2-3
3
翌日、なかば押し切る形で兄の許可をもぎ取り、レイはオファリスの西通りに面した料理屋[樫の木亭]に赴いた。
ちょうど夕暮れ時の混雑も頂点をむかえ、店内は客でごった返している。人々の熱気と臭気が、異様な迫力をもってたち籠もっていた。
――この中で見つけられるのか?
決して広くはない店内で、まさに芋洗いのごとくの光景に、レイは少々怯む。
職業も出身も異なる人々が雑然と集う中で、一際大きな男のいる食卓が目に入った。
そのうちの一人が、彼女に気付いて振り返る。片手を挙げ、
「おう。やっと来たな。こっちだ」
地味な黒い服の少年が立ち上がる。
瞬間はっと、その場に漂う空気が一変した。
この人混みにあっても、そこだけが別の空間のように思える。
席を共にしているのが、眼を瞠るような巨漢と幼い少年という異色の取り合わせであることも原因かもしれないが、それでも彼の放つ独特な存在感には劣った。
内心驚きつつ食卓にやってきたレイへ、ディーンが笑顔で言う。
「目立つ奴だなあ、おまえ。一発で分かったぞ」
「どっちがだ」
言い返し、レイは外套の頭巾を外した。
白銀の髪がまるでそれ自体発光しているように、輝いて首筋にかかる。
ざわ…と周囲の客の目が集まった。
レイは髪を紐で束ね、それを黙殺する。
「おまえは、どうしてこう人の多い場所で待ち合わせたりするんだ」
「食事するために決まってるだろ。おまえも食う?」
「いや、わたしはもう済ませてきた。――おまえ、もう少し慎み深く食べられないのか?」
口やかましく食べ方を注意するレイと、がつがつと無作法に食事をするディーンのやりとりを傍で眺め、幼い少年と巨漢は顔を見合わせてくすりと笑った。
「何だ?」
「……いや。相変わらずなんだなーと思って」
茶色の髪と瞳に色を変えた、少年姿の九曜が言う。
この付近に漂う妖気に警戒していたはずの妖魔のその格好に、レイは疑問を抱いた。
人に似た基本形態は、変身できる妖魔の形態の中でもっとも脆弱な姿である。
「九曜、どうしてその姿を? 危険が去ったとは思えないが」
「ギガースもいるし、それに動物の格好だとなかなかこういう場所に入れないんだ」
「ここへは何か目的が?」
仕事がらみだと聞いてきたレイは、やや声を潜めて尋ねた。
隣でディーンがパンを頬張りながら答える。
「だから言ったろ。食事するためだってば」
「――本当に?」
「うん。宿の親父の食事も食い飽きてなー」
ばん!とレイが卓上を両手で叩いて立ち上がった。
「帰る!」
「こらこら。おい、待てって」
慌てて呼び止めるディーンを、九曜が呆れ顔で見た。
「ディーン、説明してないの?」
「昨日は雨も降ってて、それどころじゃなかったんだっ」
「ただ単にめんどくさかっただけでしょ」
「うるせー。さっさと止めるのを手伝えっ」
「はいはい」
不承不承に頷くと、九曜は指向性の高い魔力をレイに向けて発した。
しばらくすると、九曜の説得に応じたのか、レイが戻ってくる。
だが、まだ機嫌は直っていないらしく、有無を言わさずディーンの後頭部を殴りつけた。
「このものぐさめ! 人を呼び戻すのに、他人の魔力を利用するんじゃないっ!」
「あだだ」
ディーンは頭を抱えて逃げ、左隣の少年に囁いた。
「おまえ、どうやって説得したんだ?」
「とりあえず最後までいて、もしも気に食わなかったら、その後でディーンをいくらでも煮るなり焼くなり好きにすればって」
「どーゆー説得の仕方だ……」
呟いてディーンは、右側から注がれる、真冬の北風よりも冷ややかな視線に気がつく。
「……ひょっとして俺、命懸けかな?」
「首、洗っとく?」
九曜が尋ねる。その会話が聞こえたのか、レイは世にも恐ろしい笑顔を浮かべた。
「まあ――覚悟はしておくんだな」
動きの凍りつくディーンを、実に可笑しそうにギガースが見やる。
