物語No.10『そろそろ始めましょうか』
ーーねえ知ってる?
モンスターは異世界を越えて現実世界に出没する。
だが出現したモンスターを見ることができるのは、異世界と接続した存在のみ。
モンスターによっては人や街に被害を与えてしまう。力が強ければ強いほど、現実世界への干渉の度合いも大きくなる。
ーーただ見ているだけなのもつまらない。
彼女は三人組の少年少女を見て思っていた。
ーーこの子たちでしちゃいたい。あんなことやこんなことを、また、何度でも、何千回でも。
彼女は全身が紅潮し、今にも火照り果ててしまいそうだった。
体が興奮で躍動し、全身から火が出るほどの高揚。
想像するだけで、気分が良かった。
彼女は退屈だった。
だが今、彼女は再び退屈を置き去りにできる。
「見ていろ退屈、私は今から最高潮の瞬間を作り出す」
彼女はただ嬉しかった。
自分の遊び相手が見つかったこと。
だがいつも、彼女の遊び相手はすぐに壊れてしまう。
だがいつも、彼女の側にはおもちゃが現れる。
壊し、破壊し、崩壊させるを繰り返し、何度も彼女は絶望を生み出してきた。
「気持ち良くなっちゃうなぁ。あの子たちを早く壊しちゃいたいな」
彼女は笑う。
期待が渦巻く興奮の渦中で。
●●●●
現実学園高等部一年一組。
十三山脈都市と呼ばれる巨大な十三の山の上に立つ学校のひとつ。
そこに彼らーー琉球、三世、愛六ーーはいた。
修学旅行も終わり、五月を迎える。
三人はそれぞれ物思いにふけっていた。
異世界での生活と現実世界での生活、安堵と恐怖の交錯を繰り返し続けている。
横並びの席の琉球と三世は、休み時間に集まっていた。
「なあ三世、俺たちはいつまで異世界で戦い続けるんだろうな」
「……」
三世は寝たふりをして言葉を返さなかった。
異世界に対して並々ならぬ思いを抱えているのは皆同じだ。その感情を共有しようとする琉球に対し、三世は自分の感情はさらけ出すことはしない。
長年の付き合いで三世のことを深く理解している琉球は、一方通行の言葉に対する返信を待つことはしなかった。
「三世、今日の夜もだったな。お互い、全力で生きよう」
琉球の本音を、三世はまたしても聞いていないふりをした。
三世は寝たふりを続けたまま、校庭でサッカーをして遊ぶ学生を羨ましそうに眺めていた。
「普通の生活、したいなぁ」
思わずその言葉がこぼれ出た。
すぐに口を閉ざし、誰にも聞かれてないかと周囲をキョロキョロと見回す。
誰も近くにいないことを確認し、安堵しながら再び机にぐったりと上体を倒す。
三世は言わない。
だが考えている。
(学校はつまらない。別にぼっちが嫌だからとか、友達が少ないからとか、そういう理由じゃない。
ずっとお伽噺のような世界に行けたら良いのに、なんて非日常なことを考え続けていた。
念願叶ったはずなのに、今の僕にはまだ何かが足りていないように思える。これも昔から僕の心で起き続ける現象が原因なのだろうか。
『僕は僕であり、僕じゃない』
『一人はみんなのために、みんなは一人のために』を再現するような現象が僕に度々起こっている。
たまに誰かの視線を見ている。たまに誰かの人生を生きている。
僕は生きているのか、それさえも分からない。
ただ一つ、僕は憂鬱だった。
誰かに僕を救ってほしい。誰か僕に手を差し伸ばしてほしい。
誰か、誰か、誰か……)
「ーー死にたい」
三世はそれを口にしたことに気づいていなかった。
だが彼の言葉を彼女は聞いていた。
ーー知っている。
ーー知っている。
ーー知っている。
ーーだからあなたに『さよなら』を。
授業開始のベルが鳴る。
ベルの響きをかき消すように、空間を揺らす雄叫びが学校中に響いた。
高等部一年一組の生徒の内、雄叫びで身震いを起こしたのは三人だけ。
「琉球、今のって……」
人ではないことはすぐに分かった。
背筋が震えるような威圧感。
ーー知っている。
三人は恐る恐る、雄叫びの余韻がいち早く消えた校庭に視線を向けた。
「何で……っ!?」
手に持っていたペンが自然とこぼれ落ちた。
恐怖が心を埋め尽くした。
ここは現実世界。モンスターがいるはずもない世界。
だがそこには確かに、モンスターがいた。
三人の瞳は異形の存在を捉えていた。
