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カナン・サガ2~孤高の島~  作者: 藤田 暁己
第2章 月下香
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2-1

 


「もお、冗談じゃないって。だって、帰ったら妖魔狩人(ハンター)と魔剣がいるんだよ? 思わず本気でキレるところだったよ」

「それは災難だったな、九曜」


 オファリス市の外れにある木賃宿の一室から、少年たちの話し声が洩れ聞こえる。

 しかし実際には話しているのは仔猫の姿をした妖魔で、それに男装の少女が相づちをうつ、という具合であった。

 室内にはもう一人身も丈もある大きな男がいるのだが、非常に無口なたちなのか、関心がないわけでもなく、ただ黙って傍らで彼らのやりとりを聞いていた。


 二台の寝台ベッドを椅子代わりに、その狭い隙間に机を置いて、階下の居酒屋から持ってきた赤葡萄酒ヴィーノ、黒パンに白身魚の炙り焼き、根菜の煮込みの夕飯が並ぶ。

 夜も更け、残る一名の同泊人の帰りを待たずして、それらはあらかた食べ尽くされてしまった。

 酒の苦手な九曜が、リューン特産の海水魚パースをかじりつつ、話を続けた。


基本形態(ベースフォーム)でいればまた状況は違ったんだろうけど、中間形態(ミドルフォーム)でいたもんだから魔力が抑えきれなくてね~」

「それで、どうなったんだ?」

「うん。ギガースが炎華ほのかを抑えてくれて、一件落着」


 レイは葡萄酒ヴィーノの入ったグラスを持ったまま、不思議そうに黒髪の巨漢を見た。


「妖魔狩人ハンターが妖魔を助けたのか?」

「助けた、というほどのものでもないが」


 苦笑する男の代わりに、饒舌な妖魔が再び口を開く。


「あのね、妖魔狩人ハンターだからって、どんな妖魔でもぽんぽん狩るわけじゃないんだよ。そんなことしたって、誰に利益があるわけでもなし。人間たちに害を与える外れ妖魔を退治して回って、その礼金で生計を立てるのが普通なんだよ」

「よく知っているな」


 感心したような妖魔狩人の言葉に、仔猫がにやりとした。


伊達だてに年食ってるわけじゃないから」


 レイは、知ることのなかった妖魔狩人の暮らしぶりに驚いた様子で、一人呟く。


「そうなのか……。エデンで何事もなかったのは、そういうわけだったのだな」


 思い出したように尋ねる。


「そういえば火人たちは皆、不思議な名前を持っていたが、おまえにはないのか?」


 異端の一族である男は、刺青の描かれた褐色の頬をゆるませた。


「ああ。本名は〝火の眼を持つ者〟という」

「じゃあ、ギガースというのは?」

「ディーンが、本名では呼びにくいからと勝手に付けた渾名あだなだ」


 九曜が魚の尻尾を口の端にくわえ、納得したように頷いた。


「そっかぁ。〝巨人〟なんて変な名前だと思った」

「まったく、あいつはよく渾名をつけるな。私を〝レイファス〟なんて呼ぶのは、あいつだけだぞ」

「俺も、このごろでは〝ギガース〟でも長いらしくて〝ギグ〟と呼ばれるようになったがな。まあ、本名では面倒な時には使わせてもらったりしているのだから、あながち嫌とも言えんが」

「そーだよねぇ。僕なんか記憶のないことをいいことに、勝手に名前つけられちゃったもんね」


 憤然と九曜が言った。


「しかも会ったその場で、だよ。もう少し熟考というか深慮というか、なかったのかねぇ」

「だが、気に入っているのだろう?」


 レイに言われ、仔猫は長い尻尾を一振りした。


「ま、ね。あの状況じゃあ、嫌とも言えなかったし」

「そうだったな」


 二人の会話を聞いて、ギガースが尋ねた。


「おまえたちは、どうして知り合ったんだ?」


 その質問に、九曜とレイは少し顔を見合わせた。


「僕はいいけど……」

「もう解決してしまったことだし、私も構わないと思うが」

「ディーンも帰らないことだし、話しちゃおっか」


 九曜の言葉に気がついて、レイが戸口を振り返る。


「そういえば、ディーンは遅いな。もう夜中だぞ」

「平気だよ。またどこかで遊んでるんでしょ」


 名付け親の不在を簡単に片付け、仔猫は浅黒い巨漢を見上げた。


「――えっと、緑の月初めに月が消えたのは知ってるよね?」

「ああ。あの一月は、特に空間が歪んでいたな。二日ほどでひどい歪みは戻ったようだが、しばらく余韻が残っていた。月の消失もそのためと思っていたが……他に理由があったのか?」

「まあね」


 そう言って九曜は、時折レイの口添えを受けながら、半年前の聖宝盗難の顛末てんまつをギガースに話して聞かせた。

 すべてを見通す天眼を持ち、部外者ながら半年前の異常を鋭敏に察知していたギガースも、真相を聞かされて驚きを隠せない様子だった。


「それで歪みが……なるほどな。月も消えるはずだ。ただの歪みではなかったのだからな。しかしまさか……魔王がからんでいたとはな」


 独りごち、ギガースは魚の骨にかじりつく仔猫を見やる。


「だが、そこまで把握しておきながら、記憶がないとはどういうことだ?」

「それが不思議なんだよねぇ。歴史のこととか人間のこととかの知識は豊富なんだけど、自分のこととなると、これがさっぱり」


 レイも不思議そうに、口を添える。


「妙なものだな。確かに人間でも、記憶を失っても言語や日常生活には支障がない場合があるようだが……」

「そーゆー場合、どうやって治るの?」

「おそらく一時的な衝撃によるものだから、同じ衝撃を与えれば記憶が戻ることもあると聞いたが」

「それって、もう一度〝魔の鎖〟に捕まれってこと? 勘弁してよ。第一あれはディーンが壊しちゃったから、もうないんだよね」


 じゃあ一生このまんまかな、と蒼褪める九曜は、しかし深刻そうではない。

 長命を誇る妖魔の一生など人間から見れば不死に近いだけに、冗談では済まされないところもあるのだが、九曜ほど強力な妖魔ともなれば、よほどのことがない限り並の能力者(ヴィサード)や妖魔狩人に捕らえられる心配もなく、記憶のひとつやふたつ失ったところで、どうということもないのだ。

