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カナン・サガ2~孤高の島~  作者: 藤田 暁己
第6章 過去からの使者
22/29

6-3



「父上は極東公語(アウシアン)を話されるのですか?」

「ああ。極東公語の他にリューン語、北域公語(アンスール)……合わせると、十ヶ国語以上の言葉をお使いになるようだ」

「父上が?」


 通常、帝都貴族アイテリアルは、古五王国のものですら他言語を習得することはない。統一言語アリンガムこそが唯一の言語なのだ。

 兄の返事に、レイは目を丸くした。

 二人は査問会の終わった謁見の間を出、外の回廊を通って白鳩城ペリステラ西殿の一室に向かう途中である。


「おまえは知らぬだろうが、お若い頃は諸国を旅して回られたこともあるらしい。確かカルディアロスへは何年か滞在されたことがあると、モルガン将軍に聞いたことがある」


 歩みを止めぬまま、ルークシェストは異母妹である〝弟〟へ語った。


 鍛えられた長身を青と白で彩られた衣服に包み、紺の外套マントが颯爽とした彼によく映える。隣を歩くレイは、黒を基調とした渋い色の服で、ほっそりとした体付きがより際立った。

 二人とも髪を束ねず、そのまま後ろに流しているせいで、秋の陽射しを浴びて二人はまさに黄金と白銀に包まれるごとく輝いて見える。

 レイは、風に膨らむ灰緑の外套マントを片手に押さえ、やや先をゆく兄の肩に並んだ。


「兄上、先刻の話を聞いている時から思っていたのですが、カルディアロスにマグノリア公爵なる者がおりましたか? 私にはそのような名は記憶にないのですが……」


 似ているとは言えぬ精悍なシェスの頬に、微笑とも苦笑ともとれぬ笑みが漂った。


「当然だ。そんな者などどこを探しても見当たらぬ。おそらくは彼らの作った偽名であろう」

「偽名?」

「見たところ、あのナイトとか申すやつとグラティアスは知り合いのようだ。二人の間では、その偽名で何かしら通じるところがあったのだろう。家紋を木蓮(マグノリア)と言っていたが、それですらカルディアロス貴族の間には存在せぬ。公爵が木蓮を好んでいたか、邸宅に生えていたか……それに近いようなものであろうな」


