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「失礼します」
声をかけて部屋に入ってきたのは、従者ではなく、彼が右腕と頼む黒髪の美貌の男だった。
今まさに起きたばかりのセイデンは、少々酒の残った頭を振り、彼を手招いた。
書類の束を手にしたノア・ライムスが、まだ夜具に半身を埋める主人に笑いかける。
「これは御無礼を。まだお目覚めではございませんでしたか?」
「今起きた。今さら気にする柄でもなかろう。何だ?」
素っ気なく言い、セイデンは寝台横のテーブルから水差を取り上げると、硝子杯に注いだ。
笑顔をおさめ、ノアが改まった口調で告げる。
「昨日申しつかりましたセレスディーン・グラティアスの身上調査の件ですが、母国のカルディアロスに急ぎ問い合わせたところ先程返信が参りまして」
「ふむ。それで?」
「当国より、即刻彼を引き取りたいとの申し出がございました」
硝子杯を口に運びかけていたセイデンの手が止まった。
「なに?」
「本日午前中には使者を派遣するそうです。勿論こちらが断ることは想定されていないうえでのことでしょう。いかがいたしましょうか?」
セイデンは、硝子杯の水を一口飲んだ。
澄んだ青空のごとく双眸が、わずかに細められる。
「いささか……妙だな」
「はい。私もそう思います。御覧になられますか?」
書類を差し出すノアに、セイデンが顔をしかめて手を振った。
「私の書類嫌いを知っていて見せるのはやめろ。何か不審な点でもあったのか?」
「彼の素性は、半年前の事件の際聞いたものと大差はありませんでした。身元保証人を名乗り出たユウォン伯爵も家柄は確かで、リ王家とも親交のある人物です。もう一人の保証人も剣士として名の知られた方ですし、作為的なところはないようなのですが……どうも解せませんね。なぜ使者を派遣してまで、即刻彼を引き取ろうとするのか――」
「うむ。近頃リ王家には不穏な動きもあるゆえな。我々の関与に気づいたか?」
「全く気がついていないとは断言しかねます。彼の国の若君は大層な切れ者と評判ですから。ですが、多少奇妙だと思いはしても、まさか我々とは予想していないでしょう。たかが少年一人に、我々が直接出張るとは考えないのが普通です」
「まあな。まさかこうなるとは思ってもみなかったが……ふむ。一度会ってみるか」
あまり驚かぬノアの緑の眼が丸くなった。
「使者にお会いなさるおつもりで?」
「我々の目の前で彼を引き合わせるのだ。何を企んでおるのかは知らぬが、たっぷりと見物させてもらう」
セイデンは精悍な笑顔で、不敵に言い切った。
ノアは破顔した。この男は、こういう駆け引きを楽しむ術を心得ている。
その大胆で健全な魂が、彼は好きだった。
簡単な打ち合わせを済ませ、ノアが一礼して部屋を出て行く。
セイデンは夜着を脱ぎ捨てると、為政者の顔で新しい服に袖を通した。
*
その日の午前遅く、リューン総督府の敷地内にある大神殿・琥珀の宮に、飛遠の術を用いて東国カルディアロスから使者が到着した。
現われたのは、二名の兵を伴った小柄な丸顔の男。前合わせの凝った意匠の衣服に身を包んだ彼らは、兵士の鎧や兜にいたるまで優美な異国情緒を漂わせている。提げる刀も見事な装飾をみせたが、さすがに衛兵に預け、使者たちは白鳩城の謁見の間に通された。
丸顔の男は、問題の少年の身元保証人であるユウォン伯爵の代理チュン・イーと名乗った。
「このたびは、我が同胞が大変な御無礼をはたらきましたそうで、まことに申し開きの仕様もございません。お見せする顔もございませぬとはまさにこのこと」
東国特産の絹で包んだ手土産を差し出し、薄い頭を絨毯に擦りつけるようにして、チュンが黄金の椅子に座すセイデンの前で平伏する。
「同輩に成り代わりまして深くお詫び申し上げます。なにとぞ御寛恕のほど、お願い申し上げ奉りまする」
「いやなに、わざわざカルディアロスから御足労願わずとも、必要とあればこちらからお送りいたしたものを」
帝都の査察官フォーブス第一天公爵を称したセイデンは、柔和な笑みを湛えた。
緊張のあまり、叩頭するチュンの丸い額に汗が浮かんだ。袂から取り出した手巾でいそいそと拭きとる。
