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大地から現われた巨大な蔓――〝魔蔦〟と呼ばれる妖魅に攫われたレイとメイリンの行方は、妖魔である九曜も、すべてを見抜くといわれるギガースの天眼でも辿ることができなかった。
直後に、少し離れた場所で亜空間が開いた気配があったが、空間移動には高次の魔力が不可欠であり、妖魅や屍人形を使う術師ごときに可能とも思えない。
妖魔が関わっているのであれば、その痕跡を追うのは比較的容易だ。だが非力な妖魅の気配は薄く、ふっつりと途切れ、まさに完全に姿を消してしまっていた。
二時間後、彼らは追跡を断念し、衝撃で蹌踉となるソンファとティアンを連れて曲技団の本陣へと引き上げた。
ただ一人の妹を魔性に連れ去られた衝撃はひどく、ソンファは一時気を失い、目覚めた時はこれがあの冷静な彼女かと思うほどに泣き崩れたという。
彼女たちを送り届けたのちもディーンたちは不眠不休で捜査に当たったが、手がかりはなかった。
翌朝、ディーンはソンファへ謝罪と見舞いに赴いたものの、入り口で冷たくそれを拒否される。本人の多忙が理由だが、本当は会いたくないだけなのだろう。
見たこともない恐ろしい化け物に襲われ、なおかつ妹を攫われたとあっては、護衛として失格であることは言うを待たない。
あれほどの数の屍人形の襲撃は予想外であり、状況としては精一杯であったと言えなくもないが、それ以前に彼は、これほどの状態になることを予測していなかった自分の責任を痛感していた。
あれだけずば抜けた能力をもつ者を揃えておきながら、この始末。それは彼らの異能に頼りすぎ、状況判断を怠った甘さが原因に他ならない。
どんなに責められようと、せめて一言謝罪をと思っていたディーンは、ため息をついて楽屋裏の天幕を後にした。それでも淡い望みを抱いて、公演用の天幕へ足を伸ばす。
折りしも公演が始まるところなのか、団員たちは皆仮装し、赤や黄色の舞台衣装をつけた子供たちが無邪気に走り回っている。同じ東国の雰囲気をまとう少年に、団員たちがちらちらと視線を投げかけた。
何も知らない純粋な好奇の目、事情を知る者の非難の眼差しすべてが、ディーンの一挙手一投足に痛いほど突き刺さる。
逃げるように向きを変え、公園の出口へと向かったディーンは、楽屋から舞台へ向かうソンファたちと出くわした。さっとソンファが蒼褪める。
「ソンファ、その……一言謝りたくて」
「何のつもりだ!」
怒りもあらわに団員の男が立ち塞がった。
「すでに捜査局へ届け出は済ませた。もう貴様などに用はない!」
人の盾の隙間から覗き込むようにして、ディーンは懸命にソンファに話しかける。
「ソンファ、本当にすまない。俺の力不足であんなことに――」
「あなたに謝ってほしくなどありません」
強ばった表情で、ソンファが遮った。入念な化粧でも隠せぬ疲労と哀しみが、美貌に暗い翳を落としている。泣き腫らした眼から溢れた涙が、筋となって白粉を流した。
「あの子を返して。メイリンを、返してください」
激情を押し殺した声でそれだけを言うと、彼に目をくれることなく、ソンファは足早に天幕に消える。
団員たちに押しのけられ、見送ることもできずに、ディーンは蒼白な顔で唇を噛みしめた。踵を返し、振り切るように人混みにまぎれて、公園から出て行く。
その晩、彼が宿へ戻ることはなかった。
*
リューン総督府の一区画に拠点を置く中央捜査局の捜査本部は、昨夜起こった二十六件目の失踪事件に張り詰めた空気を纏っていた
聞き込みなどの初動捜査が一段落し、中央捜査局リューン支部長である男が、今回の事件の指揮を執るため帝都より赴いた若き貴族に、あらためて報告を行なう。
