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ノアが仕事に戻り、九曜を連れたレイとギガースが西殿を出、本殿一階の吹き抜けの広間を通りかかると、一人の男が荒い息をついて壁に寄りかかっていた。
リューン総督府衛兵隊の鎧と剣に制服。平穏な時世とはいえ、鍛錬を義務付けられている彼らが、このようにあからさまに疲労困憊しているとは尋常ではない。
レイが歩み寄り、声をかける。
「どうした、大丈夫か?」
「は……はい。これは……」
覗きこむ銀髪の少年に、護衛官とみえる男は慌てて敬礼しかけ、またもよろめいた。
「無理をするな。何かあったのか?」
「……は。このような失態をお見せするなどお恥ずかしいかぎりですが、実はカルディアロスに連行するはずの少年を見張っておりましたところ、見失いまして――」
聞いた途端、レイが渋面をつくる。肩に乗った九曜がくすりと笑った。
明らかに目の下に隈のできた男は、息を整えながら訴える。
「昨日より二人体制で見張っておりましたが捲かれ、三人に増えましたが、起床と同時に姿が分からなくなり……人づてに聞いてここまで参りましたが、なにぶん朝から走り詰めなもので、ついここで休んでおりました。面目次第もございません」
――あの馬鹿!
心中で舌打ちをし、レイは男の背を撫でた。
「おまえが謝ることではない。彼を連れてきたのは私だ。しばらく休むがいい」
「申し訳――」
再び謝罪を口にしかけ、護衛官ははっと自分の胸に手を当てた。
「どうした?」
「なんだか急に身体が楽になったような気が……」
不思議そうに言う彼は、目の前の少年に向けられる、妖魔と妖魔狩人の視線に気がついた。
レイもそれと知って、首をかしげる。
「意識して法力を使ったわけではないのだが」
「いいえ、素晴らしい力です。さすがに高貴なる御方は違うのですね。ありがとうございます」
護衛官は、初めて目の当たりにしたらしい神秘の力に、興奮気味に礼を述べた。
「ところで、ディーンはどこにいるか分かったのか?」
「今朝がた北塔の奥庭で目撃されて以後、いろいろと足取りはあるのですが――」
まず白鳩城の若いメイドを口説いていたことに始まり、軍兵士の訓練の見学から庭師の仕事の手伝いまで、よくもまあ午前の短い間にこれだけのことができたと感心するほど、彼の行動範囲は広かった。
「下働きの女たちの話によりますと、彼は忙しい間の子守をしてくれたとのことで、赤ん坊の扱いがうまく大変助かったと申しておりました。その後二時間ほど足取りが不明となり、つい先程、祭りで皆に振舞う菓子を摘まみ食いしたとの情報が入りまして、ここへ参った次第でございます」
男装の少女は、大きなため息をついて額に手を当てた。一時勾留されたとはいえ、少なくとも総督府に滞在する客人のすることではない。
レイは、笑いを噛み殺している仔猫と妖魔狩人に意見を求めた。
「二人はどう思う?」
「厨房だね」
「俺もそう思う」
すぐさま返された答えに護衛官は驚き、すぐに彼らの能力を思い出して蒼ざめる。
天眼を持つ男が、漆黒の瞳をわずかに細めた。
「そう始終、他人を視ることはない。安心しろ」
「は……はい」
「厨房は下だな? 早く行かねば、またいなくなるぞ」
「こ、こちらです」
護衛官に案内され、三人は白鳩城の巨大な胃袋を満たす地階の厨房へと向かった。
剥き出しの石壁に囲まれた広い一間では、炉が燃え湯気がたち、物が切られ投げられる合い間に料理人たちの怒号が入り乱れ、一種異様な喧騒が鳴り響いていた。
