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太古、科学大国レオノイスの繁栄の基礎となったのは、極めて貴重な光輝鉱の産地であることにあった。
霊力と共振するといわれる光輝鉱は、精錬し合金化することでより強靭な輝合金へと変化する。聖騎士の鎧や神剣・輝破矢の刃とされる輝合金は、原材料の希少さから帝都ですら充分には手に入れることのできぬ幻の鋼であった。
その輝合金を惜しみなく基礎としたレオノイス王宮は、ようやく真の姿を取り戻し、昏い波間から夢のように白く輝いて浮かびあがる。
王宮が放つ光が半球状のドームとなって島全体を守る中、恐ろしい勢いで大地をせり上げ高波をあげて、古代王国は再びこの世に現出した。
霊力とも呼べぬその禍々しい強さの光に、翼の生えた獅子となった九曜に乗り注視していた妖魔狩人の男が、漆黒の双眼を細めた。
――厭な色だ……。
天眼という特殊な能力を持つ彼には、光は不気味なうねりをもつ色彩の渦となって襲う。
同じく察してか、彼の前でまたがる法術師の青年が舌打ちをした。
「気味の悪い力だ。こんな波動は見たことがない」
《さすが人間の考えることは違うね。僕らには真似できないな》
二人を乗せる妖魔が皮肉る。だが、けして彼らに余裕があるわけではない。
この三名をして異様と言わしめる光の障壁は、彼らの特殊な能力をもってしても平然と侵入を妨げた。
空間移動はもちろん、シェスが法術で放つ光弾でも皹ひとつ入らない。
――と、島を包む障壁の表面が泡立った。
「ディーンだな」
ギガースが呟く。内部で先に行動を起こした少年が、レオノイスの中枢――〝超神託機械〟ティターンに打撃を与えたのを視抜いたのだ。
《行くよ》
獅子が同意も待たず、白く輝く島に向かって急降下する。
完全に消え去らぬ障壁がまだ淡く揺らめく中、強引にレオノイスへと突入する妖魔の背で、男たちは各々剣に手をかけ、次に来るべきものに備えていた。
その頃ディーンは、金属の王宮で、召喚の呪法の行なわれている場所を懸命に捜し求めていた。
この未知の金属はさすがに壊せないとみえ、魔蔦の数は激減したが、古代機械ティターンを傷つけたせいか統御するギデオンを失ったせいか、無数の石像が目覚め、金属兵士がうろついて、王宮内は混乱の極みにあった。
長い廊下をゆくディーンに、何人目か区別のつかない甲冑兵士が剣を振りかざして斬りかかる。ディーンは死の右手でその篭手を取ると、逆向きにねじ切り、胴をへし折った。
上方から、翼の生えた二本肢の蛇竜の石像が飛来する。ディーンは剣を拾い、気を篭めるのもそこそこに首を薙ぎ払った。
「つ……っ!」
鈍い響きをたて、石像に亀裂が入る。が、両断するには至らなかった。
使い慣れた大刀でないのもそうだが、こうも戦いが長引いては気の集中も続かない。能力者でないディーンには、気を練りあげ剣に篭めねば充分な破壊力は望めなかった。
舌打ちすると、ディーンは動かぬ左手に剣を持ちかえ、右拳で竜の頭を砕いた。
九曜の分身が宿る右手の一撃に、吹き飛んだ石の竜の欠片を浴び、数名の金属兵士が芋づる式に倒れる。
ふいに。
ざくり、とディーンの肌が粟立った。
――何かが……きた。
それが何なのか、自分でも判然としない。
強いていうなら、絶対的な恐怖がこの世に降り立った――そんな印象。
――まさか……!