「今朝出されました被害届によりますと、失踪しましたのは東国曲技団のウー・メイリンとその護衛の少年となっております。ウー・メイリンは曲技団の座長の妹でございまして、曲芸を得意とする団の花形ということです。ウー嬢とその姉である座長の二人は、昨夜出入国管理官でありますシュワルゼ氏宅へ芸を披露するために訪れた帰り、えー……得体の知れぬ化け物に襲われ、連れ去られたということです」
まばらな口髭をたくわえた壮年の男は、半信半疑といった口調で締めくくった。
だがルークシェストは、渡された資料を手にしたまま、厳しい表情を崩さない。
「姉というからには座長も女性のはずだが、標的にはならなかったのか?」
「いえ、何でもこのところ頻発している失踪事件の用心にと、知り合いの剣士に護衛を頼んだそうでして」
「詳しい状況を」
「はい。シュワルゼ邸へ向かいましたのは、姉妹を含め全部で六名。曲技団の団員はウー姉妹と荷物持ちの男一人。護衛と称するのが、知り合いの剣士――どうもこれは本物の剣士ではないようで、同じカルディアロス人で偶然会った旅行者ということです。その男が、剣士を他に二人と……子供を連れてきたとのことです」
「子供?」
「はい。子連れのほうが狙われにくいだの、必ず力になるだの言っていたようですが……実際に事件が起こったときにはどこかへ逃げてしまったそうで、なんとも愚かと申しますか……」
ルークシェストは手元の資料に目を落とし、薄く笑った。
「これによると、事件当夜ウー・メイリンを助けようとした白い獣がいたとあるが……おまえはどう考える?」
「被害者はこのような状況下ではしばしば錯乱いたしますから、襲った獣を助けてくれたと勘違いしたのでございましょう」
「ふむ。筋は通るが、それでは消えた少年の説明がつかぬな」
青年の言葉に、支部長は怪訝な顔となった。
「は……まさか、その少年と獣の間になにか関わり合いがあるとお考えで……?」
「強大な魔力を持ち、自在に姿を変えることができるもの――われわれはそれを妖魔と呼んでいるが、その元の形態は人によく似た形をしているという」
剣士であり優れた法術師でもある青年は冷静に言ったが、人間の敵とも呼ぶべき恐ろしい怪物の名に、支部長の顔がやや蒼褪める。
「では、知り合いの剣士と申しますのは――?」
ルークシェストは束の間、その蒼天のごとく双眸を閉じた。
「敵ではないとは言い切れぬが――おそらく失踪事件そのものに関与しているのではない、とみるべきだろう。なにか別の目当てがあって動いていたところを偶然事件に巻き込まれた――私はそう思う」
「失礼ながら、そのエセ剣士が事件に関わりなしと断言なさる根拠はどのようなもので?」
「私の勘だ」
二十歳の青年は、簡短に言ってのける。
「今までの二十五件の失踪事件は、届け出がなければ分からぬほど一切事件の痕跡が残されておらん。ただ一件の殺人を除けばな。だが、それさえも証拠は何一つ見当たらぬ。つまり、犯人の行動は常に完璧を期していると言えるだろう。
それが今回は、目撃者を残したばかりか、獲物さえも一人逃している。これは明らかに、エセ剣士とやらに妨害されたのだ」
「敵の策略ということも考えられます」
「動機はなんだ? 捜査の攪乱か? これ以上ないほど手詰まり状態のわれわれへの皮肉というのなら分からなくもないがな」
二ヶ月間の苦労と辛酸を窺わせる強い語調で、ルークシェストは断定した。
「屍人形と剣士が表した相手、そして大地から現われた巨大な蔦の化け物……これらから何を考える、イスラフィール?」
右後ろにひっそりと立つ、長身痩躯の男に話しかける。
「反魂の術によって甦らせた屍人形や妖魅の一種〝魔蔦〟を自在に操るとなれば、妖術師が背後にいると予想されます」
外見同様、イスラフィールは枯れきった声音で言った。ルークシェストは頷き、
「屍人形や妖魅ならば痕跡を残さず人を連れ去ることも可能であろう。問題は、背後にいる妖術師どもだが……これだけ見当がついただけでも収穫と言わねばならんな」
「妖術師どもとおっしゃられますと、単独ではないので……?」
