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そうして話に花を咲かせつつ幼馴染の家へと辿り着く。
昭和の頃に建てられた古く懐かしみのあるその家に備え付けられたインターフォンを押すと、奥から一人の女性の声が聞こえてきた。
「はいはい、今出ますよ…、ってはるちゃんとれん君じゃないかい!大きくなったねぇ…。おや、その人は?」
「…!おば、さん…」
「…っ」
「あぁ失礼。俺は遥ちゃんの職場の上司です。一応、こういう職業の者でして。…息子さんの件を彼女から聞きました。それで、何か少しでも力になれるのではないかと思い、本日は彼女たちと共にお伺いしました」
玄関から女性を見て固まる遥たちを隠すように、自分の名刺を差し出す。
彼女たちが固まってしまうのも無理はない。目の前の女性は快活そうな声で「あらそう」なんて笑っているが、痩せこけた頬に隈のついた瞳がそのしぐさと相まって、より痛々しく見える。彼女を知っている人間なら、これは堪えることだろう。
「なんだか探偵さんにお願いするなんて申し訳ないわねぇ…。れん君も、あの子に会いに来たのよね?ごめんなさいね、今あの子ちょっといなくて…。いろんな人に迷惑かけて、どこほっつき歩いてるんだか」
立ち話もなんだからと言って、彼女は自分達をを家へとあげようとした。そこでようやく2人の意識はこちら側へと戻ってきたようだった。
「っええ、お邪魔します」
「…失礼します」
しかし、依然とも二人の表情は暗いままだ。
当然といえば当然なのだが、彼女のような人間は周りが落ち込んでいるときには特に弱みは見せない性格だろう。幼いころから二人を知っているなら、尚更だ。
「あぁ奥さん、早速で申し訳ないんですけど、息子さんの部屋を探索してもいいですか?…とは言っても、いくら探偵とはいえ初対面の人間に息子さんの部屋をあさられるのは不快でしょう。俺はあなたから彼のことについて少しお話を伺っても?」
おそらくリビングに案内されている途中でそう声をかける。突然のことに後ろからついてきた遥が声を上げた。
「ちょっと創さん、いきなり…!」
「いやぁはるちゃんの知り合いなら、部屋をあさられるとかの心配はこれっぽっちもないんだけどねぇ。私の話を聞きたいのかい?もちろんいいとも。何でも聞いとくれ!」
遥の言葉を遮るように、赤松の母親が通る声で返事をする。そこに怒りの感情はなく、本当に言葉通りのことを考えているのだろう。
「あはは、それでもやはり見知った彼女たちの方が安心でしょう。どうです?俺があなたからお話を伺っている間、彼女たちが彼の部屋に入って探し物をするというのは」
「ああそれはいいねぇ。あの子の部屋、ちょっと散らかってたからさぁ。私が掃除できるとこは掃除したんだけど、探索っていうといろんなとこ探すんだろ?流石に仕事関連の場所は掃除できなかったから、探偵とはいえあの場所に案内するのは気が引けてたんだ」
でも、と言って彼女は足を止めて振り向き自分の後ろにいた2人を見つめながら再び口を開いた。
「2人なら今更だろう?二階のあの子の部屋にも何度も遊びに来てくれてたし…。それにあの子もはるちゃんとれん君になら部屋だろうがエロ本だろうが見られても怒らないと思うんだよ」
「いや流石にそれは怒ると思いますよ!?」
「いやどうだろう、高校時代は好みのタイプ聞いてきたしなぁ…」
「遥と勇人は俺の知らないところで何やってたの!??」
「何って蓮の好みの子を当てようゲーム?」
多少元気を取り戻したのか、懐かしい出来事で盛り上がっている彼女たちを、半ば強引に二階へと押しやる。
「じゃ、そういうことだからそっちは任せたよ」
「いやいやまだ納得してませんからね?ちょっと創さん押さないでくださいよ!」
なおも抵抗の意思を見せる彼女にだけ聞こえる声でひそひそ話し始めた。
「まぁまぁ…。多分あの人、遥ちゃんたちには弱み見せてくれないと思うぜ?今も気丈にふるまってるけど、だいぶキてるだろうし…。俺と二人だけなら、初対面の人ってことで2人よりは弱音を吐きだしやすいんじゃないかな?」
「それは、そうかもですけど…」
「任せとけって、遥ちゃんも信頼している俺の話術にさ。…上のことは頼んだよ」
それだけ伝えて女性の方へと向き直る。
「そういえば手見上げを用意したんですよ。近くに売っていたお饅頭なんですけどね?」
