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カナン・サガ2~孤高の島~  作者: 藤田 暁己
第6章 過去からの使者
23/29

6-4

 


 あてがわれた貴賓室を臨時の執務室に仕立て、セイデンとノアは帝都にいる時と変わらぬ忙しさに追われていた。午前中で終わる査問会が延び、二人はまだ昼食すら取れていない有様である。

 ノアが確認作業の終わった書類を束ね、可動式の小棚に納めると、オーク製の大机の表面がようやく姿を見せた。


「少し休憩にしますか?」

「そうだな」


 机の向こうで、セイデンが疲れた表情を緩める。

 ノアは、部屋付きの侍従を呼んで軽食の用意をさせると、みずから茶瓶ポットをとって給仕した。彼は食も仕事も独自の美学があり、あまり他人に任せるのを好まぬ男である。他人に任せることに抵抗感のないセイデンは、それを面白く思うので放っておいていた。

 いかにもリューン様式の草花模様の白磁の茶器に、薄い水色すいしょくの紅茶が芳香高く注がれる。


「それにしても、先程の査問会はなかなかおもしろい茶番でしたね。こちらを利用しようとは、あの使者もよほどの食わせ者です」

「おまえに言われれば相手も立つ瀬がないと思うが」


 美貌の男の食わせ者ぶりをよく知るセイデンは、笑って冗談めかした。茶碗カップを受け取り、しばらくあたたかな湯気と香りを楽しむ。


「まあ……利用されたとおり、しばらく口を出さずにいてやるとするか」

「ええ。リ王家には何の興味もありませんが、何名かの腹黒い貴族が失脚するのですから、カルディアロスも少し静かになってよいでしょう」


 意味深長な言葉に同意し、ノアは自分の紅茶をとって、反対側の椅子に腰掛けた。

 セイデンが紅茶を一口すすり、ふうと息をつく。


「しかし、あのシン族の青年、なかなか見所があるな。リ王家もよい部下に恵まれたものだ」

「愉しそうにいじめておいででしたから」

「それに……昔のおまえによく似ていた」

「そうですか?」


 両手に茶器を持ち、ノアが美しい眉をしかめた。


「そうだ。生意気で口と頭のよく回る、慇懃無礼な若者だ」

「ひどい言い方ですね」

「褒めておるのだ。おまえのような者は滅多におらぬ。目上の者にずけずけと物を言い、へつらいはせぬ代わりに利用できるものはとことん利用する。まさに礼儀知らずの真骨頂だ」

