第43章ー13
余りにも考えがズレすぎたので、アレッサンドロ・ファルネーゼは、自らの考えを北米産の兵器が欧州で買える代物か否かに戻した。
確かに買える物なら買いたい物ではある、だが、統治者として考えるならば、それはある程度、政治体制を変えてからになるだろう。
何しろ兵器を使う兵が問題になる。
欧州の場合、今では騎士等が廃れてしまい、完全に傭兵(しかも外国人)が戦場の主力となっている。
だが、傭兵は当然のことながら、国に対する忠誠心等は全く持っていないと言っても過言ではない。
だから、そんな傭兵にボルトアクション式の小銃や戦車や軍用機を渡す等、それこそ危険極まりない話で、それこそ傭兵による大乱が下手をすると起きかねず、良くても略奪等が国内で横行する事態が多発することになるだろう。
それを防ぐとなると、それこそ日本や北米がやっているように、自国民から兵を徴集するなり、志願させるなりして、愛国心溢れる兵で軍を構成する必要がある。
だが、その手段となるとかなりの苦労と時間が掛かるのは間違いない。
日本にしても、皇軍の武力によって、大規模な政治改革というよりも革命を行った後、国内に義務教育制度を広めることで国民に対する教育を行い、それによって現在の政治制度を作り、愛国心溢れる兵を育てたとのことだが、それには30年余りの歳月が掛かったという。
それでも、様々な歪みを避けきることはできず、北米植民地の独立という事態が起きたのだ。
スペイン等で、そのようなことをするにしても、同様のいや、それ以上の苦労と歳月が掛かるだろう。
すぐに国民から兵を徴集するなり、志願させれば良い、と考える者もいるだろうが。
それこそフィレンツェ共和国でマキャベリが行った市民兵制度、1504年から8年間も手塩にかけて育てた市民兵が、1512年のスペインとの戦いの際に全くものの役に立たずに、砲声だけで逃亡者が続出するという醜態をさらしたという噂まで流れたことを考えれば、自分にとっては自明の理だ。
きちんとした教育無しで、国民を兵にしても無駄遣いも良いところになるのは、日本や北米の状況からして当然のことなのだ。
だが、欧州等では売れない、と自分が言ってはそれはそれで困ることになるやも。
それならエジプトに専ら売るか、という思考に北米が流れては、欧州諸国が戦車や航空機を手に入れる手段が無くなってしまうことになるだろう。
そこまでアレッサンドロ・ファルネーゼは考えた末に。
「すぐに欧州諸国で戦車や航空機を売れるか、というと。それは中々難しいと私は考えます。何故ならば余りにもこれまで自分達が見てきた兵器とは異なっているからです。実演等を見ないと嘘だ、信じられないという声が大いに上がり、そんな兵器は高価であるから買うな、ということになるでしょう」
アレッサンドロ・ファルネーゼは、言葉を選びながら言った。
「ふむ」
武田義信は、アレッサンドロ・ファルネーゼの言葉を受けて考え込む気配を示しだした。
その様子を見て、アレッサンドロ・ファルネーゼは一押しすることにした。
「裏返せば、実演等を見せつければ、戦車や航空機を売れるということです。更に戦車や航空機を運用するには、それなり以上に使用する兵の教育が必要になります。そのための教官を派遣するということでも、利益を上げられるのでは」
「確かにその観点はありませんでした」
いきなり、武田(上里)和子が声を挙げた。
和子のみならず、会議に参加している他の面々の中にも肯く者がいる。
武田義信も、虚を突かれたようで、目を見開いて言った。
「それでは、エジプトのみならず欧州諸国にも戦車や航空機を売るという方向で考えることにしよう」
ちょっとアレッサンドロ・ファルネーゼの考えをすべては描けませんでした。
次話でもう少し補足します。
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