「いえ。帝都の御面々にこれ以上ご迷惑をおかけ申し上げましては、我が国とて黙って見過ごすわけには参りません」
「しかし先だって連絡いたしたように、彼の者はこたびの事件で我が愚息を魔術師の手より助け出し、攫われていた娘ごたちを救い出した勇気ある若者。それが、些細な行き違いから牢に繋がれたというだけのことに、なにゆえ貴殿らの手を煩わせる必要がございますかな?」
左脇に控える腹違いの兄妹が、父の言動の変わりように戸惑いの視線を交わした。
脂性なのか、小太りのチュンはしきりと手巾で汗を拭う。
「彼は前途ある若者なのですが、教養を持ちませんで、少々荒っぽいところがございましてな。まことにお恥ずかしい限りですが、いやもうユウォン伯もその点のみを心配なされまして。これは早々にこちらから彼を引き取りに伺うべきだと、そう申されまして……」
「ほう、荒っぽいとな。しかれば、かつて何か事件に関わり合いでも?」
「い……いえ、そのようなことは――」
チュンは言葉に詰まった。
それはそうだろう。帝都貴族に楯突いて殴りかかったとあれば、鞭打ちどころか、怒り狂って当人を厳罰に処しても不思議はないのだ。また、そうされても母国側に文句をつける筋合いはない。
そこでカルディアロスから使者を差し向け、身柄を引き取ると共にセイデンにとりなしに来るというのは破格の待遇であり、受け入れる側にとっては悪くない心象なのだ。
その待遇の良さがセイデンたちの気になったところなのだが、詰られ、厭味を言われるのを覚悟で来た使者たちにとって、この彼の対応は考えもせぬところであった。
――これは大変な人を敵に回してしまったか……。
チュンはとめどなく流れる汗を拭きながら、懸命に言い逃れを考える。
壇上から眺めるセイデンには、彼の慌てぶりが手に取るように分かった。
――さて、どう出るかな。
ほころぶ口元を引き締め、彼は成り行きを見守った。
チュンが咳払いをひとつして口を開く。
「さ、先程申しましたとおり、彼には前科と呼ぶべきものはひとつもございません。ですが激しやすい質でございまして、かっとすると何をしでかすか分からぬという……躾もままならぬ野育ちなれば、到底高貴なる方々の前に長くお晒しできるものではございません」
「ほう。なればその危険を避けるだけのために遠路はるばる御出でになられるとは、リューン総督府の警備陣を信用していただいておられぬのですかな? それに、こう見えても儂は人を見る目には自信があるつもりなのだが――」
「あ……いえ、決してそのような……!」
皮肉げな帝都貴族の台詞に、蒼ざめた大使がしどろもどろになる。
傍らに立つノアが、目顔でセイデンをたしなめた。
セイデンは頬杖をついた手で笑いを隠し、傍目には考え込んだような体をみせて言う。
「では、とにかく話題の主を呼ぼうではないか――これ」
ノアに指示し、ディーンをその場に連れて来させる。
セイデン立ち合いの下で査問会が開かれることは知らされていたらしく、虜囚の身ながらきちんと髭をあたり、清潔な身形をしたディーン・グラティアスが、両手枷をつけ捕縄された姿で衛兵に伴われて現われた。
跪きうつむいていた使者の一行が、はっと注目する。中でも後方に控えた二名の兵士の反応は、チュン以上だった。
隠してはいたが、それを見抜いたノアが、わずかに眉をひそめる。
セイデンも気付いたようだが、表情ひとつ変えず、少年の手錠を外すよう命じた。
重い枷を外されたディーンは、手首を撫で、乾いた眼差しを母国の使者にちらりと投げる。随伴の衛兵にこづかれ、彼らの斜め後ろに膝をついた。
ややもったいをつけ、セイデンが大使を促す。
「では……彼の身柄を引き取りたいというその理由をお聞かせ願おうか」
「ですから、先程から申し上げますように――」
「黙れ! そのような戯言を信じるとでも思うておられるのか!」
ふいにセイデンが激しく怒鳴った。
「どうしても理由が申せぬとあれば、帝都の流儀に従い、此の場にて裁かせていただく。その場合この者は貴国へ戻せぬと、そう心得られたい」
蒼白となるチュンの背後で、共に訪れた兵士の一人がひっそりと口を開いた。
「恐れながら――」
カルディアロス人にしては珍しい亜麻色の髪の青年は、涼やかな面を上げて問う。