だが神妙だったのもしばらくのことで、すぐにまた相も変わらず二人の言い合いが再開されることとなったのだった。
*
通りの店で購入した焼き菓子と白葡萄酒を提げ、四人は広場に設営された東国曲技団の天幕に向かった。
かさばる荷物に、レイが怪訝な視線を送る。
「なぜ手土産が必要なんだ?」
「楽屋を見舞うときの礼儀だ。昨日世話になったしな」
焼き菓子の包みを九曜に持たせ、ディーンが答える。
「世話になったのはおまえだけだろう」
「おまえなぁ。大切な友人が世話になった相手に感謝しようという心はないのか?」
ぎらり、とレイが睨んだ。
「大切な友人、だと?」
「あわわわわ。だからなー……」
「なぜ曲技団へ行かねばならんのか、さっさと説明しろ!」
レイの機嫌を抑えるように両手を挙げたディーンは、ようやく重い話の腰を上げた。
「つまり――東国曲技団のウー・リン一座というのは、八十五になるウー老人が座長を務めていて、カルディアロスを拠点に世界各国を巡る由緒ある旅の一座なんだ。それが、旅の途中でウー老人が亡くなられてな。その跡を孫のソンファが引き継いでリューンまでやってきたんだ。この女性が、また妹と一緒に一座の花形をつとめるほどの正真正銘の東国美人でなー」
「そんなことはどうでもいい。で、その美人姉妹がなんだというのだ?」
「旅芸人も名を知られると、出向くだけじゃなくて各地からお呼びがかかるんだ。特にウー・リン一座のように代々続く一座なんてのは、毎年恒例として招かれることも多い。そこには当然、同じように他国の旅芸人が招かれてるわけだが、これが同業種ということでライバル意識もある代わりに、芸能事となるとお互い眼の肥えている連中だから、結構親交があるんだそうだ」
「それで?」
「そう焦るなって。……で、旅芸人は世界各国を回るのが仕事だろう? 芸事に理解のある国ならいいだろうが、実際そんなに扱いのいい国ばかりじゃないのが現実だ。だから彼らは自分たちの身の安全のために、旅芸人同士でいろんな国の情報を交換し合うのが通例なんだ。勿論旅の身だから、そんなに頻繁にやりとりできるわけじゃない。地方で互いに顔を合わせた時や人伝えに手紙や伝言を置くなんて形でしか交わせないそうだが、そこでこのところ奇妙な話が飛び交っているらしいんだ――リューンで人が消える、と……」
レイの瞳がはっと厳しさを湛えた。
以前からそれらしい噂は聞いていたが、ウー・リン一座が事実として耳にしたのは、これが初めてだという。
この情報を彼らに教えてくれたのは、北方アイル公国のシエラ一座だった。
先々代の座長の頃から親しい彼らの話によると、先月リューンの北部カルエドラ市に、市政五百年の式典に招かれた時のことだ。
小規模だが、沿岸州として確固たる富を築いている都市だけに式典は華々しいもので、彼らだけでなく数ヶ国から著名な旅芸人一座が集まっていたそうだ。
その式典がはじまる直前、フォブリス国から来た一座の花形少女が、突然姿を消した。
少女はまだ若かっただけに、最初は思春期の我が儘か足抜けかとも思われたが、続いてイサザ国の看板女優、リュマ国の踊り子までが行方を晦ますに至って事件性が濃厚になった。
式典は丸二日間にわたって行なわれたが、その間の行方不明者は十数名にのぼったという。
正確な人数が不明なのは、失踪した者が旅芸人だけでなく見物に訪れた旅行者やいわゆる不法入国者にまで及んでおり、把握しきれていないためだ。
不気味なものを感じたシエラ一座は、早々にカルエドラ市を後にしたが、次に訪れたラルサ市で再び事件に出くわした。
今度は他人事ではなかった。当の一座の花形オルガ嬢が行方知れずとなったのだった。
オルガ嬢は、ラルサ市議員ゼーラント氏宅へ歌と踊りを披露しに行った帰り、行方が分からなくなったという。彼女には当然一座の者が付き添っていたのだが、彼らは後に死体となって発見された。
この一連の失踪事件で死者が出たのは、これが初めてであった。
