第7章ー2
ちなみに武田晴信の正妻、三条氏が尼僧になるために選んだのは、石山本願寺を持つ一向宗(浄土真宗)という宗派だった。
これは半ば妹に誘われた結果だった。
三条氏の実家である(転法輪)三条家が、皇軍の出現という事態から、窮地に陥ったのだ。
そもそも(転法輪)三条家には娘が2人いたが、息子はいなかった。
そして、長女は細川晴元に嫁いだ後、早世していた。
なお、武田晴信の正妻は次女になる。
こういった事情から、姉妹の実父である三条公頼は、養子を迎えることをかねがね考えてはいた。
しかし、皇軍の出現により、三条公頼は養子を迎えるどころではなくなった。
細川晴元の義父であったということから、三条公頼は朝廷内で一気に冷や飯食いの立場に追いやられた。
こうしたことから、三女(後の如春尼)が産まれたものの、卑近な言い方をすれば、娘のミルク代にも事欠く有様に三条公頼はあったことから、様々な伝手を駆使して、三女を石山本願寺に預けることになった。
そして、三条公頼は病死(実際は貧窮から来る衰弱死)したのだ。
このために、三条氏は実家に戻ることもできず、妹の縁を頼りに石山本願寺に入り、尼僧になった。
武田晴信としては、自らの事情と妻の三条氏への同情心とがない交ぜになった想いから、一向宗(浄土真宗)に帰依するようになった。
そして、時折、念仏を唱えるようになったという次第だった、
少なからず話がずれたので、話を戻す。
ともかく、そういった事情から武田晴信は、一向宗(浄土真宗)に帰依し、更に今はシャム王国にいた。
皇軍、日本陸軍歩兵2個中隊の中の小隊長、陸軍少尉という立場でだった。
更に言えば、シャム王国に与して、隣国のビルマ王国、タウングー王朝のタビンシュエーティー王と日本が対決するためにでもあった。
実戦が怖くないか、と問われれば、そう怖くはない、と武田晴信は即答するだろう。
それこそ皇軍に志願する以前に、武田晴信は実戦を経験している身の上だった。
だが、全く異国の地で戦うとは、という想いに武田晴信が駆られるのも事実ではあった。
その一方で、上官等については、武田晴信が疑問を覚えないのも事実だった。
何しろ、直属の上官、戸次鑑連大尉は弱冠13歳の若さで、老臣の援けがあったとはいえ、大将として2000の軍勢を率いて、2倍以上の優勢を誇る大内軍5000を破ったという半伝説の持ち主である。
鬼庭良直大尉にしても、伊達家の家臣だった際に実戦経験がある。
ビルマ王国のタビンシュエーティー王が、文武共に優れた国王らしい、という噂がシャム王国内でさえも流れているらしいが、日本軍の質に勝る程にビルマ軍が優れているとは思えない。
それこそ、かつての武田軍でさえ、今の日本軍なら半分以下の劣勢であっても優勢に戦えるだろう。
なお、武田軍が決して柔弱であったということはない。
それこそ、近隣の今川軍や(後)北条軍から、武田軍と同数ならば劣勢だ、と認められる程の精強さを、武田軍は自負しており、相手も暗黙裡に認める程だったのだ。
しかし。
皇軍が来訪してきて、その兵器や戦術等々が日本に伝えられた結果、かつての武田軍は、今の日本軍と比較すれば極めて弱体、とかつての武田家の当主、武田晴信自らが判断せざるを得なかった。
何しろ、皇軍のような階級制度、指揮系統等々は、武田軍には無かった。
だから、いわゆる備の指揮官が戦場で死傷した場合、他の指揮官が、その備の指揮をすぐに引き継いで戦い続けるようなことは、武田軍では半ば夢物語としか言いようが無い話だった。
しかし、今の日本軍は階級制度があり、指揮系統も確立されている。
だから、指揮官が死傷しても、継戦が充分に可能なのだ。
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