「彼の罪状は明白。それを本国で裁くことをお許し下されましょうか?」
セイデンは素早くノアと目配せをした。
――なるほど、この男が本物というわけか。
彼は暗に、理由を話せばディーンの身柄を引き取りたいとの交換条件を提示しているのである。
まんまと黒幕を焚き出すことに成功したセイデンは、渋い顔を装ったまま、重々しく告げた。
「暴言を吐き、みだりに手をあげた罪は許されざるところなれど、親というべき当国からこうして謝罪に来て頂いたのであれば、子の罪は親に任せるとしよう」
ディーンの口から安堵の息が漏れる。
レイとシェスも表情を緩めたが、父が何か駆け引きをしているらしいと気付いて、気が気ではない様子だった。
チュンが喜びもあらわに平伏する。
「ありがとうございます! なんと御礼を申し上げればよいやら……やはり帝都の高貴なる方々は、あまねく世を照らす日のごとく寛大なる御心の持ち主とお聞きするに間違いございませぬでした。感謝申し上げます。二度とこのような無礼なきよう、屹と申しつけます」
目顔で促され、ディーンも素直に頭を垂れた。
「閣下の情け深き御心も知らず昨日の無礼な振る舞い。さらにお許しを頂けるとは身に余る光栄。深くお詫びいたしますとともに篤く御礼申し上げます」
セイデンはその謙虚な態度を意外に思いつつも、頷いてみせた。
「では、お話いたしましょう。実は彼は――」
亜麻色の髪の兵士が言いかけたその時、右脇にいたもう一人の黒髪の兵士が、突如身をひるがえして背後の少年に襲いかかった。
白刃の輝きが空を裂く。
ディーンが身を起こす。同時に、別の方向から白い閃きが疾った。
鈍く響く、鋼の音。
ほぼ時を同じくして起きた一連の出来事に、数瞬遅れ、城の衛兵たちが槍を持ってセイデンの前に庇い立つ。浮き足立つその場を、檀上の声が制した。
「待て」
我に返った一同は、どこに隠していたものか両手ほどの長さの短刀を突きつける兵士と、それを同じような刀で防ぐディーンの姿を目にした。
その光景に、あの一瞬で何が起こったかを理解する。
同郷人の若い兵士を間近で覗き、ディーンが訝しげに眉根を寄せた。
「カーミア……?」
兵士は飛び退ると、兜を脱ぎ捨て短刀を構え直す。東国人らしい黒い瞳が激情に煌めいた。
「そうよ。あなたを討つためだけにこの三年を費やしてきた――」
「……そうか。君になら討たれても構わないと思っていたよ」
挨拶でもするように、さらりとディーンは口にする。
「だけど、俺はまだ死ぬ気はないんだ。退いてくれ」
口調は軽いが、むしろその瞳は一層昏さを深めたようだった。わずかに驚き、短刀を投げ渡した亜麻色の髪の兵士がディーンを見る。
舐められたと感じたのか、兵装の少女は怒気をこめて吐き捨てた。
「相変わらずふざけた男ね。だけど、ここならば前のようには逃げられないわよ。我が姉の仇、生かしてなるものですか!」
「確かに俺はあの夜エレンに会ったが、殺してはいない。彼女は……自殺したんだ」
「気安く姉の名を呼ばないで! 誰がそんな作り話を信じるものですか。姉の死は他殺だと、警察当局も認めているのよ!」
「――いい加減に愚かな真似は止せ、カーミア。ここをどこだと思っている」
亜麻色の髪の兵士が静かに割って入った。
カーミアという名らしい女が、短刀を構えたまま広間を取り囲む衛兵に目を配る。屈強の兵が揃っているのは勿論、帝都貴族の若者二人は優れた剣士ですらある。
絶対的に不利な立場を悟りながら、それでも女は引き下がろうとはしなかった。
「退いて、ソロモン! 彼を本国へ連れ帰れば、無罪放免は確実。ならば、たとえここで命失っても、その前に彼を討つわ!!」
叫び、再びディーンに飛びかかった女を亜麻色の髪の兵士の腕が捕らえる。
「やめるんだ、カーミア。君の腕ではわたしには勿論、ディーンにも勝てん」
冷たく告げ、彼は女を床に叩き伏せると、その手から短刀を弾き飛ばした。緋毛氈の上を転がるそれを走り出た衛士が足で止め、拾いあげる。
「彼は本国で裁かせる。君たちの邪魔はさせん」
「……そうよね。彼はあなたの親友ですものね。タイレン様だって、彼が犯人だと知りながら見逃した――」