 言い、シェスは何かを考えるように言葉を切った。ふ、と蒼天の瞳に雲がかかる。


「今になってもなお……あいつは女との約束を守ったのだな」


 レイは一瞬、返す言葉を失った。

 ディーンが今までそんな想いを胸に秘めていたとは、思いも寄らなかったことだった。


「では兄上。あの家紋は一体……?」


 ルークシェストは足を止めると、身を屈めて妹の耳へある名を囁いた。

 蒼い双眸が驚きに見開かれる。


「まさか……!」

「断言はできぬ。だが、あの家紋の特徴からみてまず間違いはないだろう」


 兄の言い方からレイは、ソロモンが見せた家紋も本物ではないのだと察した。

 それもそのはず。シェスが告げた名は、カルディアロス王家とも深い縁のある、帝都とのつながりも濃いとされる高名な公爵家の名だった。

 これがおおやけにされれば当の公爵家は取り潰され、王家の名にも傷がつきかねないだろう。


「本国が眼の色を変えて彼を引き取りに来るはずだ。父上やノアも気がついておられただろう。とんだ騒ぎだったな」

「父上はどうなさるおつもりなのでしょうか?」

「争い事を嫌う御仁ごじんだ。穏便に処理されるだろう」

「そうであればよいのですが……」


 浮かない顔をする妹の肩を、シェスはやさしく抱き寄せた。


「おまえが心配することではない。何かあれば、私から父上に進言するから安心しなさい」

「はい」


 レイは、頭半分背の高い兄を信頼の眼差しで見上げる。


「ところで兄上。あのソロモン・ナイトとかいう男、いかが思われました?」

「うん?」

「あの身のこなしといい、只者ただものとは思われませんでした。警察当局の者とも軍関係者とも思えませんが……」

「そうだな」


 ルークシェストが重々しく頷く。


「カルディアロス王家には、代々〝影の者〟と呼ばれる隠密集団が直属している。おそらくはその一人であろう」

「では、この一件にはリ王家が直接関わっていると……?」


 驚くレイに、シェスは薄く不敵に微笑んだ。


「どういった繋がりかは分からんが、ディーンの奴、よほどの者と知り合いとみえる」


 話題の主を名前で呼ぶ兄に、レイは首を傾げた。昨夜も彼らを前から知っているような素振りだったのを思い出す。


「兄上。いつからディーンと知り合いなのです?」


 意外に聡い妹に、シェスが言葉に詰まる。気まずげに口元を片手で隠し、


「む。まあ……いろいろと、な」

「そういえば今回、六芒聖軍(ヘクサッド)の出動がやけに手際よかったようですね」

「そう、だったかな。うむ。今度褒めてやらねばならんな」


 話を逸らそうとする兄を、宇宙そら色の瞳が鋭く見つめる。


「あの天翔船には、兄上は乗船されてらっしゃらなかったと聞きましたが」

「そ、そうか?」

「攫われていた少女たちの居場所へ案内したのは、兄上によく似た法術師だったそうですね」

「む……」

「しかも金位だそうで、彼は攫われた妹を探しに来たと名乗ったようですが」


 あくまで平静を装おうとするシェスに、隙のない笑顔でレイが問いつめる。


「法術師団の中に、そのような者がおりましたか?」


 もはや隠し切れないと悟ったシェスは、観念したように両手を挙げた。


「分かったよ。ディーンたちと一緒にレオノイス制圧に向かったのは、この私だ」


 やはり、といった顔で、レイが睨む。


「仕方あるまい。手がかりは皆無。リューン上層部に内通者がいるとなれば、非常手段に頼らざるを得なかったのだ」

「非常手段? ディーンがですか?」

「そうだ。彼はなかなか素晴らしい働きをしてくれたよ」


 シェスは朗らかに笑った。


「彼がいなければ、事件とレオノイス、それに聖浄派(サクラーレ)の関係に気が付くのがもっと遅れていただろう。そうなればレオノイスの復活を阻止できたかどうか……。おまえを危険な目に合わせた男だが、それを補うだけのことをしたと言えるな」

「まあ……あいつの勘は動物並みですから……」


 褒めているとはけして言えぬ妹の感想に、シェスが吹き出す。


「確かに変わった奴だが、おまえたち一体どういう関係なのだ?」

「どうと言われても――」


 レイは言葉を濁した。が、思案しているうちに目的の部屋へと辿り着いてしまい、その答えは有耶無耶なままで終わった。救われたような顔で、レイが扉の両脇に立つ兵士に開錠を命じる。


 その部屋には、金獅子の紋章をもつ六芒聖軍ヘクサッドではなく、銀の聖蛇(テオソフィス)の符を胸にかけた白い長衣ローブの一団がいた。明らかに他とは異質な空気を漂わせていた室内が、新たな二人の来訪に、今までとは違う緊張を帯びる。

 ただひとり、部屋の中央で青白い電光に囲まれた者だけ反応が異なった。


《や~ん。レイってば、やっと来てくれた~》


 喜びのあまり結界の光の輪の中でくるくる回り、見えぬ壁に前脚をかけて立ち上がる。毛足の長いやわらかな尻尾がぴん、と立った。

 顔を強ばらせる法術師たちに目もくれず、レイは仔猫の姿をした妖魔に笑いかける。


「遅くなってすまなかったな、九曜。今やっと査問会が終わったんだ」

《ディーンはどうなったの?》

「おとがめなし。ただし、本国へ連れて帰られることになったが」

《やった。じゃ、僕がここから出ても誰も文句は言わないよね?》

「ああ、許可は下りると――」


 思うが、とレイが続けるより一瞬早く、目の前の空間に青白い亀裂が入った。実際の音ではなく脳裏に響く甲高い破砕音とともに、仔猫を包む法力が光の粒となって四散する。

 どこか妖しい煌めきを放って消える魔封じの結界の残骸を、法術師たちが呆然と見つめた。


 その様子に、シェスはちらりと厳しい目を向けたが、あえて黙殺した。小さな仔猫の姿に誤魔化され、相手の実力を見誤ったのは、ひとえに自分たちの法力を過信していたからに他ならない。法術師の中でも実践経験のあるものを選んだはずだが、その質の低さに腹立たしさしか感じなかった。