「妖術師程度の能力の持ち主が、ここまで大掛かりな事件を起こせるはずもあるまい。やつは、ほんの下っ端にすぎん。われわれはまだ……核心の一端にも触れてはおらぬのだ」
そう告げた青年の表情は苦いままだが、苛烈な闘志を湛え、鋼のごとく鋭さを帯びる。
法術に関しては聖母以外に彼の右に出るものはいないと言われるだけに、支部長は黙り込んだ。
「護衛をしていた男たちのその後の足取りは掴めたのか?」
「は……いえ、まったく。なにしろ事件前夜に初めて会ったとのことですので……ですが、カルディアロス人の結託は強固ですから、隠しているとも充分考えられます」
「実の妹が攫われたというのに今さら庇い合いもなかろう」
豊かな金髪を背へ払い、ルークシェストはその意見を一蹴した。
「素性は?」
「現在捜査中でございます。引っ立てて尋問なさるおつもりでしょうか?」
「いや、単なる興味だ。連れてきた仲間といい屍人を追い払った腕前といい、奴は何か重要な鍵を掴んでいるやもしれん」
呟いて、ルークシェストは資料をめくった。と、ある一点に視線が釘付けとなる。
「……これは?」
「は。ウー嬢と共に連れ去られた少年に関する記述でございます。まだ素性は判然といたしませんが、何か……?」
「いや、もう下がってよい」
ルークシェストは軽く手を振って、支部長を退室させた。
訝しげな顔をしたイスラフィールが、無言でおのれも引き下がろうとする。それを制し、ルークシェストは資料を机に投げ出して立ち上がった。
「私は少し出てくる。しばらく戻らぬと思うので、そのつもりでいてくれ。それから――父に伝言を頼む」
長いマントが重く翻る。
石像のような表情のない面に、両眼が青い炎のごとく猛っていた。
「レイファシェールが攫われた、と――」
*
磨きぬかれた大理石の床を、その女性は苛々と歩き回っていた。
それでも、彼女の優美さは少しも損なわれることはなかった。
左右対称の卵形の顔に、緑柱石を嵌め込んだような鮮やかな双眸、高い鼻筋。ふっくらとした唇は薔薇の蕾のごとく甘やかで赤い。
それらを縁取るように、完全には結い上げずに古代風に下ろした濃い緋色の巻き毛が、渦を巻いて腰まで流れ落ちる。たっぷりと襞をつめた白い紗の服と乳白の肌に、それらは見事なまでに映え、一種の劇的な効果を産んでいた。
そして、その効果を女は誰よりもよく知っていた。
女神もかくやという容貌を苛立ちという演出において、女が整えた爪をきり、と噛む。
「――わたしの女神は、今日は随分と御機嫌斜めのようだね」
心地よい低声が響いて、背の高い男が現われた。
控えめだが地味ではない灰銀の上下に身を包んだ男は、四十を越えて見える。若々しい金色の短髪を後ろへ撫でつけ、顎から口元にかけて生やした口髭を程よく整えた男は、優しげに微笑した。
「何かあったのかね、愛しい人」
「おお、ギデオン」
女は甘い声で呼びかけると、広げられた男の腕に身を投げかけた。
「わたくし腹が立って仕方ないのよ。あのラザロが、あまりに愚かなのですもの」
「聞いたよ。先夜、やつは失敗したそうだね」
「ああ……ギディアス・トリストラム・メリアデス。その先はどうか言わないでちょうだい。怒りのあまりあいつを殺してしまうから」
見上げる女の緑の瞳が、激情を宿してぬれぬれと輝く。
怒りに全身を燃えたたせる女を、男は眼を細めて見つめた。
――なんという美しさだ。
「おお、アルーザ。わが美神よ」
女の右手を取り、その甲に唇をつける。
「あなたはあんな人形使いごときに心を煩わすべきではありません。すべてこのわたしにお任せなさい」
男はおのれの言葉に陶然とするように、うっとりと言葉を紡いだ。
「あなたの魔力とわたしの知性――この二つが出逢った時、世界の運命は決まったのだから」
「ああ……忠実なわたしのギデオン」
女は囁いて、しなやかな両腕を男の首に回した。男が激しくその体を抱き寄せ、蜜のような唇を吸う。
互いを貪り尽くすごとく交わされる口付けの中で、女の緑の瞳が一瞬、毒にも似た光を宿した。