「黙れ! 帝都の方々の御前で剣を抜いたばかりか、本国の若君まで愚弄する気か!」
東国人同士の睨み合いに新たな緊張が生まれるその場に、壇上から低く声がかかった。
「――では、御説明願おうか」
目前で起きた刃傷沙汰をものともしないセイデンの態度に、亜麻色の髪の青年の口元がわずかにほころんだ。兜を脱いで膝をつく。
「お見苦しいところをお見せいたしました。まずは、数々の非礼をお詫び申し上げます。わたくしはソロモン・ナイト。カルディアロス警察の特使として、セレスディーン・グラティアスを本国へ連れ帰るために参りました」
懐から書状を出し、間に立つ衛兵に手渡す。セイデンはそれを広げ、ざっと読み下した。
「それで?」
「はい。このグラティアスは、三年前起こりましたある事件の重要な証人でございます」
カーミアが鼻で笑う。
「証人ですって?! 彼こそが犯人だわ」
「ほう。そう申されるには、なにか理由でもおありかな?」
カーミアは憎悪の眼差しをディーンへ投げてから、形を改め頭を垂れる。
「はい。わたくしは事件当夜その場に居合わせ、彼が殺人を犯したところをこの目で目撃してございます」
「そのほうは何者じゃ?」
「申し遅れましたが、わたくしはカーミア・ルウェイ。事件の被害者でありますエレン・ルウェイの妹でございます」
かすかに震える声で告げられた答えに、その場に軽いどよめきが走った。
これでカーミアがディーンに斬りかかった理由がはっきりした。
よく見るとカーミアはまだ十代とみえる若さで、まっすぐな黒髪と瞳が眼を惹くなかなかの美人だ。姉の復讐を果たそうとする美しい少女に一同の同情が集まる中、ソロモンが言った。
「このままでは皆さま収まりませんでしょう。どうでしょう、よろしければこの場で事件を解き明かしたいと左様に存じますが……」
「ふむ。そちはグラティアスが無実だと申すのじゃな?」
「はい」
「よかろう。儂もこたびの事件の功労者に殺人の嫌疑がかかっておるというのであれば、その真偽を糺すにやぶさかでない。流儀は任せるとしよう」
「お心遣い感謝いたします」
ソロモンが再び深々と頭を下げた。
「其処許らもそれでよいな?」
「はい」
カルディアロス人の若い男女は、揃って同意した。だが、鋭い一瞥を隣の男に向けたカーミアに対し、俯いたままのディーンの表情は心なしか優れなかった。
警杖を持った衛兵たちが両脇に退る。
ソロモンは立ち上がると、手を挙げて正式な宣誓をさせたうえで、ディーンに質問を始めた。
「セレスディーン・グラティアス。あなたは統一暦三五九二年灰の月十四日の夜、エレン・ルウェイを殺害しましたか?」
「いいえ」
「では、その晩はどこで何をしていましたか?」
「その日は……養父の道場に寄って、[花月楼]で食事をしてから彼女の家に行きました。来て欲しいとの手紙が届いたので」
「時刻はいつごろですか?」
「暮れの鐘が鳴る半刻ほど前です」
「手紙にはなんと書いてありましたか?」
「――大事な話があると」
「話の内容は?」
「……」
ふいにディーンが黙り込んだ。
ソロモンがなだめ、すかし、質問の形を変えても一言も喋ろうとしない。
見守るレイたちの顔に、不安の色がよぎった。引き替えにカーミアは、沈黙こそがなによりの証拠といわんばかりの顔つきになる。
業を煮やしたセイデンが口を開こうとした時、ソロモンの態度が一変した。
「いいだろう、ディーン。どうしても君が話さないというのであれば、わたしも言わざるを得ない」
くだけた、それでいて真摯な口調で、囁くように告げる。
「マグノリア公が亡くなられたぞ」
はっきりと、ディーンの顔が傍目にも分かるほど蒼ざめた。
「……いつだ?」
「昨年の冬だ。心の臓がお悪かったらしい」
「そうか――」
ディーンは何とも言えぬ表情となり、固く目を瞑った。長い、長い息が漏れる。
「こんなに早く死ぬとはな。あの時……殺さなくてよかった」
悼むというよりむしろ安堵するように口にされた言葉に、事情を知らぬ周囲の者が凝然となる。
ソロモンは一人微笑んだ。
「では、あの夜に起こったことをすべて話してもらおうか」
「そうだな。何から話せばいいか――」
呟いて、ディーンは、長い間胸に溜め込んでいたものを吐露するごとく話しはじめた。




