第7章ー5
そうした状況の中、何とか前装式ライフル銃兵1個中隊と、火縄銃兵1個中隊が、日本からシャム王国に派遣されており、総兵力は約400名と言ったところで、アユタヤ近くに展開している。
更に輜重隊が、日本から派遣されてはいる。
だが、隊員約250名、ばん馬約80頭を保有する輜重隊は、中隊といえる規模を持ってはいるが、銃不足から自衛は刀に頼る有様で、戦力としては計算に入らなかった。
なお、輜重隊に銃を装備させる、ということが全く不可能だったわけではない。
シャム王国で、ウォーラウォンサー将軍が暗殺され、シースダーチャン王太后が廃されて、ヨートファー国王の親政が始まった直後、ポルトガルから送られていた傭兵隊は全員が解雇され、その武器のマスケット銃は全て没収された。
それも、辻政信大佐らが考えた謀略により、傭兵隊とあらためて契約を結びたい、更に、新国王も臨席して傭兵全員の慰労会を併せて行いたいので、全員、非武装で王宮に来られたい、との話を受けて、全員非武装で王宮に赴いたところを、銃を持った日本兵が取り囲み、武装解除状態で虜囚の身としたのだ。
だから、傭兵の持っていたマスケット銃は、そのままシャム王国の手に事実上は入っている。
そして、輜重隊がその銃を譲り受けることが、不可能だったわけではないが。
シャム王国との友好関係樹立の一環として、彼らの銃は、シャム王国軍が装備することになった。
そして、日本陸軍がその使用法等々を指導することになったのだ。
だから、輜重隊は刀を自衛用の武器とせざるを得なかった。
(なお、少なからず話がズレるが。
この時、虜囚の身となったポルトガルの傭兵は、全員、身柄を日本が引き受けることになった。
更に、彼ら全員が、オーストラリア大陸開拓のために日本によって送られ、更に全員がオーストラリアの地に骨を埋めることになった。
そのために、ポルトガル本国等では、彼らの行方は長いこと不明という事態が起き、日本人によって異界に送られた等の噂、憶測が流れることになった。
実際、この頃のオーストラリア大陸は異界と言ってよい有様だったから、その噂はあながち間違っていなかったともいえる)
そういった次第で、現在、シャム王国に駐屯している日本陸軍の実質的な戦力は、2個歩兵中隊に過ぎないといえたが、その質と量は、それこそこの時代の兵なら、10倍の相手でも怖れるものでは無かった。
何しろ完全にこの時代から外れた前装式ライフル銃兵が1個中隊あり、火縄銃兵にしても銃剣を装備する等して近接戦を可能にした1個中隊なのだ。
(更に言えば、シャム王国に日本から送られた火縄銃は、10匁筒で完全に統一されている。
これは、いわゆる東南アジア等において象兵を相手取るとなると、最低でも10匁筒が必要であると考えられたことからの帰結だった。
勿論、この火縄銃は完全に手製だったので、部品の互換性等は望むべくもなかったが、それでも弾丸等が完全に統一されていることの利点は、それなりにあり、早合を事実上は融通する位の事は訳なくできる代物になっていたのだ)
だが、その一方で、日本軍がビルマ王国の軍隊を軽視はできなかった。
特にその国王、更に将軍が問題だった。
この当時のビルマ王国は、タウングー朝の時代であり、国王はタビンシュエーティー王で名君と謳われていた。
更にその片腕といえるのが、タビンシュエーティー国王の乳兄弟であり、更に義兄にもなる名将のバインナウン将軍(史実ではタビンシュエーティー王の死後に混乱したビルマ王国の混乱を鎮め、この縁から自らがビルマ国王となり、タウングー朝の全盛期を築く)なのだ。
この二人は軽視できる存在では無かった。
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