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カナン・サガ2~孤高の島~  作者: 藤田 暁己
第7章 新たな出発(たびだち)
27/29

7-4

 


「おまえ、一体何を考えているんだ?」

「へ?」


 二人を乗せたまま総督府の城壁を越え、オファリス市街に降り立った馬は、大通りの手前でようやく歩調を落とした。

 愛馬の背に揺られながら、レイはとぼける少年の耳を後ろ手に引っ張る。


「いでで」

「街へ出たいのなら、そう言えばいいだろう。今ごろ白鳩城ペリステラは大騒ぎになっているぞ!」

「見張りつきで祭りが楽しめるかっての」

「……祭り、だと?」

「当然だ。ここで収穫祭を見損なったら、来た意味がないだろーが」

「そんなくだらない理由でわたしを巻き込むなっ」

「おまえは見たくないのか?」


 怒鳴るレイを、背後からディーンが首を傾げて覗き込んだ。


「そ……それは……」


 間近で問いかけられ、レイは狼狽うろたえた。そのとき、粉塵をあげてこちらへと駆け走ってくる一頭の騎馬が目の端に飛び込む。


「――兄上」

「え、どこ?」


 見回したディーンは、怒りの形相もあらわに、背後から勢いよく迫る青年の姿を認めた。


「うわ、やばっ」


 慌ててファタルの拍車を駆る。ところが二人乗りの馬はさすがに重く、相手は見る間に速度を増して追い上げてきた。

 大通りではないといってもここは首都。通行は絶えず、両脇に家が立ち並ぶ石畳の通りである。こんなところで馬を乗り回すのは、迷惑以外のなにものでもない。

 レイは咄嗟に叫んだ。


「止まれ、ファタル。止まるんだ!」


 感応者シャマンでもある主人の言葉に、愛馬は素直に従った。


「わわわわ」


 ディーンが馬上でつんのめる。だが、いくら腹を蹴り手綱たづなをうっても、ファタルは一歩も進もうとしなかった。

 その間に砂煙を舞わせた栗毛の馬が、行く手を塞ぐように前に回り込んで止まる。馬上の青年の振り乱れた金髪から、青い双眼がぎらりと少年を射抜いた。


「貴様……!」

「わわ。そう怒るなって」


 すぐさま下馬したルークシェストは、少年の襟首を片手で掴むや、問答無用に妹の背後から引きずり降ろす。


「おまえ、自分が何をしでかしたか分かっているのか!」

「ちょっと外を見に出ただけだって」

「人の〝弟〟を攫ってか?!」


 腹違いの弟ならぬ妹を溺愛するシェスは、目の前でレイを連れ去られた怒りに眼が眩んでいる。


「人聞きが悪いな。攫ったんじゃない。一緒に連れてきただけだ」

「どう言っても同じだ!」


 路上で交わされる口論に、ファタルから飛び降りたレイが急いで仲裁に入る。


「落ち着いてください、兄上。ディーンには充分反省させますから」

「おまえの口を出すことではない!」

「では、私のことを抜きにディーンを責められますか?」

「む……」

「ここは街中です。話は後にして、早々に離れましょう」


 冷静に諭され、シェスは怒声を抑えた。気が付くと、立派な身形をした若者たちの騒ぎに、通行人や辺りの民家から見物する者たちが遠巻きに群がりはじめている。


「仕方ない。どこか人目に付かぬところで話そう」

「こっちだ」


 ディーンに続き、自分の後ろにレイを移したルークシェストが馬を駆ってその場を離れた。


 総督府とリューン宮殿を結ぶ大通りから、三つほど通りを隔てた路地に入ると、そこはもう郊外との境だった。祭りの旗がたなびきながらも、さすがに人気の減ったその通りをしばらく行くと、ディーンたちがしばらく使っていた空家が見える。