「――実のところ、この死者が発端となって、これらの事件はやっと公になったらしいんだ」
「それは知っているが、なぜだ? もっと早い段階で届け出ていれば――」
「行方知れずになったのは、いずれも当地に身寄りのない旅芸人か旅人だ。旅行者が何日か宿に姿を見せないというのはよくある話だし、不法入国者ならなおのこと表沙汰にはできないだろう。旅芸人たちも身内の失踪という不祥事で評判が悪くなり、客の出入りに影響することは避けたがって当然だ。それに騒いだところで余所者の失踪に大国が動いてくれるはずもないし、かといって母国側が動けば内政干渉といわれかねないからな」
「それで……くどいようだが、そのことと曲技団にどんな関係が?」
「今夜、出入国管理官のシュワルゼって奴のところに、ソンファとメイリンが呼ばれてるんだ。リューンのお偉方に名を売るいい機会なんだが、夜の部の開演と重なって他の団員はみんなそっちに出払ってしまうそうなんだ。だけど、このところリューンは物騒だから……」
「ちょっと待て。ひょっとして、おまえが護衛を申し出たのか?」
「物分りが早いな」
にこにこと褒める少年を、レイの拳が殴打した。
「おまえはぁ~。安請け合いをしおって!」
詰め寄るレイをギガースが制す。
「まあ、護衛が直接失踪事件に絡んだものとなるかはともかく、レイの役目と関係ないとは言い切れん。だが、俺はどうなる? この辺りに漂う妖気に関する情報が少ないから、おまえの話に乗ったのだぞ?」
「そう、そこだ」
ディーンは、赤く腫れた左頬をさすりながら頷いた。
「今話した失踪事件は、リューン国内の五つの都市にまたがって起こり、三ヶ月ですでに二十五件にも達しているそうだ。にもかかわらず、事件を目撃した者が一人もいないんだ。旅行者はともかく旅芸人ともなれば目立つし、多少なりとも顔が知られている。それなのに目撃者もなくて、その後の足取りもまったく見当がつかない。他国で売り飛ばされたという噂すらないんだ。これは少し変じゃないか?」
「それだけで妖魔がらみとは言えんだろう」
「もう一つある。これはリューン警察も帝都の捜査陣も知らないことだが、ラルサ市で殺された旅芸人の一人が、死ぬ前仲間にこう言い残しているんだ。〝彼女は光の輪の中に消えた〟――と」
レイと九曜が黙って眼を合わせた。その言葉を推し量るように、ギガースが考え込む。
「だが……どうも弱いな」
「ああ。今夜事件が起こればそれもはっきりするんだろうが、彼女たちを囮にするような真似は避けたいしな」
「紳士だな」
皮肉げにレイが言った。だがディーンはいたって真面目に反論する。
「あのなあ。いくら九曜とギガースがいておまえの法力が強くても、これだけの事件の真相を簡単に暴こうなんて無理な話だ。今回はあくまでも彼女たちの警護に徹して、多少なりとも尻尾を掴めればいい。深追いは危険だ」
「めずらしく正論だね」
九曜が同意する。不承不承ながら、レイも彼の意見の正しさを認めざるを得なかった。
ディーンが褐色の巨漢を振り向いた。
「ギグ。街で妖魔に関した噂はなかったのか?」
「いや。多少なりとも怪しいのは、三年ほど前に〝聖浄派〟を称する二次宗教団体が、女性たちの信仰の対象となって問題化し、リューン大神殿が乗り出して団体は強制解散、教主は国外追放となったという一件くらいだ。あとは皆無と言っていい」
「それはわたしも聞いたことがあるぞ。確か教主は、追放といってもその前に逃亡したようで、直後五百人からなる女性信者が集団失踪して問題になったはずだ」
「失踪……」
妙な顔でディーンは呟いた。
「何か関係があるのかな?」
「さてな。聖浄派の教義は、大いなる光である光明神は無限であり根源である。その光にすべての身を任せれば永遠の命と美が約束されるであろう……というものだったようだが」