音と熱気がむせ返る中、忙しそうに立ち働くリューン人たちに交じり、一人異国風の少年がいた。白い料理帽をかぶった男と話していたディーンは、入ってきたレイを見て、気軽に手を振る。
「どうしてここに?」
無言でレイは、自分の背後を示した。
昨日から付きまとう護衛官の姿に、ディーンは呻いて天井を見上げる。
「あーあ」
「もう逃げられんぞ。覚悟しろ」
「ちぇ。せっかく捲いたのに……」
「護衛官を捲いてどうする! 第一おまえ、どうして厨房になんかにいるんだ?!」
「さっき食べた焼菓子が絶品でなぁ。作り方を教わりに来たんだ」
「わざわざ?」
「おう。俺は食い物にかけちゃ、ちょっとうるさいぜ」
半年前の旅で、彼の料理好き食べ物好きな性癖を嫌というほど目にしていたレイは、冷ややかな眼差しで楽しげな男を眺めた。
「なるほどな。で、料理法は?」
「ああ。ここにメモを――」
聞くや、レイの手が少年の襟首をむんずと掴み上げる。
「そんなくだらんことで他人の手を煩わせるな! 今度無断で姿を消したら、一生見張りつきで暮らす羽目になるから、そう思え!!」
怜悧な美貌に悪鬼の表情を纏わせて言い放つ。
周りの料理人と護衛官が呆気にとられる中、レイはディーンの襟首を掴んだまま、引きずるようにして厨房を出て行く。それでも、彼の両手はちゃっかり焼きたての菓子の籠を抱えていた。
逃げないことを誓わされ不満そうなディーンを連れ、一行は彼らの泊まる東殿に向かった。本殿とを結ぶ長い回廊を歩きつつ、ディーンが妖魔狩人に話しかける。
「おまえはどうしてこいつらと?」
「そろそろここを引き払おうと思ってな」
「行き先は決めたのか?」
「いや、まだだ」
「じゃあ、カルディアロスに行かないか? まだ行ったことないはずだよな?」
気楽な調子で提案する少年に、ギガースの顔がほころんだ。
「ああ、それもいいかもしれんな」
「んじゃ、決まりだな」
ディーンが陽気に片目をつむる。
その手の籠から、ふいに紡錘形の焼き菓子がひとつ消えた。レイの右肩に乗る九曜が、口をもぐもぐさせている。
「ほんとぉ。おいしーや、この焼菓子」
「おまえ、俺の苦心の作を……っ」
ディーンが仔猫の首を右手で絞めた。
「こら、ディーン」
「だってこいつが――」
騒がしく言い合う彼らのもとに、ひとすじ、どこからか澄んだ音色が風に乗って届く。回廊に接した中庭で、貴族の子弟とみられる数人の若者が集まって楽器を演奏しているのだ。
リュートに横笛、竪琴、小型手風琴。秋の風に踊るような軽快な旋律は、祭りに沸き立つ彼らの気持ちそのもののようだ。
足を止め、レイはしばらくその音楽に聞き入った。
「どうやら城の中でも祭り気分らしいな」
「そっか。収穫祭は今日からだったよな」
「年に一度のリューンの大祭だ。総督府とはいえ、祭りは祝わずにはおられぬようだ」
「じゃ――やっぱり加わらない手はないよな」
言って、もう焼き菓子を忘れた少年が、言い終わるより早く駆け出した。護衛官にまだほの温かい菓子籠を押しつけ、中庭に下りる。
木陰で輪になる若者たちに声をかけ、片隅の地面に座り込む。気がつくと洋梨形の弦楽器を借り受け、彼はもう流行の曲をつまびいていた。
九曜が呆れ半分の感嘆をもらす。
「器用なやつぅ。一体いくつ特技があるんだろーね」
「さすが元舞楽師といったところだな」
ギガースが笑った。焼き菓子の籠を抱える護衛官は、ほとんど茫然とその様子を眺めている。
貴族の若者は、ディーンが何者かを知っているようにはない。事件のことは噂になっているだろうが、詳細は上部の者で止められているはずだ。
