第1章ー8
「とはいえ、10万人以上の兵がいるとはいえ、下手にマニラに攻め込めませんな。我々には補給が無い。それに、日本本土が健在で、もし、本当に過去の世界に我々がいるのなら、日本に帰国した後、天皇陛下に逆らう逆賊どもを討つ必要もある」
小沢治三郎中将は、マニラ攻め自体には賛成しつつも、今後のことを考えるべきだ、とそれとなく示唆するような言動をした。
この言動に対し。
「どういう方法があるというのだ」
牟田口廉也中将が、海軍が何を言う、という感じで、口を挟んだのに対して、
「マニラを恫喝して屈服させませんか」
小沢中将は、以下のような作戦を提起した。
1、マニラに戦艦「金剛」、「榛名」及び1個駆逐隊(駆逐艦4隻)を派遣して、マニラ港を封鎖する。
2、マニラ近郊に、「金剛」、「榛名」の主砲で警告の艦砲射撃の一撃を浴びせる。
3、このような状況に陥った場合、現在のマニラの統治者は、何らかの交渉を試みる筈。
4、交渉に来た使節の長を、「金剛」、「榛名」で抑留し、マニラの統治者と交渉して屈服させる。
「マニラは、それなりの港街のように見受けられます。いつまでもマニラ港が封鎖されては、マニラの住民にしてみれば、喉元に匕首を突き付けられたように感じられるでしょうし、更に、マニラ近郊に、警告の艦砲射撃が浴びせられては、マニラの住民は、マニラからの脱出も躊躇う事態になるでしょう。こういった状況に陥った場合、マニラの統治者としては、何らかの交渉を我々に対して試みざるを得ません」
小沢中将は、自信満々に言った。
この場にいる陸海軍の将帥も、その言葉には唸らざるを得なかった。
勿論、マニラ近郊といえど、完全な無人地帯ではなく、航空偵察からすると、マニラ近郊にはそれなりの農地(恐らく、野菜等を栽培するいわゆる都市近郊農地が多いだろう)が広がっているようではある。
だが、マニラそのものと比較した場合、当然のことながら住民は極めて少ない。
念のために、夜間の頃を狙って、艦砲射撃を行えば、住民被害は零で済むだろう。
それによる無言の威圧を加えれば、マニラの統治者の方から動く筈。
もし、丸一日待っても、動く気配が無ければ、その上で陸軍を進撃させればよい。
小沢中将の提案に対し、陸軍の山下奉文中将も、海軍の近藤信竹中将も賛同した。
戦艦2隻と駆逐艦4隻を動かすだけなら、燃料の消費を倹約できる。
それに帆船では、駆逐艦を相手どっては、蟷螂の斧に等しい。
あくまでも逃げるのなら、ギリギリまで接近して、駆逐艦の主砲弾を喫水線下に撃ち込めば、撃沈できることは言うまでもないし、16世紀半ば以前の帆船相手に、駆逐艦が後れを取る筈もない。
マニラ港の封鎖は容易に可能な筈だった。
徹底抗戦をマニラの統治者が決意した場合等に備えた作戦計画の立案等も行った結果、マニラ沖に日本艦隊が現れたのは、12月13日(?)の夕方になってからだった。
その前に、マニラ港から出航しようとした帆船1隻を、日本艦隊は、マニラ港に引き返させてもいる。
近藤中将が、マニラの街を双眼鏡で見る限り、マニラの住民はパニックを起こしつつあるようだった。
「マニラの住民を、マニラから脱出させる訳にはいかんな」
そう独り言を言って、近藤中将は警告のための艦砲射撃を行うことにした。
近藤中将の命の下、14インチ砲弾16発が、マニラの街を取り囲むように降り注いだ。
勿論、それこそ数百メートル間隔が開いて、砲弾は降ったが。
これまでに見たことも無い大口径砲弾が、地面に着弾して炸裂した有様は、マニラの多くの住民の肝を完全に潰す事態を引き起こした。
その翌朝、マニラ港から小型の手漕ぎ舟1隻が、日本艦隊に向かった。
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