 九曜は、聖母に次ぐ法力をもつ自分ですら、まともに敵対しようと思わぬ相手だ。彼が一晩ここにいたのは、たぐまれなる心の広さと言わざるを得ない。

 名付け親の教育の賜物たまものか、人間に寛容な妖魔は、身震いをして降りかかる結界の欠片を払い落とすと、大きく伸びをした。


「あー、退屈だった」


 少年の声で欠伸まじりに呟き、レイを見上げる。


「ね、早く行こうよ。僕お腹すいちゃった」


 何事もなかったように、とてとてと床を歩き出す。凍りつく法術師たちを尻目に、レイとシェスがそれに続く――と。

 戸口から少し離れた壁に掛けられた漆黒の大剣が、鋭い響きをたてた。

 もやのように揺らめきたつ深紅の輝きが、法力の戒めに圧されてやや薄らぐ。

 仔猫の虹色の眼が、興味なさげにそちらを向いた。


「……忘れてた」

荒炎すさのおもここに置かれていたのだな」

「こいつも、もういいんでしょ?」

「ああ。ギガースも釈放が決まっている」

「なら、外してやってくれる? 恩はないんだけど、ここで助けておかないと後で酷い目に合いそうだから」


 魔剣の精霊が苦手な九曜は、本当はここに置いておくほうが静かでいいんだけど、とこっそり付け加える。レイは笑って、近くの法術師に結界の解除を申し付けた。

 自由を取り戻した魔剣をレイが手に取ろうとした瞬間。


「危ないっ!」


 激しい音を立てて魔剣が発熱し、炎のような鮮やかな光をあげた。

 咄嗟に飛びついた九曜は、レイの腕にぶら下がったまま魔力で教える。


《ごめんごめん。言い忘れてたけど、炎華ほのかは大の女嫌いなんだ》


 この魔剣・荒炎に炎華と呼ばれる精霊が憑いていることは、レイも聞かされていた。レイは九曜を肩に乗せかえると、意志を宿す剣を困ったように眺める。


「では、どうやって持ち出すのだ?」

「僕は絶対ごめんだけど……」


 仔猫の視線が、傍観者を決め込んでいる金髪の青年に向かう。


「……私か?」

《うん。魔剣を持てる法力の持ち主で男とくれば、おたくしかいないでしょ》


 少々投げやりな提案に、シェスが眉をしかめる。


「この際仕方ないが、私で言うことを聞くのか?」

「聞くんじゃない? わりとおたくを気に入ってたみたいだから」

「気に入られていたのは君だろう」

「余計なお世話だよ。さっさと持っていってよね」


 厭なところを突かれ、九曜は不機嫌に言った。

 やれやれといった顔で、シェスが魔剣に手を伸ばす。その時、背後から低い声がかかった。


「そのままでは手が灼けただれるぞ。俺が代わろう」

「ギガース……」


 衛兵に伴われ、ようやく地下牢から出たらしい長身巨躯の男が、褐色の顔をほころばせてやってくる。


「こいつは魔剣の中でも特殊でな。俺でなければ触れぬのだ」


 言いながらギガースは、紅い陽炎かげろうのゆらめく漆黒の剣を掴んだ。

 きり、とわずかな声をあげ、魔剣が唸りを静める。

 シェスが感嘆の声をあげた。


「さすがに魔力を喰らうと言われるだけあって、すさまじい妖気をまとうものだな。それにしても……すべからく魔剣は意志を持つと聞いたが、特殊というのはどういうことだ?」

「この荒炎は元々、村の守護神である〝永遠の炎〟の中に封印されていたのだ。いわば、御神体ごしんたいといったところか」

「いったところかって、おたく他人事ひとごとじゃないでしょーが」


 九曜の突っ込みにギガースが苦笑する。


「荒炎と呼ばれる最強の魔剣が永遠の炎の中に在ることは、古くから周知の事実だったのだ。だが手にできた者は数百年間誰もおらず、それに挑戦することは成人の通過儀礼イニシエーションの一種にすぎなくなっていたのだが――」