それでも自然とディーンが受け入れられた理由は、東国人というには少々異質な容姿もさることながら、彼の持つ独特の雰囲気のせいだろう。旅慣れたゆえの人懐こさというだけではない。誰にでも成り得、それでいて誰にも成り得ない強烈な個性――それが彼にはあった。
レイは、最初に会った頃は感じなかったその印象に、あることに思い至った。
あの派手な身形は、彼の個性を浮き立たせていたのではなく、むしろ曖昧にしていたのではないのか。
普通の人であれば派手な外見に目がいって、その個性に気が付かない。だが装飾を剥ぎ落とされた今、彼の存在感は金剛石の原石よりもあきらかだった。
なぜか、レイの胸に言い知れぬ痛みが走る。
「どうかしたの? レイ」
「いや……なんでもない」
九曜にそう答えつつも、レイの表情はどことなく優れなかった。
数曲を弾き終え、気が済んだらしい少年が駆け戻ってくる。
その姿を眺めながら、レイはさっきから気持ちが落ち着かない理由が、ようやくはっきりと分かった気がした。
――わたしは一体ディーンの何を見ていたのだろう……。
知れば知るほど、彼というものが分からなくなっていく。
半年間の空白のせいではない。
器用に右手を使いこなす彼の姿に、自分の知らない過去が見え隠れする。それがレイの心を重くさせた。
エレンのことも舞師として活躍したことも、まるで知らない人の話のように思える。
唇を引き結び、レイは、再び歩みはじめる皆の後ろから重い足を進めた。
*
「浮かない御顔でどうなさいました?」
回廊の手摺りに頬杖をつくレイの隣に、そう声をかけてやってきたのは、亜麻色の東国の青年だった。
「サリ殿か。お仕事は終わられたのか?」
「とりあえず一段落といったところです。書類仕事は苦手で」
ソロモンはおどけて言い、先程の質問の答えを待った。
しばらくの沈黙の後、レイは独り言のようにぽつりと口にする。
「人というものは分からぬものだな。知り尽くしたと思っても、本当は少ししか知ってはいない」
「ええ。それに、人は常に変化するものです。見つけたと思っても逃げる陽炎のように」
「……あいつも、そうだろうか」
そう呟いたレイの視線の向こうには、広い前庭で馬に乗り回す黒髪の少年の姿があった。
「サリ殿はディーンが舞師だった頃から知っているのだろう? 彼はどんなやつだった?」
「それは、彼にお聞きになりましたか?」
レイは、つ、と藍色の瞳を逸らして俯いた。珍しい銀の髪がきらめいて流れ、横顔にかかる。
「……いや」
「では、直接本人にお聞きになられたほうがよろしいでしょう」
「答えて、くれるだろうか」
「あなたでしたら……大丈夫でしょう」
低いきっぱりとした断言に、レイは東国の青年を見た。
正体を見せない若者は、静かな、ただまっすぐな眼差しを秋の景色に注いでいる。
「では、まだ仕事が残っておりますので――失礼します」
一礼すると、彼は東殿の方へ立ち去った。
回廊が途切れる三叉路の陰で、長身の若者が一人、壁に寄りかかって佇んでいる。
「ルークシェスト様」
金の巻き毛をふわりと広げた帝都貴族の青年は、無言で厳しい一瞥を突きつけた。ソロモンが苦笑して受け流す。
「そう怖い顔をなさらないでください」
「あの子には近付かないで頂こうか」
「そうはまいりません」
即答し、ソロモンはふと語調を緩めた。
「――と、言いたいところですが、残念なことに今回わたしは非常に個人的な理由でこちらへ来ておりましてね」
「個人的?」
「はい。これでもあの馬鹿とは義兄弟の契りを交わした仲でして。いくら出来の悪い弟でも、放っておくわけにはいきません」
「弟の身を案じるのは結構だが、あまり余計なことに首を突っ込まないほうがいい」
「職業柄です。あなたが――隠し事をなさるのと同じですよ」