心に浮かんだ恐ろしい考えを打ち消すように、ディーンは掴みかかる巨石兵たちに脇目も振らず走り出した。
恐ろしい予感に導かれたディーンが辿り着いたのは、王宮の二階。長階段となった正面入り口から真っすぐに続いた奥、王の座す玉間であった。
「!」
最悪の事態を思い描いて扉を開けた彼は、ほうっと息をついた。
数千年ぶりに浴びた外光に照らし出されたそこは、わずかに埃の積もる朱紅の絨毯が敷かれた、だだっ広い空間だった。
壇上には、周りと同じ白銀の玉座がひとつ。おのれの尾をくわえた海蛇の紋章を刻む衝立を背後に従えたそれは、散りばめた宝石の色をわずかに鈍しているものの、かつてのレオノイスの栄光そのままに主人を待っている。
何ともいえぬ一瞥を玉座に投じたディーンは、長い上着の裾を引き裂くと、力ない左腕に巻きつけた。さすがに脱臼させた肩は一人では整復できない。痛みをこらえ、動かぬ程度に固定する。
――これでまだ動ける。
疲れきった体に鞭打ち、踵を返す。
広間を去ろうとし、彼はふと視界の隅で、玉座の斜め後ろの壁が音もなく動くのを捉えた。
巨石兵でも自動人形でもない。ほっそりした影の持ち主がそこから現われる。
ディーンは息を詰めた。
「――ディーン……?」
聞き覚えのあるやわらかな声が、低く、彼の名を呼ぶ。
ディーンは一瞬固く眼を閉じると、信じたことのない神に感謝した。
それは間違いなく、彼の探し続けていた少女だった。
どれほど辛い目に合ったのだろう。もともと色白だった顔はさらに蒼く、光なくとも銀に輝く髪は汚れ、服は破れて血がこびりついている。細かった身体をさらに一回りも細くしたように見えるその少女は、だがしっかりした足取りでこちらへとやってきた。
「レイファス――」
その呼び方に、少女がわずかに微笑む。
懐かしい、その笑顔。
我知らず駆け出したディーンは、足を止め、まだ信じられないといった顔つきで彼女を眺めた。踏みしめるように走り寄り、その頬に手を触れる。
「よかった――本当に……無事でよかった」
万感の想いの込められた囁き。
レイは少し戸惑った顔で、照れ臭そうにディーンの手をとった。左腕を吊るす包帯を撫で、
「来てくれると思っていた」
「今度こそ、本当に遅刻したかと思ったぞ」
冗談まじりに言って、ディーンはレイの下半身を染めるおびただしい血の痕に気がついた。
「レイファス……殺られたのか?」
「殺されていたら、ここにいるわけないだろう。平気だ。それに……アルーザはもう死んだ」
「そうか。死んでなかったら、俺がそいつを殺してるところだ」
「え……」
レイは驚いて彼を見た。
冷酷な光を湛えた紫の瞳が、ふ、と和む。
「言ったろ。俺は、女性の弱味に付け込むようなやつには容赦はしないの」
「相手も女性だぞ?」
「何百人と女の子を攫って殺すようなやつは、女でも人でもない。だからいいんだ」
平然と言ってのけるディーンを、レイはやや呆れたように見た。
人間ではないという彼の意見は当たっていなくはないのだが、それでもあまりにあっさりした態度に、少したしなめたほうがよいかとレイが口を開きかけた、その時。
何かの気配を感じて、二人は玉座を振り返った。
見ると、衝立と思えた紋章の真ん中が割れ、そこから何かが這い出てくる。
重く引きずる音を立てて現われたその姿に、レイは驚愕の眼を見開いた。叫びだしそうになる声を必死に抑え、
「あ……あれは……一体なんだ……?」
「――わたしは……レオ……ノイスの……王だ……!」
空気が抜け、押し潰されたような奇怪な声。
答える声を否定するように、レイはかぶりを振り、口元に強く手を押し当てた。
「彼は……人間ではない……!」
「だろうな。さっき俺が――腹を串刺しにしたはずだ」
再び目の前に現われたギデオンを見据え、そう告げたディーンの頬に、何ともいえぬ冷たい感情が漂った。
*
上空から襲来した三名の侵入者は、島の地を踏むや、一斉に攻撃を開始した。王宮と同じ輝合金の城壁に守られた都市は、さすがに朽ち果て、かつての住人の代わりにおびただしい数の屍人形と妖魅の巣窟と化していた。
光り輝く宮殿の華麗さとは対照的とも呼べるその光景に、皮肉を言う間もなく、王宮の前庭に降り立った彼らは、化け物どもの渦中に巻き込まれていく。
法術師に妖魔狩人、そして妖魔――。
全く異なった種類の能力と戦い方をする彼らは、だがそれだけに互いを補いつつ、順調に敵を薙ぎ倒して進んだ。
右手で剣を、左手で法力を揮うシェスが屍人形を斬り払って進路を開き、ギガースが魔剣・荒炎で確実にそれを屠る。その周囲で蒼白の獅子は妖魅たちを相手にしていた。
彼らにとって卑小な相手に過ぎないそれらも、数が多いとてこずる。
王宮への入り口を目前にして、まるでレオノイス全土に眠る死者が甦ったような屍人形の群れに加え、意志をもった石像たちの攻撃に、さすがに三人の進む足も鈍りはじめた。
そのとき。
白銀に輝く金属の王宮の頂きに、真っ黒な光の柱が降り立った。
三人の視線が一斉にそちらを注視し、同時に現われたその存在の余波に、王宮に群がる妖魅や屍人形が息を呑むより速く消し飛ぶ。