「おたくが成功しちゃったってわけ?」

「そういうことだ」


 軽く頷き、まだ手にしてから三年あまりしか経たぬ御神体を、背に斜めに掛ける。

 レイは半年前火人かじんの村を訪れた時に目にした、漆黒の石台の上で燃え盛っていた巨大な炎を思い起こした。


「では、炎華は村の守護神の使いとでも?」

「似たようなものだ。他の魔剣には炎華のような精霊は憑かないからな」

「へぇ。じゃ、ああ見えても結構すごいんだ? あいつ」

「こら、九曜。そういう言い方は炎華に失礼だろう」


 皮肉な口調で感心する仔猫を、レイが軽くたしなめた。

 たしめるといっても、相手は人の敵である妖魔。その会話を人の域から外れた原罪者が傍らで取りなすという――普通では絶対に有り得ぬ、否あってはならぬ光景を、周囲の法術師たちは驚きを通り越して、気味が悪そうに遠巻きに眺めている。

 それに冷めきった一瞥を投じ、シェスは妹たちを促して部屋を出た。


 周りの目など気にならぬ特殊な一団は、和やかに会話を続けつつ、法術師団のいる西殿を抜けた。本殿とつながる回廊にさしかかったところで、カルディアロスから来たばかりの亜麻色の髪の青年と出くわす。


「おや、これはおそろいで」


 ソロモンは供も案内も連れず、鎧を脱いだ質素な着物姿で頭を下げた。シェスが軽く目礼を返す。


「手続きには二、三日かかると聞いたが、もう終わられたのか?」

「いいえ。第一天公爵(プリムロード)閣下の御計らいで、現在無事に進行中です、殿下」


 最後の一言に、帝都人(アイテリアル二人の顔色が変わる。


「残念だが、私は殿下などと呼ばれるほどではない」

「これは大変失礼をいたしました、ルークシェスト様」


 ソロモンはにっこりと、本心の見えぬ柔和な笑顔で謝った。


「こんなところでお会いできたのも何かの御縁。せっかくですから、わたしも皆様とご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」

「構わないが、仕事のほうはよいのか?」

「はい、レイファシェール様。大使はチュン殿ですから、付き添いのわたしは暇なんです」


 査問会で独壇場を広げた男は臆面おくめんもなく言い、ふと気付いたようにレイの肩の白い仔猫を見た。後ろの巨漢にも同じく視線を投げて、


「ところで、こちらの方々はどちらさまですか?」

「この白いのが妖魔の九曜。彼は妖魔狩人ハンターのギガースだ」

「ああ――」


 さすがに激しい驚きが返ると予想していた一同は、笑顔で手を打つ東国の青年に瞠目した。


「ひょっとしてディーンと一緒だったという、妖魔と妖魔狩人ハンターの方ですか?」

「……そうだけど」

「それはそれは。どうもお二方には、いろいろとご迷惑をおかけしたようで……。初めてお目にかかります、わたくしカルディアロス特使として参りました、ソロモン・ナイトと申します。どうぞお見知りおきを」


 ソロモンは帝都式に右手を胸に当て、丁寧に頭を下げる。九曜が妙な顔になった。


「変な人だねぇ、おたく。普通もうちょっと驚くでしょ」

「はあ。ですが、こう言っては何ですが、ディーンがちょっと変わった方と知り合いになるのはよくあることですから」


 ソロモンの口調に、彼の引き起こした面倒は今回ばかりではないという空気がありありと滲み出る。


「ディーンとは長いの?」

「あいつが十の時からの付き合いです。別に付き合いたくはなかったんですけれどね」


 ディーンを連れ戻しにきた青年は、毒をまぶした口調で返した。


「そういえば、今度の事件はかなり大きなものだったようですが、どのようなものかお聞かせいただけますか? なにぶん急いで参りましたので、詳しい事情を知らないものですから」

「そうだな。私もあれから何があったのか知りたい。九曜、教えてくれ」


 レイも肩に座る仔猫を促す。嘘がつけないこともあり、請われれば素直に答えてしまう性分の妖魔は、シェスとソロモンのために簡単に前置きをしてから、レイが攫われてからの探索の概要を語った。