 その家を眺め、シェスはどこまで計画的か分からない少年の行動に、軽く嘆息を洩らした。


 ディーンは空家の前で馬から下りると、手慣れた様子で入っていく。知らないレイは戸惑い顔になったが、勝手知ったる兄に促され、足を踏み入れた。

 相変わらずひどい有様だが、一度人の手が入ったせいか、そこまで悲惨というほどでもない。火の用意はないが、幸い日の光が差し込んで視界に問題はなかった。

 使っていた応接間の椅子に腰掛け、憮然とルークシェストが切り出す。


「では、話をつけようか」

「そう怖い顔すんなって。ここまで来たんだから、少々帰るのが遅くなったって一緒だろ?」


 ディーンはあくまで飄々ひょうひょうと受け流す。祭りに参加する気満々なのだ。彼は手早く上着の袖をまくり、襯衣シャツの襟元を開け、裾を出して腰帯ベルトを締め直した。それだけで総督府から支給された固い身形がくだけ、よくいる街の少年の雰囲気が漂う。

 幾通りも印象を変えられる少年は、平民とは程遠い二人を眺め、口元を歪めた。


「格好はともかく、おまえらは見た目も派手だからごまかしようがないな。まあ祭り衣装といえなくもないけど」

「誰が祭り衣装だ」


 言い返し、レイは首元のリボンを外して襟を開け、くるぶしまでの外套マントを短めに調整した。リボンで髪を一括りにすると、すっきりと活動的な印象に変わる。

 シェスが驚きの声をあげた。


「おまえ、いつの間にこんなことを覚えたんだ?」

「必要に駆られただけです」


 意外に市井しせい慣れしている妹は、さらりと答える。

 そこへ空家を探索していたディーンが、なにやら布を抱えて戻ってきた。

 レイへ少々へしゃげた帽子を、シェスへは街の若者が着そうな上着を渡す。


「着替えろよ。いくら祭りでも、その格好じゃ目立ってしょうがないからな」


 言って、自分も敷布らしい一枚布を外套マント代わりに羽織った。

 しぶしぶシェスが上着を着替える。

 レイは外に出ると、庭とも呼べぬ荒地につないだ馬たちの様子を見に行った。天気は良いし、あれだけ乗り回したのだから疲れているはずだ。水を、と思って辺りを見回すと、折りよくディーンが、雨水の溜まった割れ壷を運んでくる。