「その真骨頂を雇われたのはあなたでしょう」

「そうだな。もう八年になるか――」


 セイデンは、懐かしむように呟いた。

 数々の試験を稀に見る好成績で修め、セイデンに目通りを果たしたノア・ライムスは、統一世界(カナン)の行く末をどう考えるかと問われたとき、


『近い将来、この体制は崩壊するかと存じます』


 そう、迷いもなく答えたものだ。


『ほう……。では、我らも滅びるとな?』

『はい。所詮この世界を一つの権力で縛ろうというものが間違いかと存じます』

『なれば、なぜわしの元に来た?』

『その滅びるさまを間近で見とうございました』


 ノアは一片の笑いも浮かべずに、不思議な光を双眸に湛えて言い放った。


『滅びるか否か――その瀬戸際こそ己の力を発揮できるところかと……』


 その賭けをするために来たのだと告げるノアを、セイデンが生涯の右腕と決めたのは、実にその瞬間であった。


「……ふ。あの頃と比べれば、おまえも丸くなったものよ」


 ノアは黙って、緑玉の双眸を伏せた。

 片付けられた書類の山を眺め、セイデンが晴れやかに笑う。


「やはり、あの時おまえを雇うと決めたのは正解であったな」

「長老方が随分と反対なされたと聞きましたが」

「なに、あれらは儂のやること為すことすべてしゃくに障るのだ。気にするな」


 ノアも少し微笑んで、軽く頭を下げた。


「ありがたく思っております。私も……お仕えしたことに間違いはなかったと思っておりますよ」


 秀麗な顔立ちに、ふと深い翳が落ちる。


「もう少し……もう少し早くお会いできていれば――」


 囁くように独りごち、ノアは窓辺へと立った。

 眼下の景色に視線を落とし、緑の瞳が驚きにわずかに見開かれる。


「――どうした?」


 声をかけて隣に立ったセイデンは、太い眉根を寄せた。


 客室のある北塔の真下に設けられた闘技場で、二人の若者が剣をもって戦っている。

 一人はセイデンの息ルークシェスト。

 いま一人は、彼を殴った東国の少年ディーン・グラティアスだった。


 得物えものは木刀で、もちろん腕慣らしから始めた試合なのだろうが、双方の優れた腕前ゆえか、それはすでに試合を離れ、白熱した剣技戦へと突入していた。

 外套マントと上着を脱いだだけの動きにくい服装のシェスと、不慣れな両刃剣を遣うディーンとでは条件はほぼ対等。

 最初睨み合い、構えたまま動かなかった二人は、同時に攻撃を仕掛けると、そこからは目にも止まらぬ技のぶつかり合いとなった。

 傍らのレイたちは周りの兵士は無論、ソロモンやギガースでさえ止めることのできない凄まじさに、固唾かたずを呑んで見守るほかなかった。


 塔から見下ろすセイデンの眼に鋭さが加わる。


「――む。いかぬな」

「私が参りましょう。血を見る前に止めなければ」


 まだ飲みきらぬ紅茶を置いて、ノアが足早に出て行った。セイデンは瞬きもせず、二人の戦いを見つめている。


 右から突き入れたディーンの剣をかわし、飛びぬけざま、シェスが背後から剣を振り下ろした。身を屈め、ディーンが素早く腰を入れ替え、下からシェスに迫る。

 発条ばねで出来ているかの跳躍を見せ、シェスが飛び退く。

 睨み合うことしばし。

 次の瞬間、疾風のごとく二人は駆け寄った。もつれるように、黒い影が交錯する。


 一瞬息を詰めたレイは、動かない影たちに気付いて眼をみはった。


「ノア……」


 横からいだシェスの剣を右で、振り下ろされたディーンの剣を左で、それぞれ軽く指で押さえるようにして止めた男が、静かに告げる。


「――それまで」


 シェスは身をひるがえして退さがると、剣を晴眼せいがんにつけ、男へ怒鳴った。


「そこを退け、ノア! まだ勝負はついておらぬ!」


 その時、青い瞳を燃えたたせる彼の側を、白いものがはしった。

 一房の金髪を正確に断ち、一本の紙ナイフが足元の地面に突き立つ。

 飛来した先を仰いだシェスは、闘技場を見下ろす塔の窓辺に立つ影を認めた。


「……父上」

「二人とも少々熱くなりすぎですよ。この辺りでやめておきなさい。野次馬たちに、これ以上本物の決闘と誤解されたくなければ、ね」


 柔らかくノアにたしなめられ、二人の青年は、いつのまにか広場を囲む人の群れにようやく気がついた。お互い顔を見合わせ、照れくさそうに苦笑する。

 ノアが呆れ顔で、両手を腰に当てた。


「ルークシェスト様。よい加減にその血の逆上のぼせやすい性格を直していただかなくてはなりませんね」

「う……うむ」

「セレスディーン・グラティアス。あなたも激しい運動はだめだと言ったはずですよ。もう一度肩を脱臼したいのですか?」


 身長のある彼は、片手で思い切りディーンの左肩を掴む。


「いででででで」

「ほら、また腫れている。忠告を破ったのはあなたですから、私はもう治しませんからね。――ルークシェスト様も」


 法力を使おうとする主人の息子をいち早く止める。


「これ以上余計なことはなさいませんように。貴方には、私の仕事を手伝って頂きます」

「おまえの? どうせ父の仕事だろう。今さら私が口を出さずとも――」