 レオノイスへ乗り込むために女装したディーンがおとりとなったと聞き、レイが思わず額に手を当てる。


「何も女装しなくとも……」

「時間がなかったからね。仕方なかったんだよ」

「それで口紅が――。まったく、あいつもきちんと説明すればいいものを」

「言えなかったんじゃない? 結構あれで意地があるから」

「意地って……誤解されたままでいるよりいいだろうに」


 馬鹿なんだから、とレイがため息を吐く。九曜とギガースが苦笑した。その横で兄のシェスが複雑な表情を漂わせている。

 人の好さそうな笑顔で、ソロモンがレイをなぐさめた。


「先程の事件の審議の時もそうですが、あいつは馬鹿なくせに気を回してどつぼにはまるタイプなんですよ。あまりお気になさる必要はありませんよ」

「そうかもな。しかし、あいつの女装姿とは……見なくてよかったのかな」

「そうでもないんじゃない? ねえ、シェス」

「――私に聞くな、私に」


 にんまりと九曜に振られ、一瞬とはいえ女装したディーンに見惚れた青年は、不機嫌に言い返した。先程の意趣返しに成功した妖魔が、様子を知らないレイに教える。


「僕も最初はどうなるかと思ったんだけどね――」

「ですが、なかなかの美人でしたでしょう?」


 そう口を挟んだのは東国の青年だ。隠し玉の多い彼は、あくまでもにこやかに、驚く一同に告げた。


「ああ見えましても、あいつは元舞楽師でしてね。こちらの国ではあまりないのでしょうが、我々の国では男が女役をすることはよくあることです。ですから、女装をしてもさほど変ということはないはずですよ。文化の違いはありますが」

「セルヴェ伯爵の前で披露した舞はなかなかのものだったが、彼はそんなに優れた舞手だったのか?」


 シェスの疑問に重ねて、レイも問う。


「それに舞楽師をしていたのは右腕を怪我する前だから、せいぜい十二、三だろう。そんなに若くて舞台をこなせていたのか?」


 ソロモンの茶色の瞳に、やや驚きの色が浮かんだ。


「失礼ですが、怪我のことは本人からお聞きに?」

「ああ、そうだが。それが何か?」

「いえ……」


 ソロモンは軽く首を振ると、ゆっくりとした口調で語りはじめた。


「彼は、幼いながら非常に優れた舞楽師でした。彼の養父母が唄と舞の名手だったこともあるのでしょうね。国舞と呼ばれる東国独特の舞を数多く踊りこなし、十三の時には堅牢地祭けんろうちさいで〝舞踏の(ナタラージャ)〟となったこともありました。勿論、最年少ですがね」


 芸能の盛んなカルディアロスだが、舞楽師に公的な階級制度があるわけではない。しかし、八年に一度催される堅牢地祭――大地を鎮める祭礼から発展した歌と踊りの祭典では、観客と審査員たちの投票によって、舞楽師の中からただ一人〝舞踏の(ナタラージャ)〟が選ばれるのだ。それに選ばれることは、カルディアロスでは勿論、他の国々でも大変な栄誉とされていた。


「そんなにすごいやつだったのか……」

「まあ、一種の天才だったのでしょうね。彼が怪我で舞台を降りた時は、国中がその才能を惜しんだものです」


 その時、よく響く男の低声がどこからか割り込んだ。


「――なーにをたらたら昔のことをしゃべってやがんだ」


 外向きの廊下が接する生垣の向こうから、話題にされていた本人がひょいと顔を覗かせる。


「余計なこと話してんじゃねえよ」

「ほーお。本国からわざわざ迎えに来てやった相手に対してそういう態度に出るか」


 ソロモンが慇懃な物腰を豹変させる。


「そーゆーえらそうな態度が感謝する気をなくさせるんだっ」

「感謝する気など元からないくせに」

「うるせーっての」


 言いながら、ディーンはフィオの茂みから抜け出して、通路とを隔てる低い壁にもたれた。査問会の時とは違い、簡素だが仕立てのいい襯衣シャツに細身に作られた黒の上下が、しなやかな彼によく似合う。