 音を立てて水を飲む愛馬の首を撫でながら、レイは尋ねた。


「おまえ、あんな芸当をどこで覚えたんだ? 馬から馬に飛び移るなんて、乗馬の達者なものでもなかなかしないぞ?」

「ああ。スワブのバルガ族に世話になったとき教わったんだ」


 カルディアロスの北西に位置するスワブは、ヘルボーサ高原を中心に住み暮らす遊牧民族の巨大な連合体国である。

 粘り強く勇猛果敢といわれる草原の民たちの中でも、バルガ族は有数の騎馬民族として知られた。なるほど、彼らから馬術を教わったとすれば、あの離れ業も納得できる。


「呼吸さえ分かれば、結構簡単だぞ。おまえにも教えてやるよ」

「だが、おまえそろそろカルディアロスに――」


 帰るのでは、とレイが言いかけたとき、着替え終わったシェスがやってきた。


「――」

「……どうした。どこかおかしいか?」


 怪訝な顔でそう訊くシェスは、質素な市民の服装があまりにも浮いていた。

 堪えきれず、二人が吹き出す。

 腹を抱えて笑い転げる妹たちに、怒るよりもむしろシェスはぽかんとした。レイがこれほど大口を開けて笑う姿など、初めて目にしたのだ。

 笑いながらディーンが、きっちり着すぎたシェスの服装を整えてやる。


「頼むから、格好と言動は一致させてくれよ」

「う……うむ」


 どうしても目を惹く肩下までの兄の豊かな金髪を、レイが三つ編みにして紐で結わえた。

 ディーンは、頭半分背の高いシェスをじろじろと見渡して、


「うん。なんとか格好がついたな」

「丸腰なのが気になるが……」


 中央捜査局に詰めていたせいか、帯刀していないシェスが顔をしかめる。別の理由で剣のないディーンが、能天気に彼の肩を叩いた。


「大丈夫だって。そんな危ないことは起こりゃーしないって」

「じゃあ行こうか」


 一人神剣・輝破矢かぐはやを提げるレイは、それを外套マントに隠し、ファタルの手綱を取った。

 栗毛の馬の背にシェスの上着と外套マントを括り、三人は元来た道を戻る形で大通りへと入る。


 祭りのかなめである大通りは、その手前から出店が並んでごった返し、どれが売り手やら買い手やら分からぬ有様だ。人々は皆思い思いに着飾り、道化の格好で歌い踊るもの、早くも夜の仮装行列用に仮面を被るものもいる。

 リューンの大祭と呼ばれるこの祭りは、元は古代より農業国であった由縁から、秋の収穫を喜び先祖に感謝と繁栄を祈願する祭りだったといわれる。光明神教ルクシオンと融合する現在、祭りの形も変化しているが、それでも根源的な意味に変わりはない。

 様々に祭りを楽しむ人々の熱気が、秋の陽気をさらに暑くしているようだ。みずからの意思で進むというよりは人の流れに身を任せる形で、三人は祭りの雑踏に加わった。


「うわ。すげー人」

「リューンの大祭には近隣諸国からも見物に訪れるという話だからな」


 総督府の塀越しに見るのとは段違いの迫力に、レイもやや興奮気味だ。その横で、一人ルークシェストが渋面を作っている。


「そのための警備に当たるよう命じられたのに、これでは任務が果たせぬではないか」

「ですが兄上。人々の中にいるほうがかえって見張るには良いではありませんか。灯台下暗とうだいもとくらし――剣を振りかざしていては敵も近寄りません」


 大人びた妹の発言に、青年もやや頬を緩める。

 ディーンの努力もあってか、街に溶け込む帝都貴族アイテリアルたちの前に、突然白いものが突き出された。

 油紙につつまれたその物体からは、ほんわりと湯気がたち、食欲をそそる匂いが鼻をくすぐる。


「食えよ。俺の奢りだ。どうせおまえら金なんて持ってないんだろ?」

「ここで食べるのか?」

「あったりまえだろ。だから美味いんじゃないか」


 それぞれの手に押しつけ、ディーンはがぶりと自分の分にかぶりついた。生地は蒸されているらしく、もちもちとした食感で、中に挽肉などの具材がふんだんに挟み込まれている。

 半年前の旅でこういった食べ物にも多少慣れたレイが、続けてこだわりなく手渡された蒸し饅頭を口にした。慌てたのはルークシェストである。


「レイファシェール! おまえ、こんな道端でどこのものともつかぬものを……体を壊したらどうするっ!」

「平気だって。こいつ結構何でも大丈夫だぜ?」


 ディーンが慰めともつかぬことを言う。

 一見繊細そうなレイだが、意外なことにアル・リマール砂漠を旅した時も、日射病で倒れた以外、水や食べ物でも不思議と体調を崩したことはなかった。


「兄上もいかがです? なかなかいけますよ」


 したたる肉汁を指先で舐め、レイは固まる兄に勧めた。そう言われては退けないシェスが、観念したように一口かじる。


「どうだ? 美味いだろ?」

「……今まで味わったことのない味だが……不思議だな。こんなものが美味いとは」

「街の味ってやつさ。ま、腹が減ってることもあるんだろうけど」


 三人が白鳩城ペリステラを出た時はまだ昼前だったはずだが、すでに太陽は天頂をはるかに越え、中昼の鐘は気付かぬままに喧騒の彼方に消えていた。

 シェスとレイは、食べ物を口にしたことで、急激な空腹を感じる。ディーンも同じだったのか、人ごみを縫っては露店からエール水や揚げ物フリット腸詰肉ソーセージなどを調達してきて、腹を満たした。