「黙っておいでなさい」


 ぴしりと決めつけ、ノアは長い長衣ローブを翻らせて闘技場を後にする。シェスはディーンへやれやれといった顔で肩をすくめ、木剣を投げ返すと、それを追って去った。

 塔の窓辺に、もうセイデンの姿はない。

 決闘が終了したと知り、野次馬たちが輪をほどいて三々五々散る。その間を潜り抜け、ディーンは闘技場の外に立つレイたちの元へ戻った。


「大丈夫か?」

「ああ」


 答える彼は、痛みのぶり返したらしい肩を少しつらそうに抱えている。

 昨日脱臼し整復したばかりの左肩に触れ、ソロモンが顔をしかめた。


「おーお、これはダメだ」

「抜けてはいないが、けんが腫れている。四、五日は絶対動かせんな」


 天眼のギガースが、確定的な診断を下す。ディーンが悲鳴を上げた。


「そんなぁ! 肩が動かせなかったらなんも出来ねーじゃんかっ」

「これ以上ここで何をする気だ?」

「決まってんだろ。収穫祭を見ないで、リューンに来た意味があるかっての」

「……このお祭り野郎がぁ」


 さすがに冷静なソロモンの眉間に縦皺が寄る。そこへ無言だった傍らのレイが、


「習ったばかりで自信はないが――」


 呟き、彼の左肩に手をかざした。ふ…とその場に熱とは違う暖かな光が満ちる。


「お?」


 見た目にはほとんど変化がないが、何度か[治癒(ヒール)]を受けたことのある少年は、軽く肩を動かし、痛みが引いているのを確かめた。


「治った、治った」

「あまり負担をかけるなよ。ノアも言っていたと思うが、[治癒(ヒール)]は自己の回復力を高めるだけで完全に治るわけじゃないからな」

「分かってるって。だけど、おまえやっと法術師らしくなったな」

「法術師の卵だろうな、まだ。[治癒(ヒール)]や防御程度ならどうにかなるのだが、いかんせん攻撃が未熟でな。どうにも使いものにならん」

「べつにいいんじゃねーか? おまえは剣が遣えるんだし、なにも法術で戦わなくったっていいだろーに」


 まだ肩をさすりながら、ディーンが呟く。


「シェスもあれだけ剣が遣えれば、法術なんて必要なさそうなのにな」

「ディーン、本気だったでしょ」


 九曜がからかう。


「馬鹿言え。真剣だったらノアに止められる前に片付けてるぜ」

「そうか? 兄は天位だぞ」


 レイの一言に、生垣に寄りかかっていたディーンの動作が止まった。


「え?」

「帝都でも指折りの剣士だ。前にもそう言っただろう」


 ずず、とディーンの体が生垣に埋もれる。


「あ、沈没した」


 九曜が呟いた。ギガースが埋もれ残った腕を掴んで、完全に沈みきるのを引き止める。


「今頃腰が砕けたのか?」

「情けないやつ」


 ソロモンが嘆く。レイもため息を吐いて、


「おまえに助けられたかと思うと、いささか自分が哀しくなるな」

「だけど、アルーザは自分から破滅したし、ギデオンだって冽牙れつがのおかげだし、ディーンのしたことといえば女装して乗り込んだくらいでしょ?」

「それもそうだな」


 相手を地に引きずりおろす慰めに、レイが晴れやかな笑顔で同意した。

 対してディーンは、生垣に半分身を埋めたまま、ますます不機嫌な顔になる。


「おまえら、俺で遊んでないか?」

「いやいや」


 笑いを含んだ声で否定し、ギガースが引っぱり上げようと腕を掴み直す、と。


「――あ」


 つるりと手が滑って、ディーンはそのままフィオの深い茂みの中へ転げ落ちた。

 こずえの折れる音と何かにぶつかる鈍い音。

 同時に、弾けるように爆笑が起こる。

 騒ぎを聞きつけて、先程散った人の群れが、再び寄り集まってきた。ディーンを助け起こして彼らが立ち去るまでの僅かの間、その一画が騒然となる。

 そして当然、その間レイたちの爆笑が止むことはなかった。



 その頃ノアと共に北塔に向かったルークシェストは、汗と埃で汚れた服を着替えるために、あてがわれた客室へと戻っていた。

 帝都から供をしてきた小姓のユリウスが、彼を出迎える。外套マントと上着を受け取り、まだ幼さの残る少年の顔が曇った。


「ルークシェスト様、お怪我を……?」

「うん?」


 襯衣シャツボタンを外していたシェスは、怪訝そうに小姓の少年を顧みた。長い金の巻き毛をかきあげ、壁の姿見すがたみを覗き込む。


「これは――」


 小さく声をあげ、ルークシェストは左の首筋に手を当てた。

 くっきりと何かを叩き込まれたような、指の幅ほどの赤いあざ

 ディーンの剣を受けた記憶はなかった。ならば、直接触れることなく、剣圧のみでこれほどの痕を残したというのか。


――セレスディーン・グラティアス……恐るべき剣士に成長するやもしれぬ。


 確信ともいえる予感に、シェスは空寒そらざむいものを感じた。

 痣を撫でる両眼に、青色の炎が宿る。


――奴ならば、自力で帝都に来よう。そのときこそ……。


「決着をつけてやる」


 不敵な笑みを湛え、若き天位の剣士は一人ひそかに呟いた。




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