第46章ー10
「オスマン帝国軍の兵は、護身用の短剣を各自が1振り持って、エルサレムから退去させてもらるならば、降伏に応じるとのことです」
東方正教会のエルサレム総主教が、神殿の丘に立てこもるオスマン帝国の将兵に送った使節は、交渉相手に知人がいたこともあり、話し合い自体は順調に行われたが、その条件のやり取りには手間取った。
勿論、その間にも神殿の丘以外のエルサレム市街では、オスマン帝国の将兵に対するローマ帝国軍の将兵の攻撃は続いており、エルサレムの住民の中にはオスマン帝国の将兵に便宜を図る者もいて、そういった者が攻撃を受ける事態も起きている。
だが、戦闘が続く内に、神殿の丘に立てこもっているオスマン帝国軍の部隊が、エルサレム防衛における主力部隊と言える状況になりつつある以上は、その部隊の判断が、エルサレム攻防戦の帰趨を決めることになるのは当然のことで。
完全な無防備には応じられないが、帯剣しての投降ならば、名誉は保てるし、いざという際に抗戦もできるだろうという判断から、冒頭の言葉での降伏条件を、神殿の丘のオスマン帝国の部隊は最終的には提示し、土屋昌続や真田信綱は、エルサレムでのこれ以上の殺戮を行って、自分達への非難が巻き起こるのを避けるために、その提示条件に応じることにした。
そして、神殿の丘に立てこもる部隊が投降に応じたという情報がエルサレム市街に流れるにつれ、エルサレムにいたオスマン帝国の各部隊も、相次いで同じ条件で投降に応じることとなった。
「何とかなって良かったな」
「全くだ。酒井忠次殿らに援軍を依頼することになるか、と懸念していたが、そうならなくて良かった」
土屋昌続と真田信綱は、エルサレム攻防戦が集結した後、そのような会話を交わした。
最終的にエルサレム攻防戦では、攻撃したローマ帝国軍のユダヤ人部隊1万5000人の内約2割の3000人程が死傷した(さらに細かく言えば、戦死者は約600名に達した)。
これは大損害と言われても否定できない数字だった。
一方、ローマ帝国軍によれば、最終的にエルサレムに籠城していたオスマン帝国軍は約1万人、更に立てこもっていた住民は1万人台前半だったと推量されている。
ここで推量と言わざるを得ないのは、一部のオスマン帝国兵が住民の協力を得て、密かに住民に変装した上でエルサレムで抗戦した末に、住民に紛れたのでは、という疑惑をローマ帝国軍が拭いきれないことから起きていいる。
とはいえ、勅命でエルサレム住民に対する不当な捜索活動等が禁じられている以上、それなりの証拠無くして、エルサレム住民の居宅に侵入しての捜索活動等はもっての外で、真田信綱を始めとするローマ帝国軍の面々としても、疑念に止めざるを得なかった。
「結局、オスマン帝国兵らしき1000名余りの遺体が残されたな。全て土葬しないとな」
「火葬はタブーですからね。速やかに土葬しましょう。その際には、それなりの処遇をしないと」
「イスラム教徒の反感を買うか」
「ええ。神殿の丘を無理攻めできなかったのも、そのためですから。それこそ戦闘中に何が起きるか、分かったものではありませんし。今後のことを考えると」
「宗教対立は厄介なものだな」
「今回のレヴァント地方侵攻には、我々も一部では宗教対立を扇動し、利用していますから、そう悪く言えませんがね」
「確かにな」
土屋昌続と真田信綱は、エルサレム制圧を果たした後、そんな会話までも交わした。
オスマン帝国の下から、エルサレムを奪還することに成功したとはいえ、本当に宗教対立を鎮めて、この地に平和がもたらされるのは、まだまだ先のようだ。
そう二人は考えて、その考えに多くの者が賛同した。
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