 貴族の二人も場に慣れたようで、遠慮なく物を飲み食いしては、出店や大道芸などを興味深そうに覗き込んでいる。

 黄色い半面マスクを被り、袋と管の付いたミュゼットと太鼓を奏でる楽団が一際賑やかで、大勢の男女が腕を組み輪になって踊っている。それに手拍子を打ち歓声をあげ、三人は大通りを西へ抜けた。

 誰が飛ばしたか、空を漂って落ちてきた風船を手で弾き、レイがディーンに話しかける。


「そろそろ気は済んだか?」

「まだまだ。寄りたいところにまだ寄れてないし」

「ソンファたちのところか?」


 知り合いとなった東国曲技団の娘たちは、今頃すし詰めの観客の前で見事な芸を披露し、喝采を浴びていることだろう。


「いいや。それは後だ」

「後? おまえ、いつまでいるつもりだ?」


 さすがにシェスが顔をしかめる。


「さっさと帰らねば、また投獄されるぞ」

「なに言ってんだよ。祭りの目玉は夜だぜ」


 日も落ちて、花と果物や穀物で飾った各町の山車だしが無数の蝋燭を灯して練り歩く、その仮装大行列パレードがこの大祭のもっとも有名なところなのだ。

 正直すぎる意見に、シェスの両眼に殺気が宿った。ディーンは両手を挙げて、


「わわわ。分かった分かった。なるべく手っ取り早く切り上げるってっ」

「忘れるなよ」


 睨まれるだけで寿命が縮みそうな天位の剣士の視線から逃げるように、ディーンは通りから外れ、路地へと入っていく。追いかけたレイは、すっかり祭りで様変わりして見えたその景色に、やっと記憶と符号するものを見つけた。

 まだらの蜥蜴とかげと酒瓶の看板――[火蜥蜴(サラマンドラ)亭]。ディーンと九曜、それにギガースがしばらく滞在していた宿である。


「ごめんよ。親父、いるか?」


 やけに静かな店の扉を叩いて、ディーンが中を覗いた。一階の酒場は夜が主なせいか、誰もおらずしんとしている。カウンターの奥から現われた亭主が、ディーンを見て目を丸くした。