夜を籠む暗がりの空にも暗黒に映るその光は、やがて音もなく消えた。
「――どうやら失敗したようだな」
「ああ」
妖魔狩人の言葉に、シェスが頷く。さすがにあれだけの規模の存在の正体は、天眼でなくとも法術師の彼には看破できたようだ。それが何事もなく立ち去ったというのは、すなわち魔術師の仕掛けた召喚の呪法が功を成さなかったということだ。
目的のひとつが果たされたものの、しかし、彼らの前にはまだ解決すべきことが残っていた。
滅し飛ばされた妖魅たちの代わりに、王宮から連綿と現われる甲冑の兵士群。明らかに中に人がいるようには思えぬその兵士たちを含めた敵を相手に、再び飽くなき戦いが広げられた。
ギガースが右側の金属兵士に気を取られた隙に、背後から生き延びた屍人形が飛びかかる。
顧みた瞬間、目の前で屍人形が炎に包まれた。
もはやミイラとなり蝋化していたそれは、すぐにめらめらと燃えて灰となる。
「ありがとう、炎華」
金属兵を斬り倒したギガースが、漆黒の魔剣に憑依する精霊に声をかけた。
常人には見えぬ精霊の女は、空を漂いつつ嫣然と微笑む。
《御主人様を守るのがあたしの役目。当然さ》
《じゃあ、どうせならこいつらまとめて片付けてよ。だんだん飽きてきた》
傍らから、獅子が皮肉を投じた。妖魔の命を糧とする精霊が鼻を鳴らす。
《あたしは御主人様を守るので手一杯なんだよ。自分でおやり》
《……ち。けちんぼ》
悪態をついて、九曜が炎華を睨む。が、魔剣の精霊に頼る気は元からなかったらしく、かさばる翼を体内に納めると、魔力を高めた。
先程の闇の柱に勝るとも劣らぬ魔力の大きさに、金属兵の相手をしていたシェスが振り返る。
《巻き込まれないように――自分の身は自分で守りなよ!》
宣言と同時に、獅子は一気に魔力を放出した。
深い蒼を秘めた光がその場に満ちる。
知覚を麻痺させるほど膨大な凍気が奔り、光に照らされたすべてのものが瞬時に凍りついた。氷像となった屍人形や妖魅がごろごろと地面に倒れ、大地も周囲の建物も一面霜が厚く積もる。無論、金属兵や石の怪物も例外ではなく完全に冷凍され、動きを停止した。
魔剣・荒炎の炎を浴びていた巨石兵が、急激な温度変化に音を立てて亀裂を生じる。
まるでそこだけ真冬が訪れたような光景に、シェスとギガースは声もなく辺りを見渡した。
荒炎に逃げ込んでいた炎華が現われ、さすがに感心した声をあげる。
《おーや、すごい。九曜ちゃんもなかなかやるわねぇ》
《……九曜ちゃん?!》
妙な顔になる獅子に、炎華はちらりと流し目をくれた。
《御主人様から宗旨変えしようかしら?》
《げ》
九曜が蒼ざめる。ぞぞぞ、と総毛立たせる妖魔を見て、魔剣の精霊が笑い転げた。
《冗談よ、冗談。意外と純真なのね、九曜ちゃん》
以前、顔にキスまでされたことのある九曜が、半分本気の眼でギガースを睨んだ。
《ギグ。おたくがやらなきゃ僕がこいつを殺るからね》
「……以後気をつけるように注意しておく」
ギガースの顔がひきつる。
そのやりとりを傍らでシェスは可笑しそうに眺めていたが、なにかを感じたらしく、王宮へと開けた道の左側に顔を向けた。
「人の気配がする。攫われた少女たちだろう。行ってくる」
《分かった。後はこっちに任せて》
「では、後で会おう」
爽やかな笑顔を残し、妹を探す青年は氷の障害を避けつつ走り去った。
後姿を見送り、黒い精霊がぽつりと洩らす。
《彼もイイ男なんだけど、法術師じゃねぇ……》
「炎華!」
ギガースが叱った。はあ、と九曜が頭を抱える。
悪怯れない精霊の女は、くすくす笑いながら魔剣へと戻っていった。
レオノイスに潜むどの敵よりも彼女の打撃が一番強烈だったのではないかと獅子は思い、氷の息をひとつ吐いた。気を取り直して、妖魔狩人に声をかける。
《じゃ、僕らも行こうか》
「ああ」
ギガースは、かすかに刺青のある頬をほころばせ、頷いた。
*
その男は、今まで想像したこともない不快な音をあげながら、レオノイスの紋章が浮かぶ隠し扉の向こうからやってきた。
それが男と呼べるのかどうかは疑問だ。
確かに無事な顔の半面は、口髭と顎鬚をたくわえた上品な紳士のものである。だが、焦げ落ちた顔の肉から覗く眼球は鈍く光り、両腕で這いながら引きずる身体は――。
「身体が……ない」
震えの止まらぬ声で、レイが呟く。
玉座のある壇上に現われたギデオン・メリアデスは、胸から下の肉体を一切失っていた。
ティターンごとディーンの大刀に腹を貫かれたはずの彼だが、それを抜くことができなかったものか。無理に引き千切ったように見える身体は、血も流れぬ断たれた肉が不気味な筋を引き、白い椎骨がおぞましい尻尾となって垂れ下がった。
正視できず目を背けるレイを庇うように、ディーンが一歩、歩み出た。
「てめえが屍人形だったとはな。あの女に創られたか――」
「わたしは……王だ。何人も……わたしに逆らうことは……させぬ」
「ほざけよ」
ディーンが吐き捨てる。
ギデオンが女魔術師アルーザに創られた屍人形だとすれば、術をかけた当人が死んだ以上、彼もまた朽ち果てる運命を辿るはずだ。
その彼がまだ生きているということは――。
――裏にまだ誰かいるのか……?