薄い茶の双眸に、清冽な光が凝る。
宮中で秘めやかに闘志がぶつかり合う頃、前庭のディーンは見張りつきの運動に少々退屈になってきたのか、馬上からレイを誘った。
「レイファス、おまえも来いよ!」
レイは一瞬迷ったが、
「分かった。行く」
答えて、回廊から庭へひらりと飛び降りた。
軽く口笛を吹くと、馬場の低い柵を越えて、一頭の葦毛の馬が駆けてくる。すでに馬具をつけているそれに、レイは走りざま、慣れた動作で騎乗した。
そのまま拍車を駆り、ディーンのいる前庭に馳せる。
「よーしよし」
紫紺の外套をひらめかせ、レイは彼の前で馬を止めた。
美しい少年剣士の白銀の髪が光に踊る様を、周りの兵士たちが目を丸くして眺めている。異形の美しさ――まさに彼らは悪魔に魂を抜かれたような顔つきだった。
栗毛の馬に跨るディーンが苦笑する。
「見事なもんだ」
含まれた意味を知ってかどうか、レイは黙って軽く肩をすくめた。
「さすがに動物の扱いは慣れてるな。そういや、おまえは感応者だったか」
「ファタルとは長いんだ」
レイは、白に黄色の差し毛のある雌馬の首筋を撫でた。
このファタルは彼女がエファイオスにいた頃からの馬で、帝都まで連れて行った唯一の供である。賢く穏やかで、レイの語りかけにもっとも反応をみせる馬だった。珍しいオッドアイが、賢者のような光を湛えるところがレイの気に入っている。
「競争しようぜ、レイファス。あの木を回って、先にここへ帰ってきたほうが勝ちだ」
ディーンが、四半公里先の城門の脇に生えているパムの巨木を指差した。
「いいだろう。何を賭ける?」
「おまえから金を巻きあげるのは可哀相だから遠慮してやる」
「いい口の利き方だ」
不敵に笑い、レイは彼の馬に馬首を合わせた。見張りの護衛官に審判を頼む。
一人が腰の剣を鞘ごと抜いて、高々と掲げた。
「用意――はじめ!」
剣が振り下ろされ、二騎は疾風のごとく駆け出した。帝都兵や護衛官、果ては通りすがりの侍従たちが見守る中、土埃をあげて馬たちが城門に突き進む。
と。何を思ったか、ディーンがレイの方へ馬を寄せ始めた。
「邪魔をする気か? 卑怯だぞ!」
「叱っ。黙って走らせろ」
馬を走らせたまま鞍から腰を浮かせたディーンが、後ろを空けろ、と目顔で示す。
二騎がぴたりと隣り合った瞬間、ディーンは自分の馬の背を蹴って、葦毛の馬へと飛び移った。
「お、おい! ディーン?!」
驚くレイの後ろから手綱を握り、ディーンはさらに馬の速度を上げる。
「行くぞ。舌を噛まないように、しっかり口を閉じてろ」
言うや、思い切り拍車を駆った。
充分な勢いをつけたファタルがパムの木の横を抜け、大地を蹴り上げる。
「おおっ!」
異口同音に人々がどよめいた。
砂煙を残し、青空に飛び込むように、二人を乗せた馬が城壁の彼方に消える。
「――あの大馬鹿者め!」
宮殿から目撃したルークシェストが、痛烈な舌打ちをした。
「管理不行き届きだぞ、兄君!」
「わたしを引き止めていたのはそちらでしょう。八つ当たりなさらないで下さい!」
言い合いながらも、シェスとソロモンは早くも前庭に走り出る。
見ると、ディーンが乗り捨てた馬が一頭、歩いてこちらへと戻ってきていた。
「あれで二人を追ってください。今ならまだ追いつけるはずです!」
「おまえはどうする!」
「別の方法を探します。早く!」
頷いて、ルークシェストが栗毛の馬に飛び乗る。瞬く間に馬を加速させると、二人を追って城壁を飛び越えた。
それを見届けたソロモンは、何を思ったか、宮殿に駆け戻っていく。
前庭では、事の重大さに気付いた兵士たちが遅蒔きながら呼子を鳴らし、捜索を開始しようとしていた。