「おや、あんた! 帝都にしょっぴかれたんじゃなかったのかい?!」

「人聞き悪ぃな。そこまで悪さしちゃいねぇよ」


 それに近い状態ではあったのだが、ディーンは苦笑してごまかした。


「親父も元気そうで安心したぜ」

「あっはっは。丈夫なのだけが取り柄さ。連れかい?」

「ああ。レイと、その兄貴のシェスだ」


 馬を外につないで入ってきた二人を紹介する。


「こっちの坊ちゃんは前にも来たね。座んな。今日は祭りだ。一杯やっていくといい」

「じゃ、遠慮なく」


 三人は並んでカウンターに座った。一段高くなっているので、テーブルの向こうの窓から賑わう外の様子が良く見える。

 亭主は、リューン特産の赤葡萄酒ヴィーノを瓶ごと持ってくると、大きめの硝子杯グラスに注いで差し出す。


「祝い酒だ。しっかり飲んでいきな」

「ありがとう」

「連れのおちびさんと、でっかい兄さんも無事かい?」

「ああ。騒がせて本当に済まなかったな、親父」

「気にすんなよ。帝都の役人には前から腹を立ててたんだ。怒鳴ってやってすっきりしたさ」


 気風のいい亭主が、豪快に笑う。

 ディーンは懐から包みを取り出すと、亭主の手の中に押し込めた。


「宿代だ。遅くなって悪かったな」


 その重みで中の金額を悟ったのか、亭主がはっと真顔に戻る。


「いけねぇよ、こんなに」

「遠慮すんなよ。迷惑をかけたほんの気持ちだ。受け取ってくれ」

「みくびんな。俺がしたことはみんな、てめえで好きにしたことよ。おまえらのためにしたわけじゃねえ。こんな金もらう理由はねえよ。引き取ってくんな!」

「親父はたいしたことをしたわけじゃないだろうが、俺たちは本当に助かったんだ。受け取ってもらわなくちゃ俺が困る。今日は祭りだ。いい気分でいさせてくれよ」


 ディーンが困り顔で、哀願するように訴えた。だが亭主は、金包みをテーブルの隅に押しやり、腕組みをして強情を決め込む。

 そこへ、店の二階から細い声が降りてきた。


「――あなた」


 毛織の肩掛けショールを羽織った小さな老女が、おぼつかない足取りでこちらにやってくる。亭主が慌てて駆け寄った。


「おまえ、寝てなきゃだめじゃないか!」

「こんな日に大声を出して、どうかなさったの?」

「な、なんでもねぇよ」

「だけど――あら、あなた。このあいだお泊り頂いたわね?」


 妻らしい老女が、ディーンににっこりと微笑みかけた。深々と頭を下げて、


「ごめんなさいね。わたしがこんな体だから、満足なお構いも出来なくて」

「いえ。こちらこそ、いろいろとわがままを聞いて頂いて感謝しています。これは宿代と、ほんのお礼の気持ちです。気を悪くなさらず受け取ってください」


 柔らかな口調でそう言うと、老女の両手を包む込むように金の包みを握らせた。

 そのやりとりにレイは、ディーンが正規の宿代をはるかに上回る金額を差し出した本当の理由を知った。


――馬鹿なやつ。


 不器用な彼の優しさに、レイはなぜかほっと安堵するのを感じた。ついさっきまであった胸のわだかまりが、淡雪となって跡形もなく溶けてゆく。

 老女は、ディーンの差し出した金包みを押し頂くようにして受け取った。


「ありがとう。ありがたく、頂戴します」


 隣で、先程の強情が嘘のようにしおれた亭主が、ぐしゅんと鼻を鳴らす。


「すまねぇな、坊主。助かるぜ」