言いつつ、彼女に案内されてリビングの方へと向かう。心配そうにこちらに目を向ける彼女たちに気づかないふりをしながらも2人と別れた。
◇◇◇◇
「さてと、飲み物は麦茶でいいかい?」
「あぁ、ありがとうございます、奥さん」
その言葉に彼女は頬をかきながら照れ臭そうに笑う。
「その奥さんっていうのは止めてくれないかい?あの子たちと同じ年くらいの子に言われるとどうも照れ臭いもんでねぇ…」
透明なガラスコップへと注がれた、透き通った麦茶自分の前に置いた後に、対面するような形で彼女は椅子へと腰かけた。
同じ年くらいという言葉に、思わず苦笑する。
「これでも三十路なんで、彼女たちほど若くないんですけどね。なら赤松さんとお呼びしても?」
想像以上に年を取っていたのか、彼女は少し目を丸くする。しかしそれも一瞬のことで、すぐに先ほどのように笑みを浮かべた。
「あっははは、私に比べたらまだ若い若い!…それで?息子の話を聞きに来たんだよね?」
ニッと好ましい笑みを浮かべている彼女は、よく見ると手先が震えており、酷く緊張しているようだ。
「…ええ。それで申し訳ないんですが、俺は息子さんと直接面識がなくて。遥ちゃんからよく話は聞くんですけどね」
「はるちゃんから?」
「はい、休憩時間などに『私の幼馴染たち2人は正反対の性格だ』…なーんて言って自慢話かと思うほどに」
「そうそう、れん君とあの子じゃ頭のできから正反対でねぇ!あの子、誰に似たんだかすっごい馬鹿だったのよ。二人が家に来るのだって、テスト前が一番多かったし…」
「そうなんですか?」
「そうなのよ!いつも赤点ギリギリで、そのくせ二人がいないと碌に勉強しなくてね?高校は部活ばっかりしてたわ…」
「あ~、息子さんの気持ちわかりますね…。高校の時の部活って、その時だけだから異様に楽しいんですよね…」
「それにしたってねぇ…。しかもこれが会社に入ってからも変わらなくて!明日重要な会議があるってのに『緊張しないため!』って部下と一緒に居酒屋行って、その翌日二日酔いになってたのよ!?思わずひっぱたいちゃったわ」
テンポよく会話が進んでいく。
本来ならば用件だけ聞いて、2人と合流する方が正しいだろう。しかし、仮にも彼女に任せておけといったのだ。上の探索に時間がかかると踏んでいたのもあるが、負担のかかることを聞くとしても出来るだけ無理のないようにしようとしているのだ。
「あはは、っと失礼。よい息子さんですね。面倒見がよくて、赤松さんに似てとても明るい。さぞ人気なのでは?」
「いやぁないない!バレンタインに意気揚々と出かけて本命はおろか、食堂のおばちゃんから貰った義理チョコすらはるちゃんに食べられたって言って二、三日落ち込んでる子だよ?」
「ぶふぉ、ごほっごほ…!っふはっっ…!!」
自身の部下について思わぬところで出てきたため、今度こそ耐え切れずに吹き出してしまう。何をやっているんだ彼女は…。
「ふえっくしゅん!!」
「…?風邪でも引いた?」
「いや、いたって健康体だけど…」
「花粉症じゃない?」
「…そう、かなぁ…?」
「いや本当すみません…、ふふっ」
「いいのいいの、気にしないで…。あっでもそうね、最近は気になる子ができてたみたい」
「…!へぇ、詳しく聞いても?」
待っていた質問に、少々前のめりになりながら話を聞き始める。
「母の勘、ってやつかしらね?働き始めてから一年くらいたったある日から早めに通勤するようになって…。何でも、一本早い時間の電車に乗るためだとか。そのあと色々言ってたけど、あれは間違いなく女の子絡みよ」
「いやはや、息子さんも大変ですね…。これは隠せない。その人について、直接聞いたことはなかったんですか?」
「一度酔って帰ってきたときにね、かわいい子が会社にいるって言ってたのよ」
「なるほど、会社の子ですか…」
話を聞くに、キャバクラ通いをするタイプでもなさそうだ。友好関係も悪くはない。ということは借金の肩代わりかあるいは──
「ねえ夢切さん」
「──、はい。何でしょうか?」
しまったと思ってももう遅い。どうやら彼女は自分が何について考えていたかを察してしまったようだ。
「…はっきり、答えてほしいことがあるのよ。あの子が生きている確率って、どれくらいあるの?」
赤い瞳と目が合った。芯の強いその瞳は、はぐらかすことは許さないといっていた。
