プロローグ―3
実際、伊達政宗の考え、推察はかなりの部分で、今の世界情勢を言い当てていた。
1590年現在、日本は改めて軍備の拡張を図らねばならなかったが、それ以前に同盟国、特にオスマン帝国を始めとするイスラム諸国への支援に追われている現実があった。
先年にあったローマ帝国建国に伴うオスマン帝国におけるスルタン=カリフ制の成立に伴うイスラム諸国の動きは大きなものがあった。
勿論、スルタン=カリフ制が成立したと言っても、その影響が及ぶのは本来的にはイスラム教スンニ派のみと言える筈なのだが、これだけの大きな動きがあっては、スンニ派以外のイスラム教諸派に与える影響も多大なものがある。
例えば、サファヴィー朝ペルシャは、12イマーム派のシーア派を国教とする国家だが、日本がオスマン帝国を介して、イスラム教スンニ派と友好関係に入ったと判断して、北米共和国と積極的な協力関係を結ぼうと動くようになっており、北米共和国側も敵の敵は味方であり、又、自国の兵器の売り込み先としてもサファヴィー朝ペルシャは有望であるとして、この動きを歓迎するようになっている。
そして、そういった動きが、更にイスラム教スンニ派諸国を動かすという事態が起きていた。
更に言えば、宗教というのは、ある意味では極めて厄介な代物で、決して国家に縛られる代物ではないのが現実である。
例えば、現在のローマ帝国にとって、国力の大部分の基盤を成すとまでいえるエジプトの住民の3人に2人は、イスラム教スンニ派信徒といってもそう間違いないのである。
その一方で、ローマ帝国は東方正教を国教と事実上は定めてはいる。
だが、こういった現実があっては、ローマ帝国が国教である東方正教以外の宗教を禁教に等、不可能な話もいいところである。
こうしたことから、信教の自由をローマ帝国は国内において認めており、その一方で、帝室を始めとする帝国上層部が、事実上は東方正教会に便宜を図るのを当然のこととしている。
とはいえ、これはこれでオスマン帝国支配の下で優遇されていたスンニ派の国民に、どうしても不満を抱かせてしまう。
何しろこれまで自分達はジズヤを支払う必要が無い等、税等で優遇されていたのに、いきなりそういったことが無くなって、税は平等に払え等の処遇を受けるようになっては。
理屈の上では全ての宗教をローマ帝国は平等に扱っているとはいえ、実際には不利な処遇を受けるようになったもので、それこそ逆差別の温存と言われるだろうが、スンニ派信徒にしてみれば、従前のままの権利を維持して欲しいものだ、という想いを抱かせるのはやむを得ない話だった。
ともかくそうした不満が、ローマ帝国内では漂っている。
その一方で、それをある程度に鎮めているのも、オスマン帝国のスルタン=カリフ制の影響だった。
オスマン帝国は、先年のローマ帝国との戦争で、首都コンスタンティノープルを始めとする欧州領やパレスチナ等を、ローマ帝国に割譲せざるを得なかった。
それで失った権威を取り戻そうと、スルタン=カリフ制をオスマン帝国は敷いたのだ。
そして、カリフであることを理由に、ローマ帝国のイスラム教徒の処遇改善を訴えている。
更にローマ帝国内のスンニ派信徒が、オスマン帝国を頼りにする事態も起きた。
オスマン帝国にしてみれば、新体制を完全に確立したとは言い難く、ローマ帝国のスンニ派信徒が暴発するのは困るという現状がある。
隣国が混乱して、そのために介入せざるを得ないというのは、悪夢の事態だ。
だから、オスマン帝国とローマ帝国は、裏では手を組んで、スンニ派信徒のガス抜きに努めている。
こうした状況が、中近東における奇妙な安定をもたらしていた。
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