 だが、自分が何者か分からないまま一生を過ごす、というのも嫌なものである。

 能天気に魚の骨と格闘する仔猫を眺め、レイは小さく嘆息を洩らした。

 その隣で、ギガースがじっと何かを考え込んでいる。


「ギガース?」


 レイの呼びかけに、男は伏せていた瞼をわずかに持ち上げ、答えるでもなく呟いた。


「どうも――奇妙だな」

「え?」

「彼は、記憶を失っているというよりむしろ……」


 言い差したとき、ノックもなく無作法に扉を開けて、誰かが入ってきた。


「ただいまぁ」


 疲れた声で現われたのは、すらりとした黒い服の少年。防寒のつもりか、藤色の肩掛けショールを頭から巻きつけ、手には何やら料理皿と細長い風呂敷包みを提げている。

 九曜が声をかける。


「おかえり」

「うーさむ。今夜は冷えるな」


 手前の寝台ベッドに荷物を置き、肩掛けショールを剥ぎとって室内を顧みた少年は、そこにいるはずのない人物を見て、動きを止めた。

 部屋の燭影にきらめく白銀の髪。男装に身を隠した、高貴な少女が微笑む。


「遅いお帰りだな、ディーン」

「え――レ……イファス?! なんで、ここに?」

「街で会ったんだよ」


 平然と教える仔猫の首根っこを掴みあげ、ディーンは怒鳴ろうとして、夜中であることに思い至る。結果、用便をものすごく我慢しているときの絞り出すような声が、口から洩れた。


「お~ま~え~なぁ。来てるなら来てるって、早く教えろよなっ!」

「何言ってるの。どこに行くとも言わないで出て行ったのは、そっちでしょ」

「それは……まあ、そうなんだけど」


 反論できない少年を、虹色の眼が冷ややかに見返す。


「まったく、誰に口紅つけられてきたんだか」


 ディーンは仔猫を放り出し、慌てて壁の鏡を覗き込んだ。


「あ~っ。メイリンのやつ、つけやがったな」

「メイリン?」

「今度はカルディアロス人なの。なるほどね、同郷人に出会って遅くなったってわけ?」


 室温をはるかに下回る眼差しをレイと九曜から注がれ、ディーンがたじろいだ。右頬についた紅を手で拭い、


「いろいろあったんだよ、これは」

「そうだろうな」


 少女の皮肉に頬を引きつらせつつも、団欒の輪に加わる。輪の中心に置かれた葡萄酒ヴィーノを見つけ、またも声を上げた。


「あ~っ。酒なんか飲んでやがるっ!」


 以前、葡萄酒は〝神の恵みの水〟だから平気だと未成年のレイに勧めたことも忘れ、ディーンは非難の視線を向ける。


「こぉの、不良!」

「誰が不良だ、誰が! わたしはもう十六だ」

「あれ? おまえ成人したの?」

「ああ。先週な」


 そうと聞くや、二つ上の少年は極上の笑みを満面に浮かべた。

 先程持ち帰った包みをあけ、細首の白い陶瓶を取り出す。


「んじゃあ、祝杯といこうぜ」

「それは?」

「米から造った酒だよ。さっき、カルディアロスから来た曲技団の連中と知り合いになってもらったんだ。旨いぞ」


 言ってディーンは、断る隙も与えず、空にしたレイとギガースの杯に、どぼどぼと透明な酒を注いだ。ふわり、と芳醇な香りが漂う。


「それでは――成人と、俺たちの再会を祝して」


 半分無理矢理に乾杯となり、人の二倍騒がしい少年を加え、室内は賑やかさを増した。

 ディーンが階下で調達してきたたこの酢漬けをかじりながら、九曜がぼやく。


「なーにが、祝して、だよ。酒を飲む口実が欲しいだけのくせに……」


 それをちらりと見た少年が、素早く残りの蛸を奪った。


「あ――っっ! それ僕のぉっ!」

「早い者勝ち♪」

「返せえっ!」


 飛びかかる仔猫を、ディーンが上体を反らしてかわす。

 すかさず九曜が蛸の足に喰らいついた。ディーンが、むにに、とその両頬をつまんで引き剥がそうとする。

 酒のさかなをめぐる、少年と妖魔の極めて低俗な争いを眺め、レイは小さく息をついた。


――まったく、再会の余韻も何もないんだから……。


 感動の再会を予想していたわけではないが、もう少し盛り上がりというものがあってもよさそうなのに、とレイは思う。

 微妙な関係のまま別れただけに、再会して何か変わるかと思っていたレイは、肩透かしを食らったような気分になる。

 だが同時に、


――まあ、こんなものか。


といった安堵感があるのも事実だった。


 気を取り直したレイは、二人を無視して、おとなしくギガースと飲みはじめる。

 騒がしい夜が、更けていった。



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