疑念が脳裏をかすめる。
しかし、今はそれは問題ではなかった。
問題なのは〝超神託機械〟ティターンを動かせる頭脳を持ったギデオンが生きているという、ただ一点であった。
「どうやら、てめえを完全に片付けないことには終わらないらしいな」
「片付けるだと……? 随分と強気な発言だな。すでに死んだこのわたしを……その腕で、どうやって殺すつもりだ……?」
崩れた死人の顔でギデオンが嘲笑った。肉が削げているせいか、ぴうぴうと風の鳴るような音が声に混じる。堪りかねたようにレイが進み出た。
「ディーン、わたしが――」
「そんな疲れた顔して何をする気だ? おまえは離れていろ。すぐに終わる」
遮り、ディーンは肩越しに低く言い切る。
その有無を言わさぬ口調と口元に浮かんだかすかな笑みに、レイは無言で彼から少し遠ざかった。
「愚か者め。武器を失い、利き腕の使えぬおまえになにができる……!」
「悪いが――武器なら、あるんだよ」
「なに?」
壁際にさがったレイは、瞬間、はっと息を呑んだ。
ディーンの全身から、かつてない強大な気が放たれ、高まっていく。
「特別サービスだ。あの世に逝く前に、たっぷり楽しみな」
皮肉に告げると、ディーンはわずかに両眼を伏せ、右腕を軽く頭上に掲げる。
極限まで高まる闘気。
「授命――」
右手の甲に、未知の紋様が輝く。
周囲が、闇に翳る。
「冽牙招来!!」
一声が響いた刹那。
ギデオンは、空のない天井に暗雲が満ち、雷鳴と共に稲妻が駆け走るのを見た。
稲妻は走りながらひとつ、またひとつと星を産み落とし、空に鉤型の模様を描く。
死を司る七つの星。
それらが落ちて、ディーンの右腕に吸い込まれる。
充満する青白い電光――。それは寄り凝り、ひとすじの光芒を形作ったかと思うと、手の中で一振りの凔々たる剱となった。
ギデオンは知らず、死んでいるはずの身体が震えるのを感じた。
――なんと恐ろしい……あれは……あれは――。
確実な、死。
蒼白の剱が、流星のごとく弧を描いて振り下ろされる。
ギデオンの左半分が消し飛んだ。
「あ……ああ……っ!!」
斬り口から、残されたわずかな体までもが、微かな音をたてて凍りついていく。
すべての熱を奪い、動きを止める絶対の冷気。
それは創り出された不自然な生命であっても、逃れることは不可能であった。
上着の裾をひるがえし、ディーンは白く氷に変わる男に歩み寄った。冷ややかに見下ろして、
「それから、もうひとつ言い忘れていたが――」
思い出したように付け足す。
「俺はもともと……右利きなんだよ」
鮮やかな死の笑み。
「残念だったな」
ディーンは男の頭頂に、無造作に冽牙を突き立てた。
眼を見開き、刃に貫かれたままギデオンが絶叫する。
「ああぁ……おおぉぅ……――!!」
獣のような断末魔を残し、それは完全に氷の像と化した。
ディーンが冽牙を引き抜く。と、氷像が鋭い音をたてて、肉体の名残すらない細かな欠片となって砕け散った。
それが、ギデオンの野望の最後を告げる鐘であった。
かすかな煌めきを放つ残骸を、紫の瞳が一瞥する。
「――終幕だ」