「あなたが私に気を使ってくれていたのはわかるわ。それが、あなたのやさしさであるということも」
でもね、と彼女は言葉を続ける。
「あの子が、勇人が見つかるなら、私は平気よ。…こんな姿で言っても説得力ないでしょうけどね」
「…赤松さん、それは…」
「最近ね、夢を見るのよ」
俺の言葉を遮るように、彼女は話し続けた。
先ほどの質問以外の返事を、今は聞く気がないようだ。
「あの子が見つからずに何年も経って、あの子がいたということを証明する全てが、消える夢。あの子の部屋には何も残ってなくて、写真もなくなってて、あの子のことを誰も覚えていないの」
「……」
「私は必死になってあの子を探すんだけど、探している途中に誰を探しているかわからなくなって、そこで目が覚めるの」
「…そう、なんですか」
頷いた。頷くしかなかった。おそらく彼女が聞きたいのは一般論ではなく、今自分が考えていることだ。でもそれは、きっと彼女の唯一の希望を打ち砕いてしまうようなもので。
「そうよ、だから眠れなくてね…。もう少ししたらお医者さんに行こうとしてたの。だからと言っては何だけど、あなたの考えを聞かせてくれないかしら?」
あぁ、これは、ごまかせないし折れない。
「…はぐらかすつもりは、なかったんですけどね。息子さんは成人男性で、まだ若い。行方不明でも、生きている確率は高いといえます」
「それは一般論で、あなたの考えではないのよね?」
やはり女性というのは恐ろしいと。いやこの場合、母親の勘だろうか?
はぁ…と観念したかのようにため息を吐き、彼女の瞳を見て口を開く。
「…お話を聞いて、息子さんの性格を推測しました。面倒見がよく、責任感があると感じました。なので、自分から家族に何も言わず出ていった可能性は低いと考えています。…事故や事件に巻き込まれたのではないかというのが、今のところの俺の考えです。」
沈黙が、リビングへと広がる。流し台からの蛇口からぽたりぽたりと規則的に水音が鳴った。当たり前だ。今自分は、彼女に息子は生きている可能性が低いと暗に伝えたのだ。
(…任せておけ、ねぇ。笑わせる)
その沈黙を再び破ったのは、彼女の方だった。
「夢切さん。少し昔話を聞いてもらっても?」
彼女は両腕をテーブルにおいて顔をうずめてしまっていた。それにできるだけ穏やかな口調で返事をする。
「勿論です。何でも聞きますよ」
「…私の旦那ね、あの子が小学校に入る前に交通事故で亡くなってるのよ。信号無視の車にはねられてね。死体は、とてもじゃないけど幼いあの子には見せられなかったわ。悲しむ暇もなかった。どうにかあの子と二人で暮らしていかなきゃいけなかったからね」
彼女の声は震えており、机に透明な雫が落ちる。
「正直ね、あの子にはすっごい苦労かけたわ。大学にも行かせてあげられなかったし、就職先も家から近いからなんて理由で決めさせちゃった…。ほしいものは買ってあげられなかったし、高校生なのにバイトをさせたり…。でもね、いつも笑ってくれてたの。へったくそな弁当を作った時も、私の心が折れそうになった時も…。あの子がいたから、私は今ここにいるといっても過言じゃないくらい支えられてきたわ。それが、当たり前になるくらいには」
それは、きっと彼女が誰かに初めて吐き出した弱音だった。
「あの子がいなくなった日のことなんだけどね、一体何を話してたのか覚えてないのよ。そんな日が、ずっと続くと思ってた。あの子の笑顔が当たり前で、その日常がずっと続くなんて勝手に…!!」
「でももう、あんなに聞いていたあの子の声が思い出せない時がある…!この数十年間聞いていたあの子の声が、たった一ヶ月のことなのに…!!このまま、あの子の顔さえ忘れてしまうんじゃないかって、夜が来るたびに不安になる…!!」
「私、私は…!!」
ぐしゃぐしゃになった顔を隠すように、彼女は両手で覆い隠す。そんな彼女にハンカチを差し出した。それしか、できなかった。
「……赤松さん、これを使ってください。こすると目に悪い。…息子さんは、全力で探します。あなたの不安が、少しでも晴れるように」
「今は、泣いてください。この場には俺しかいませんから。少しでも吐き出してください」
そういって笑う俺の姿を見て、顔をあげた彼女もつられるように笑った。
「…あはは、やっぱり優しいのね」
──優しいなんて、とんでもない。
だって自分は結局彼女にあきらめるなと、連れて帰ってくるとは言えなかったのだから。