 奔放に跳ねた黒髪と日に焼けきった小麦色の肌、まだ伸びそうな上背を、頭の先から爪先までつくづくと眺め渡し、迎えに来た同郷人が大きな嘆息をひとつついた。


「……はあ。どうしてこう育っちまったんだか」


 呟いて、額に手を当てる。ぷっとレイたちが吹き出した。


「昔はあんなにかわいかったのに……」

「なんだよっ。おまえ、わざわざ俺にケチつけに来たのかよっ」

「当たり前だ。……あーあ。こんなにデカくなって、肩幅も腕もがっちり」


 哀しげに、ソロモンはディーンの両肩に手を置いた。


「この阿呆なところも口の悪さも、あのかわいさがあったから許されたようなものの、こうなったんじゃ救いようがないよなあ」


 しみじみと慰めるように言い聞かせる。


「めげずに強く生きるんだぞ」

「サリ、おまえなぁ……」


 ディーンの握り拳が震える。


「もういい。おまえのひねくれた性格が相変わらずなのが、よおぉーく分かった」

「おや。何か気に障るようなことを言ったか?」


 食えない笑顔でソロモンが切り返す。


「俺もおまえの馬鹿さ加減が相変わらずで安心したよ」

「ほんと変わんねーな」

「ところでおまえ、護衛付きで解放されたはずだろう。護衛はどうした?」

「あんなうっとーしいもの知るかっての」


 つまり、護衛の目を盗んできたというわけだ。帝都貴族アイテリアルを殴って投獄されたはずの少年は、けろりとした顔でレイを見た。


「で、おまえら揃ってどこへ行くんだ?」

「どこへ行くというわけでもない。九曜と荒炎を結界を解いて戻るところだ」


 答えるレイの肩に乗る白い仔猫とギガースに、おう、と手を振る。なぜかもう片方の手には、どこから持ち出した木製の剣が二振り。


「じゃあ、暇なんだな。向こうで剣の練習場を見つけたんだ。一勝負しないか?」

「おまえ、昨日助け出したばかりの相手にそれを言うのか?」


 レイは日位の剣士だが、いくら法力があっても貧血がすぐに改善されるわけもない。


「んじゃサリ、久しぶりにやろうぜ?」

「我が剣は一撃必殺の暗殺技。そうたやすくは見せられるか」


 正体不明の青年が不敵にいなす。続けざまに断られたディーンは舌打ちをして、


「ち、気取りやがって。じゃあ――」


 ギガースを誘おうとしたとき、遮るように、横合いから大きな手が木剣をひとつ掴んだ。


「では、私が相手をしよう」


 爽やかに告げる帝都貴族アイテリアルの青年に、ふ、とはがねの鋭さが漂う。ディーンはにやりと笑い返した。


「いいぜ。引き分けなしの一本勝負だ」

「いいだろう」


 木剣を手にし、シェスが軽やかに塀を飛び越えて庭に下りる。意気揚々と去る二人の背を見送り、レイがぽつりと呟いた。


「大丈夫かな」

「どっちが?」


 肩の上で九曜が尋ねる。


「ディーンのやつ。シェスは天位だぞ」


 天位は剣士の称号の中で最高位にあたる。


「……ま、大丈夫でしょ。悪運だけは強いから」

「だといいが」


 浮かない顔のまま、レイは外套マントをはねあげて敷居を越えると、兄たちを追った。その後をギガースとソロモンが続く。

 あまり野次馬根性のない二人は、ゆっくりと歩みつつ、冷静に勝負の分析をはじめた。


「どっちがいくと思います?」

「やはりシェスに分があるだろう」

「だいぶ腕を上げたようですが、ディーンもまだあの域には達していないようですね」

「ああ。まあ、勘と悪運だけは並外れていそうだが」

「それは言えています」


 大きく頷き、ソロモンは声をたてて笑った。ふと真面目な顔に戻り、


「妙なことをお聞きするようですが……ディーンはあなたとお会いした時から、ああでしたか?」

「ああ、とは?」

「昔よりどこか吹っ切れたような――」


 言いながら、昔を持ち出しても仕方ないと感じたのか、ソロモンは苦笑して語を切った。


「質問になっていませんね、すみません」

「いや。言いたいことは分かる。俺もオファリスで再会した時、同じことを感じた」

「あなたも?」

「ああ。どうやら――」


 ギガースはそれ以上口にすることなく、妖魔を肩に乗せて前を歩く銀髪の少年剣士を見つめる。

 その視線の先を追ったソロモンは、無言の答えを認めて頷いた。


「なるほど。そう……そういうことですか……」


 おのれに言い聞かせるように呟き、茶色の瞳を伏せる。その表情は秋の光を浴びて落ちる木漏れ日に紛れ、謎めいて揺らいでいた。




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