物語No.96『全てを思い出す日』
暦と彼女がぶつかる。
暦の槍が獅子の如く暴れる。
彼女は両腕で槍を丁寧に捌いていく。
「あなたたちはあれだけ苦労して魔女の左目、左腕を奪った。だけど全て無意味だったわけだけどどうかしら?」
「今度はお前の命を奪うだけだ」
「無駄よ。だって私は神なのよ。あなたの動き、弱点、全てが見える。戦いにもなっていないことを分かってる?」
この間の攻防、暦が槍を振るった数は百を越える。だが全てを、礼儀正しい所作で食事をしている背景を映し出すように受け止めている。
槍を掴み、放す。それの繰り返し。
「相変わらず油断が好きだな」
「そうね。神である私は無敵だけど、魔女である姿は完全ではない。つい神として振る舞っちゃうのよね」
「無敵だと?」
「そう。結局私に肉体は存在しない。けれどこの御神体があれば私はあなたたちとある程度対等に渡り合える」
「実際は肉体がないと、そういうことか」
「神とは世界ーー異世界そのもの。つまり異世界を壊しでもしない限り私は死なないわ」
「お前はこれから異世界を終わらせるんだろ」
「そうよ。現実世界を乗っ取る算段がついたから、異世界はもういらないのよ」
暦の槍を淡々と受け止め、彼女はまるで不思議ではないと感じているのか、言った。
暦の槍は動きを止める。
「……異世界だけでなく、お前は現実世界も滅ぼすってのかよ」
「それが現実世界の神と交わした約束」
「約束……だと!?」
暦は静かにその言葉を繰り返す。
「その話をする前に、魔女と愛六の関係について説明しないといけない。魔女は愛六の潜在能力によって産み出されたと、そう説明されたわね」
「それが間違っていると?」
「三世、愛六、琉球の三人の記憶は改竄されている。それはあの日ーー愛六が三世と琉球に対する嫌悪を始めた日、そして琉球が龍を宿した日」
言葉も出なかった。
「全てはあの日、動き出した」
暦は彼女の蹴りを顔面に受け、地面に転がった。
丁度その時、項垂れていた彼は動き出す。
「今になって思い出したよ。違和感だらけの記憶について」
彼女が語りだそうとしていた。
琉球が頭を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
「俺にはずっと気にかかる事があった。それは自分の記憶の違和感だ。俺は三世と愛六、二人と長い付き合いだ。だがその関係がいつから始まったのか、過去に三人でどんな思い出を共有したのか、その記憶がなかった」
琉球の表情は険しい。
「だがあの日、俺の中にいた龍が目覚めて言ったんだ。ーー思い出せ、と」
「龍が……ですか」
彼女は戸惑いの表情を見せていた。
「では語りましょうか。あの日の真実を」
彼女が一度口を開けば、真実は全て語られる。
彼女の話を、その場にいる者は静かに聞き入った。
「まず彼、三世の提案から全ては始まりました。彼は現実世界で起こるあらゆる事象を調べ、考察した。それらから彼はこう結論を出したのです。
ーー現実世界は異世界と接続されている、と。
そこで幾つか異世界転移が起こりそうな場所をピックアップし、その一つ、あの巨大樹が生える湖へやってきた」
それは現実世界にも異世界にも存在する大樹。
「俺たちが異世界に転移した際に落ちた湖か」
「君たちはあの日、修学旅行で初めてあの場所に来たと思っているがそれは違う。それは高校になって初めてのこと、君たち三人は湖への旅行を計画していた」
琉球の記憶にはない。だが黙って彼女の話を聞き続ける。
「そしてその湖へたどり着いたはいいが、その日は雨が降っていた。ボートを買って湖を漕ぎ、樹へと近づいたが、豪雨によってボートは崩れ、突如出てきた波にさらわれた。目を覚ますと樹の中だった」
「…………」
暦は意味深に琉球に視線を送る。
「あの樹には神が住んでいる。この世界の神は龍の姿をしている。なぜなら、龍は樹がなければ生命を保てない儚い存在。つまり樹から離れれば長い眠りにつく。その日、私は龍に出逢い、話をしている最中だった。つまり君たちは私たちの邪魔をしたんだよ」
「邪魔だと」
「私は現実世界を貰うために現実世界の神と約束を交わした。もし龍が死んだならば現実世界を私に寄越せと。だがさすがに龍は条件をつけた。私が直々に手を出さないということ」
「なるほど」
「そこで幸いなことに、君たちが来た。私は君たち三人の精神を支配して龍を殺すように命令を飛ばした。だが三世は舌を噛んで私の支配を破り、琉球は龍が身体を乗っ取ったことで支配権が奪われた。残ったのが愛六だった」
彼女は血を流して倒れている愛六へ視線をチラリと向けた。
「私は愛六の身体に乗っ取ったまま琉球へ魔法を仕掛けた。それは琉球の中に龍を閉じ込める魔法、そして琉球の記憶の改竄。あの場でお前を仕留めることは不可能だと悟ったからな。やがてお前に乗り移ったままだった龍が眠るのを待ち続けた。
長い準備期間に思えたわ。龍は琉球の身体に住みながら現実世界の人間を異世界に送り込み、私を倒す準備を整えた。私は愛六のコピーとして魔女を産んだ」
琉球は自分の中に龍が巣食う始まりを知った。
魔女の始まりを知った。
「つまり琉球、お前の死は現実世界の神の死を意味する。だから私は魔女を使い、お前を何度も殺そうとした」
「どうして……現実世界の神はそれを受け入れた」
「そっちの神も私みたいに現実世界に飽きていたんじゃないかしら。だから私を殺して異世界を奪おうとしたんでしょ」
琉球は続けて問う。
「どうして現実世界を手に入れようとした?」
「異世界に飽きたから。だからよ」
「そうか」
琉球は強く唇を噛んで拳を強く握り締めた。
「神だかなんだか知らないが、俺はお前が許せない。お前は俺が倒してやる」
琉球は憤怒していた。
まるで自分達の命が盤上の駒のように弄ばれていたから。
「あなたの目を見ると私、興奮しちゃうの」
「もう黙れ。お前は神に相応しくない。これまで死んだすべての者のためにーー」
「倒す、なんて生易しい言葉じゃないわよね」
魔女は煽る。
だがその煽りを意に介さず、はじめから決めていた言葉を口にする。
「ーーお前を殺す」