片翼の飛行機
この世界にもまだ希望はあった。
ひねくれた私にもそう気づかせるほど、車いすの少女の姿は輝いていた。
何もかもが退屈だった。働きたくもないのに働かなければならない"雰囲気"、ずっと自分を追い回す過去のあやまち、展開がわかりきったドラマや漫画。加えて、日本の"良さ"を勘違いした最悪のオリンピック開会式。自由を謳う祭典でさえ権力者の自己顕示欲に強姦される世界。もう、この国は終わりに向かっているのだと、心のどこかでずっと感じていた。
けれど、光はあったのだ。青い鳥は、純粋な人々の心の中に居たのだ。
片翼の飛行機を、はじめ私は嘲笑っていた。ああ、また綺麗ごとの羅列が始まる、と。しかし、あの「純粋な人々」のパフォーマンスを見るうちに、そうした心の中の鬼はなりを潜めていった。小人症の蝶々の笑顔を見た時、上半身だけの蛍光色の妖精が横倒しの車輪の上で飛び跳ねるのを見た時、盲目の飛行機が赤い光で周囲を見渡した時に。ギラギラとまばゆい貨物車の王が少女の悩みをエンジン音で笑い飛ばしたとき、私はいつの間にか片翼の彼女にのりうつっていた。
だが、彼女が飛ぶことを決意した瞬間、私は彼女の内側からはじき出され、横を飛ぶ鳥になった。両翼の者として、彼女を応援する一羽の鳥になっていた。
飛べ。飛んでくれ。恐れも不安も、何もかも吹き飛ばして飛んでくれ。ただ白い坂を登るだけの行為を、見守る私は切望していた。
かくして彼女は飛んだ。黄金の風を切って飛んだ。皆が飛んでいる。蝶々も、背高のっぽも、片足も、おしゃべりも、盲目も。めいめい、それぞれの飛び方で、空を舞っている。キラキラと光り輝いて、雨の中を、笑顔の太陽で照らしながら空を踊っていた。
理想の世界だった。たどり着けないイデアはそこにあった。
片翼であれ、両翼であれ、われわれは皆空を飛べる。飛ぶか飛ばないかは、自分しだいなのだと彼女は教えてくれた。ならば私も飛ばねばなるまい。あの黄金の光まばゆく空に、いつかたどり着けるように。