光明神教の教えを捻じ曲げたその考えに、レイは気味悪げに眉をひそめた。
が、ディーンの感想はそれとはまったく別だったらしい。
「永遠の美? 女はまた、どーしてそういう言葉に弱いんだろうな」
「美人を選り好みするのは男のほうだろう」
辛辣なレイの意見に、ディーンは拳を握って力説する。
「それは違うぞ。ただ単に、男はみんな美人が好きってだけだ。選り好みしてるわけじゃない。だいたい、美というものははかないからこそ美しいんだ。四十過ぎたおばさんが、二十歳の女の子と同列の美を競おうとするのが間違ってる。二十歳は二十歳、四十は四十の美しさがあるんだ!」
「だが、男はいくつになっても若い女が好きというのはどういうことだ?」
「美しいものは常に万人に愛されるからだろう」
「そうか。だからおまえは女好きなんだな」
「美しいものは何でも好きだぞ。絵とか宝石とか……花とか」
言いさしてディーンは、ひょいと通りの露店に目を留めた。
「待っててくれ。ちょっと花買ってくる」
葡萄酒の瓶を九曜に投げやり、花屋へ駆けていく少年を眺め、レイは呆れたようにため息をつく。
その傍らで、少年姿の九曜が両腕いっぱいの荷物を抱えてふらついていた。ひょい、とその腕から、ギガースの大きな手が酒瓶と菓子折りを取り上げる。
「あ、ありがと」
「いや。……そっちの包みはなんだ?」
「肩掛けだよ。昨日ディーンが被って帰ったやつ。曲技団の人に借りたんだって」
九曜は、風呂敷で包まれた荷物を小脇に抱え直した。
露店で少年が花を選んでいる間に、妖魔と妖魔狩人という不思議な組み合わせの二人が、ひそひそ会話する。
「九曜、おまえは失踪事件をどう思う?」
「すべてが人為的、作為的だね。妖魔の可能性は少ないよ」
「ゼロではないと?」
「うん。ディーンにも言ったんだけど、僕はこのところリューン西部で地震が多発していることが気がかりなんだ。世界の歪みは酷くなる一方だからね。旅人だけっていうのは変だけど、その歪みに巻き込まれた可能性もある」
「ふむ。震源はティシス海沖のようだが、何か関連があるかもしれんな」
「地震が妖魔によるものだとは断定できないけど、この妖気は普通じゃないよ。帝都がどう見てるかは知らないけどね」
九曜の言葉は、単に事件が失踪という一側面だけにとどまらないことを暗示していた。
帝都、すなわち統一世界の守護者である聖母の見解を知ることができれば最もよいのだろうが、異端の対極にあるギガースたちではそういうわけにもいかない。帝都貴族のレイですら、目にすることの難しい相手だ。
二人が考えをめぐらせているうちに、鮮やかな花束を抱えた少年が戻ってくる。
濃密な芳香が、冷たさをはらんだ秋風に乗ってふわりと漂ってきた。
それは桃色や紫の小菊に混じって顔を覗かせる、鈴のように白い小花を縦に咲かせた花から薫っているようだった。
レイが感嘆して、その花に手を触れる。
「いい匂い。だけど、近くにあるとむせ返りそうだな」
「月下香だよ」
ディーンが教えた。
「香水の原料にも使われるくらいだからな。ちょっと香りがきついんだ。香水代わりに花飾りに挿す人もいるみたいだ」
「相変わらず、どーでもいいことよく知ってるなぁ」
九曜が小声で呆れた。
耳ざとくそれを聞きつけ、色とりどりの花を抱えたディーンが艶やかに微笑む。
「まあな」
九曜は目を丸くした。
――男が普通、ここまで花が似合うかぁ?
花束を持ったままレイと会話をはじめる少年を妙に感心して眺める。
確かに以前から派手な格好を好んでしていたし、花の似合う男は他にもいるだろうが、そういうものとは少し違った。
一種の雰囲気というか、風格が漂うのだ。花がまるで舞台の脇役になったように。
傍らの巨漢にも同じ思いを読み取り、二人は顔を見合わせて苦笑した。
そんなことは気にも止めず、少年は相変わらず冗談を飛ばしている。
その腕から強く濃く、甘い花の香りがたちのぼっていた。