「いいんだよ、親父。俺も嬉しいよ」


 亭主は照れくさそうに拳で赤くなった鼻をこすると、硝子杯グラス葡萄酒ヴィーノを注いで一息にあおった。


「て――っ! こんなんじゃ、このボロ屋も潰すに潰せねぇじゃねえか」

「おう、潰すなよ。親父の毒舌を聞きに、俺がまた来るまではな」

「分かってらぁ。地獄の釜に片足突っ込んでも続けてやるぜ」

「……あなたったら」


 大見得を切る亭主に、妻が目を丸くする。

 仲良さそうに肩を寄せ合って笑う老夫婦を、レイがまぶしげに見る。その横顔に、ルークシェストはどこか複雑な眼差しを注いだ。

 ふいに。

 母親の違う兄妹は何を思ったか、一斉に同一の方向を向いて立ち上がった。

 葡萄酒ヴィーノの入った硝子杯グラスを手にし、ディーンが尋ねる。


「どうした?」

「空気が乱れている。これは――」


 レイが言い差した瞬間、足元を大きくすくわれるような奇妙な感覚がその場を襲う。

 五感にならぬ何かの壊れる印象――。

 次には外につないだ馬のいななきと共に、人々の悲鳴が上がった。


「妖魔だっ!!」


 叫ぶや、レイは腰の輝破矢かぐはやを抜き払い、外へと踊り出た。

 大刀を持たないディーンは、革の腕輪に仕込んだ棒手裏剣を引き抜き、老夫婦へ口早に告げる。


「二人とも店の奥で隠れていろ。絶対外には出るなよ!」

「わ、分かった」


 さすがの亭主も、頷く声が震えている。街中で妖魔など、今まで現われことなどないのだ。

 続こうとしたシェスは、武器を一切帯びていないことを思い出し、忌々しげに舌打ちした。


 店内を見渡し、戸口に立てかけられた三公尺(ペディス)ほどの心張り棒を掴む。


「親父、借りるぞ!」

「構わねぇが、そんなもので妖魔を討てるのかい?!」

「案ずるな。私は……法術師だ」


 不敵に言い、シェスは手にした棒に一気に法力を注ぎ込んだ。

 ただでさえ黄金の髪が内側から光り輝き、太陽の煌きを放って宙を漂う。

 老夫婦が息を呑む中、法力を注がれた木の棒が、一本の光線へと変わった。


……っ!」


 気合をかけ、光の杖を持ったシェスは戸外へ打って出る。


 外では、姿かたちも様々な五匹の異形の生き物たちが、祭りに集まる人々を薙ぎ倒して暴れ回っていた。

 レオノイスの浮上による空間の不安定な状態が、彼らを目覚めさせたものか。

 いずれにせよ封印から解放されたばかりの彼らは、長年の眠りに正気を失い、血に飢えた凶悪なけだものと化していた。

 街中、しかも祭りの最中白昼堂々と出没した妖魔に、人々は狂乱状態に陥っていた。


 一刻も早く沈静化させようと、レイも懸命に輝破矢で応戦するが、人々を庇いながらの攻撃に今一歩決定打が足りない。リューン公国軍も帝都軍も、まだ救助に来る様子はなかった。

 ディーンは冽牙を召喚しかけ、群集を見て思い止まった。凄まじい殺傷能力をもつ冽牙を揮えば、周りの人々まで命を奪いかねない。

 代わりに気を篭めた棒手裏剣で動きを牽制し、ディーンは長い牙の猫科動物に似た妖魔の興味を自分へ向けると、群集から離れるよう誘い出した。虎三頭分ほどのしなやかな巨体が、音も立てず彼に踊りかかる。

 ディーンは、オープンテラスに並んだ食卓テーブルや椅子を投げつけていなすが、決定打には程遠い。厭な汗が脇を伝うのを感じた。


――くっそ。このままじゃ餌にされちまう……っ!