三世のもとへ琉球、愛六が集まる。
「琉球、どうしよう……」
「どうするも何も、戦うしかないだろ。戦わなきゃ、あの化け物によってこの学園の生徒が犠牲になる」
最悪の想定が真っ先に思い浮かぶ。
目の前にいるモンスターは、ダンジョン領域序盤で相手にしていたような弱小モンスターとは比べ物にならないほどの巨体を持っていた。
トカゲのような顔を持ち、胴体は鱗で覆われている。長い尻尾が生え、自身の体を包み込むほどの巨大な翼を有している。赤く光る眼光は校舎へと向けられている。
「なんでここを狙ってるんだよ」
巨大な存在感を放つモンスターが校庭にいる。
だが三人以外に気づいている素振りを見せる生徒はいない。そこで琉球は悟った。
「まさか……あいつは俺たちにしか見えていないのか……?」
誰もこの場から逃げられない。
あのモンスターを倒さなければ多くの被害が出てしまう。
校庭を漂うモンスターを横目に、三人は焦燥に駆られていた。
武器もなく、防具もない。
力がない、だから戦えない。
「ねえ、もしかしたらあのモンスターって現実世界に干渉できないんじゃない。だから僕たちにしか見えないんじゃない?」
「そうだといいけど……」
だが希望は一瞬で壊された。
モンスターが着地した倉庫は一瞬で潰された。
「干渉できてる」
ーー戦え
三人は分かっていても、戦えない。
「琉球、僕たちは弱い。どうせいつか異世界で死ぬ。だから今ここで死んでも……いいよ……」
「駄目だ」
弱い声で嘆く三世を一掃するように、琉球は大声で言った。
教室中の視線が浴びせられるのに気にも止めず、琉球は続けて言う。
「今俺たちには戦う力がないわけじゃない。その内俺たちと同じように異世界と接続している誰かがこの危機に駆けつけてくれるかもしれない」
「かもしれないだ。絶対じゃない」
「でも、何もしなければ絶対に死ぬ」
三世は顔を下げ、琉球と目を合わせない。
「目を背けていれば、なんて駄目なんだ。戦えるのは俺たちだけだ。ここで逃げ出すくらいなら、この先一生前に進めない」
琉球は熱く言葉を放つ。
それでも三世はうつむき続ける。
「無理だ。勝てない」
「勝たなくていい。時間を稼げれば良い」
「でもその力がないーー」
「ーーある。俺たちには潜在能力があるだろ」
三世は目を見開いた。
「ああ、そうだったね」
唐突に三世の声が曇る。
目は走馬灯を見ているように、悲しい目をしていた。
「琉球、愛六、二人には潜在能力があるよ。でも僕にはない。僕は潜在能力を持っていない。だから僕は……戦えないんだ……ッ」
苦しそうに答えた。
三世は胸を直接握り締められる苦しさを体験していた。
声を出すのだって死にそうなほど苦しかった、胸が痛い。
三世は言わない。
なぜ潜在能力を持たないのか、その理由を。
なぜあの日、潜在能力を解放させなかったのかを。
三世は相変わらず二人の目を見ない。
琉球はこれ以上の説得の無意味さを感じていた。
「分かった。なら、俺たち二人であいつを止める」
琉球は愛六を連れて三世から遠ざかっていく。
(待って、待って。僕は、僕は……)
去り際、琉球は名残惜しそうに三世の顔を見た。
笑みなど想像もできない、暗い表情を浮かべているだけ。
(僕だって力があれば……、力さえあれば……)
今さら悔やんでも、時間は戻らない。
三世は席から一歩も動かず、外で暴れるモンスターを見ていた。
「あれは……」
三世は知っている。
その姿を、容姿を、恐ろしさを、誰かの目で見たことがある。
確かその時、あのモンスターを一緒に見ていた冒険者はこう言っていた。
「ーーリザード・ドラゴン」
席で誰も引き寄せないオーラを放つ三世に、ある少女は遠慮なく彼に話しかけた。
磨きすぎた黄金のような輝きを持つ髪、白黄金色の瞳で三世を凝視する少女。
「私は神妹境娘。暦の友達」
「暦さん……ということはあなたも?」
「あなたの質問には答えない。だから私の質問に答えて」
わがままな彼女は、寂しげな少年を見て尋ねる。
「どうしてあなたは戦わないの?」
三世は言葉に詰まった。
逃げ出したい衝動に駆られ、そして静かに口を閉ざした。
神妹境娘は、そんな三世に再び尋ねる。
「どうしてあなたは戦わないの?」