第46章ー12
こういった事情から、エルサレムから更にダマスカス、アンティオキア方面への進軍は、磯野員昌を司令官とするエジプト軍本体が担当することになった。
磯野員昌らにしてみれば、本来からすれば、いよいよユダヤ人部隊が先鋒を務めたことによる髀肉の嘆から抜け出られる好機と言いたいところではあったが。
「戦車は置いていけか」
脇坂安治は事情は分かっていたが、内心ではぼやかざるを得なかった。
進軍を続ける内に、補給に掛かる負担を少しでも軽減するために戦車を使わないことになったのだ。
それこそ北米本土にまで派遣されて、戦車の扱いに慣れていた脇坂安治にしてみれば、何とかならないものだろうか、と愚痴りたい事態だった。
だが、その一方で、磯野員昌らが戦車に頼らず、従来の歩兵と騎兵の組み合わせに頼らねばならない事情も脇坂安治は分かってはいた。
何しろ、様々な面で戦車の運用ができるように準備が整っていたエジプト本土から進撃が成功するに連れて離れる一方になっている。
そのために、進撃すればするほど、戦車の運用が困難になっているのだ。
(一部間違った情報が入ってはいるが)脇坂安治の下には、エルサレム攻防戦に戦車の投入が最初から断念されたのは、エジプト本土から離れるに連れて、故障した戦車の整備が増える一方になり、更に戦車の故障が増えるという悪循環が起きたためだという情報までが入っている。
実際、戦車の整備の手間暇を考えれば、その情報は正しいと考えるべきだろう、と脇坂安治は考えざるを得ない。
更にエルサレム近辺まで進撃を果たしただけで、そのような状態になっているのだ。
そこから更にダマスカス、ベイルート、アンティオキアまでの進軍を我々は果たそうと考えており、そうした際にどこまで戦車がまともに動くかというと。
「旧式と言われそうだが。前線部隊は歩兵と騎兵の組み合わせ。更には、後方の補給等の部隊も馬が基本にならざるを得ないか」
脇坂安治は達観した思いさえも抱かざるを得なかった。
そんなことを脇坂安治が考える一方で、共に戦う藤堂高虎は別のことを考えていた。
「そろそろ日本本国が介入してくるな。どのような介入をしてくるだろうか。できる限りの既成事実を速やかに作っておかないと、日本本国が思わぬことをしてくる可能性がある」
日本本国の外交は上手としか言いようがない、と藤堂高虎は評している。
皇軍知識という世界からすれば懸絶する技術等の知識を持ちながら、決して無理はせずに同盟国を巧みに作って維持し、それによって昇竜のような勢いで世界に手を広げてきた。
基本的に主に戦う正面を一つに絞り、更に可能な程度の目標を手堅く抑えてきている。
あれだけの力があれば、その力に溺れて国力を無視した無謀な戦争を行いそうなものだが、皇軍来訪以降、日本本国はそのような戦争をしたことがない。
北米独立戦争という大失敗があると反論されそうだが、あれは藤堂高虎が見る限り、それこそ急激な拡大を現地が図った末に起きた事態で、日本本国は押し止めようとしたが、どうにもならなくて起きた戦争と考えるべきだろう。
そう、それこそこの戦争と同じように。
「ローマ帝国再興という大義名分を掲げて、こちらの主張に正当性を持たせているし、北米独立戦争で疲弊している日本本国は参戦を避けたいだろうが、外交上の信義がある以上、同盟国のオスマン帝国を救おうとする行動を、日本本国がしない筈が無いからな」
だが、日本本国がどんな手を打ってくるにしても、それまでに既成事実を積み上げれば、こちらの主張がかなり通るはずだ。
そのためにも奮戦して、有利な既成事実を作らねば。
この時、若き日の藤堂高虎はそう考えていた。
ご感想等をお待ちしています。