 いったん路地の陰に身を退いた彼に、空から双頭の巨大鷲が襲う。体を投げ出して躱すが、再降下したくちばしがまたも狙った。


「!」


 思わず目を閉じたディーンは、悲鳴と共に羽音が遠ざかる気配を感じた。

 狂ったように青空を飛び回る鳥形の妖魔の片方の頭から、血が飛沫しぶいている。見ると、三本の細い鉄の棒が眼を貫き、完全に片方の頭を潰していた。


「棒手裏剣……?!」


 驚く彼の耳朶じだを、聞き覚えのある声が打った。


「甘いぞ、ディーン。外を出歩く時は剣くらい持っていくものだ」

「……サリ」


 いつの間に現われたのか、質素な黒装束に身を固めた亜麻色の髪の男が、通りの樹上から笑いかける。


「おまえにばかりいい格好はさせられないからな」


 ディーンに大刀を放り投げると、ソロモンは血を撒き散らして三度みたび飛来した巨大鷲の頭上を飛び抜けた。

 陽光の下で、影たちがもつれ合う。

 妖魔の鉤爪かぎづめがソロモンに届く間際、分銅ふんどうのついた鎖が鷲の二つの首を絡めとった。勢いのまま自らの重みで絞めあげられ、妖魔はあっけなく地面に叩き落ちる。

 同時に大地では、剣牙虎(サーベルタイガー)のごとき先程の妖魔が、ディーンに襲いかかっていた。

 落下する大刀を飛び込んで掴みざま、振り返って一閃。

 妖魔の牙の突き出た口吻こうふんから尾の先までが、まっすぐに縦に二分される。角を落とすまでもない。妖魔は半身ずつ、細かな塵となって崩れ折れた。

 ディーンはようやく息を整え、額の汗を拭った。

 ソロモンが渡した大刀は、特別に神術を施したものではない。それでも妖魔を斬ることが出来たのは、鋼鉄並みの体毛と皮膚の間隙を正確に狙ったためであった。

 その様子を見届け、ソロモンは薄く微笑すると、建物の屋上を伝って他の加勢にあたりにいった。大刀を一振りして、ディーンもそれに続く。


 その背後で、さいのごとく別の妖魔が狙いを定めている――と。

 たてがみの生えた妖魔の肩を、ひとすじの光線が掠めた。


《何者っ?!》


 怒りをこめて妖魔が問う先には、光の杖を持ち、黄金の髪をなびかせた青年が佇んでいた。


見紛みまがうな。貴様の相手は、この私だ」

《貴様、金位かっ!》


 妖魔の角は三本。角が増えると知恵が増すと言われるが、相手の正体が分かっても、それと戦う意味を悟るまでは至らなかったらしい。

 地を蹴って跳びかかる妖魔に、シェスは無造作に、手にした杖を横様よこざまに揮った。

 転瞬、黄金の光波となった法力が、妖魔を角ごと切り裂く。

 宙に浮いた状態で停止し、妖魔はそのまま血煙をあげて落下する。

 妖魔が倒れる地響きを背に、ディーンは悪戦苦闘するレイの元へ駆けつけた。


「手こずっているみたいだな」

「おかげさまでな」


 皮肉に答え、レイは鎧を纏った象に似た妖魔の太い脚をひらりと避けた。この妖魔が一番体が大きく、鈍重そうだが厄介だ。

 彼らの向こうでは、素早く動き回る二本足の爬虫類形の妖魔相手に、共に空間移動(トランスフェーズ)で駆けつけた妖魔狩人ハンターと翼の生えた仔猫が戦っていた。

 その傍らでソロモンは、妖気に群がりはじめた妖魅を短刀で払いつつ、人々を避難誘導している。

 レイは、いくら斬りつけても正気に返りそうにない妖魔を輝破矢で抑えつつ、背中に回りこむディーンに声をかけた。


「――やれるか?」

「いつでもどうぞ」


 にやり、とディーンが応じる。

 肩越しに交わされる眼差し。


「では……いくぞ」


 告げるや、レイの姿が消えた。

 驚愕した妖魔は、三つの眼で素早く辺りを見回す。きらり、と片隅に光るものを認めたとときにに、もう真上から輝破矢の白刃が迫っていた。

 神の一刀が、妖魔の片目を突き刺す。


《ギャアアアッ!》


 怒り狂った妖魔が後足立った瞬間、まばゆいまでの気の奔流が大地を駆け走った。

 下から斬りつけられた一撃は、柔らかな腹を裂き、妖魔の頑強な骨肉を確実に断つ。暴れまわる体を蹴り、さらに跳躍したレイが輝破矢を薙いだ。

 宙に舞う、二本の角。

 ふわり、と銀髪をなびかせ、レイが着地する。


「やったな」

「ああ」


 人々が逃げることさえ忘れて見つめる中、二人は陽気に手を打ち合わせた。その背後で、重々しい響きをたてて妖魔の巨体が地面に伸びる。

 ギガースたちの方も、どうやら終わったようだ。

 奇妙なまでに静まり返る街の大通りを、五人の若者と仔猫が平然と去っていく。倒された妖魔たちはすでに風化をはじめ、元の形を失おうとしていた。

 店内から一部始終を見届けた[火蜥蜴(サラマンドラ)亭]の亭主は、窓を開け、身を乗り出すようにして妻へ叫んだ。


「おい、どうだ! すげえじゃないか。あいつらは俺たちの宿に泊まってたんだぜ……!」




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