された魔物は声にならない悲鳴を上げ、苦しみながら朽ちていく。
青い血が地面を染めた。
「あれから一ヶ月、星二程度のモンスターなら軽々と相手にできるようになったようだね。想像以上だ」
モンスターは星一から十まで分けられている。
星一下位と上位は駆け出しの冒険者でも応戦できるレベル。星二は駆け出しの冒険者では苦戦するレベルだが、十分経験を積んだ冒険者なら優勢に持ち込めるレベルの魔物。
三世、愛六、琉球の三人は遺跡型のダンジョンでモンスターと戦闘を繰り広げていた。
石畳の壁や床には青い結晶が生え、結晶は遺跡内部を仄かに明るく照らしている。
僅かな光源を頼りに、三人はモンスターが棲まう遺跡で戦闘技術を向上させていく。
モンスターとの戦闘に脅えていた最初に比べ、今ではモンスターを翻弄していく戦術を多用するまでになる。
「今日はここまでだ。明日、ダンジョン領域を更に先へ進む」
ダンジョン領域は奥へ進むほどモンスターの強さが増す。
序盤から第一区画と定められ、最終地点には第百区画が存在する。
現在の最大到達点は六十六区画。そこでは異世界最強の冒険者パーティーが日々戦闘を繰り広げている。
彼らは"勇者パーティー"と呼ばれ、熟練の冒険者が束になっても勝てなかった星六上位に指定されたモンスターを倒すほどの偉業を成し遂げている。
現状、異世界にとっての最大の希望である。
「暦さん、勇者パーティーは全員異世界出身者なんですよね」
遺跡の一室で休憩中、琉球は尋ねた。
一息ついている部屋は、モンスターが再出現するまで三十分程度のタイムラグがある。
部屋のモンスターを一掃した四人は襲撃を警戒せず、気楽に話ができた。
「ああ。そうだが?」
「異世界出身者と現実世界出身者では身体能力や魔力などに違いはあるんですか?」
「多少の違いはあるかもしれないが、出身が現実か異世界かによってそれらが変化することはあまりない。変わるとすれば種族が違う場合だ」
「種族……? リザードマンとかそういうのですか?」
「例えばリザードマンは敏捷性に長けている。他にもエルフであれば魔力に特化しているし、獣人であれば嗅覚などに優れている。というように、違いがある」
「人は何に優れているんですか?」
「特にない、というのが現状だな」
そこで会話は途切れた。
もうすぐ三十分経つということで遺跡を後にした。
●●●●
現実学園高等部一年一組の教室の風景はいつも同じだ。
琉球はクラスの中心となり、休み時間や昼休みはよく皆でサッカーをしたりして遊んでいる。
愛六はクラスでも飛び抜けた美女であると自他共に認め、クラスの女子を統括している。
三世は……
彼はいつも一人だった。
友達がいないわけではない。
ただ、彼は人に話しかける勇気はなかった。いつも誰かが自分に話しかけるのを待つような臆病者だった。
机に上体を倒し、休み時間が終わらないかと待ちわびている。
本人は寂しくないと、一人が良いと心の中で誤魔化しをしようとしても、一時の気晴らしでしかない。
本心は叫んでいる。
ーー寂しい、苦しい、一人は嫌だ。
ーー死にたい、死にたい、死にたい。
だからといって、死に走ることができるほどの覚悟は持ち合わせていない。
死ぬことは恐い。
同様に、生きることも恐かった。
心が死にたいと叫んでも、心の叫びは臆病風に吹き消される。
だが最近、彼は生きる希望を見つけた。
「異世界……、異世界に早く行きたいな」
異世界が憂鬱に染まった彼の心に転機を投じさせた。
彼にとって、異世界は救世主だった。
クラスの中で、異世界を知っているのはたった数人。そこに自分がいて、異世界で日々戦いを繰り広げている。
自分は特別だ。
自分は選ばれた。
ーー異世界は僕を選んだ。
だが、まだ弱い。
もっと強くなりたい。
誰よりも強くなりたい。
三世は憂鬱だった。
彼の心を見透かしていたからこそ、彼女はーー魔女エンリは手を差し伸べた。
屋上で一人、憂鬱に浸る三世の前に、空から降ってくるように彼女は現れた。
「創世三世。私があなたを救ってやろう」
魔女は言った。
「これは契約。あなたは私の僕になりなさい」
ゆっくりと落ちながら、手を差し伸ばす魔女。
三世は心の思うままに、魔女の手に自分の手を重ね合わせていた。
瞬間、周囲が一瞬闇に染まった。
明かりでさえも届かない闇の中で、三世は魔女の手を握る感覚だけを感じていた。
闇が晴れ、光が取り戻された世界。
三世は自分の体に異変を感じていた。
「創世三世、異名はエーテル。私からあなたへの契約は結ばれた。これよりあなたは私の僕。どうぞよろしく」
魔女エンリはふふふっ、と微笑む。
念願だった契約が成立し、この上ない昂揚が身を震わせていた。
「エーテル、あなたの左手には黒い紋章が刻まれたのよ。それが契約の証」
三世は制服の袖をまくり、左手を直に確認した。
魔女エンリの言った通り、左手の甲には黒い線で翼の紋章が刻まれていた。
「あなたが契約を違えば、その紋章はあなたを苦しみに犯すの」
「契約……」
不思議と、恐怖心はなかった。
いや、魔女エンリによって恐怖心をすっぽりと抜かれてしまっていたのだろう。
無論、そんな思考には至らない。
三世は魔女との契約に中二病的な喜びを感じていた。
契約がどのようなものであろうと、彼にとっては契約という行為だけで嬉しかった。
「魔女エンリ、僕を救うと言ったが、僕の苦しみを知っているのか?」
「私は他人の心を読むことができる。あなたが何で苦しんでいるかはお見通しってことよ」
「なら救ってくれ。望みを叶えてくれ」
「それは契約?」
「いや、願いだ」
「契約に対し、願いで返すか。あなたは面白い人間だ」
魔女エンリは三世に向けて笑みを浮かべる。
「いいぞ。今回のあなたは気に入った。私があなたの願いを叶えてあげましょう」
魔女エンリは承諾した。
「手始めに一つ、あなたの願いを聞かせてくれないかしら」
三世は迷わず答える。
「僕は、強さが欲しい」
「正解。ではあなたに力を与えましょう。あなた、異世界をまだお伽噺と重ね合わせていた見ているんでしょ」
図星だった。
「魔法が自分の世界を変えてくれる。本気で信じているんでしょ」
的確だった。
「故に、あなたが欲しいのは特別な能力。普通の能力とはかけ離れた自分だけの力」
正解だった。
「良いのよ。あなたは力を欲しても。だってこれはーー」
魔女エンリは三世の耳元で呟く。
「ーーあなたの物語なんですから」
三世は全身に電撃が走る。
「強欲になりなさい。傲慢になりなさい。そして私の願いを叶えてちょうだい。その末に私が望む未来がある」
魔女エンリに、三世は完全に魅了された。
「さあ始めましょう。あなたに与える能力を全力で生かして見せなさい。これからが本当のーーあなたの物語」
窓際に置かれた書物が、風に吹かれてページがめくれるように、三世の物語は動き始めた。