第6章ー13
シャム王国と日本との攻守同盟締結後、ジョホール王国に、辻政信大佐と上里松一大尉は、直ちに向かうことになった。
(もっとも、その前に、外交事務処理の関係上、日本本国(及びルソンの)マニラ植民地に使者を送り、マニラから対シャム王国と交渉するための仮公使派遣を要請する必要があったが)
上里屋の船を使い、ジョホール王国に到着した後、(この時代では半ば儀礼的に当然のことだが)辻大佐と上里大尉は賄賂等も撒いた末に、まずはジョホール王国政府の高官と接触し、最終的にジョホール王国の国王に謁見して、対ポルトガルを目的とする日本との攻守同盟の仮締結にも成功した。
とはいえ、それで、用事が済む訳もなく、日本本国(及びルソンの)マニラ植民地に使者を送り、マニラから対ジョホール王国と交渉するための仮公使が到着したことから、事務を引き継いで、辻大佐と上里大尉がアユタヤに最終的に帰着したのは、初夏といってよい5月に入ってからのことになった。
(シャム王国の場合は、上里屋に元皇軍兵がいて伝言等を託せたし、公使館等を予め確保すること等ができたが、ジョホール王国には、そういった日本の拠点に使えるものがなかったという事情がある)
(この当時、ルソン島のみならず、ミンダナオ島等のフィリピン群島全体の日本の植民地化を、この過去の異世界(?)に到達した皇軍の一部、第48師団の将兵を中心とする面々は行っていた。
更に日本国内が平和になったために失業した日本の元足軽達の中にも、一旗揚げようとフィリピン群島を目指す者が、少なからずいた。
そして、天文維新を成し遂げた日本本国政府も、こういった事情から、フィリピン群島の植民地化を後押しする必要を認め、本間雅晴中将を中心とする南方方面都督府をマニラにおいていた。
更に、南方方面都督府には、東南アジア各地の諸勢力との外交権についても、ある程度は独自判断を認められ、事後に日本本国が最終判断を行っているという体制にあった。
(この当時の通信手段の制限から、そもそも独自判断が認められないと、南方方面都督府としても、実際にはとてもやっていけなかった)
こうしたことから、シャム王国やジョホール王国への仮公使は、マニラから派遣される事態が起きた)
そして、辻大佐と上里大尉が、シャム王国に帰還する直前頃、戸次鑑連陸軍大尉が率いる日本陸軍歩兵中隊1個は、アユタヤに入城を果たしており、辻大佐と上里大尉は、戸次大尉と面談することになった。
「急に400名、歩兵2個中隊を送れ、と言われても、すぐに準備は出来なかったので、残りの歩兵中隊は銃剣装備を可能にした改良火縄銃装備になり、鬼庭良直大尉が率いてくる予定ですが、後1月は掛かる予定です」
戸次大尉は、そのように辻大佐に報告しながら、内心で時の流れの速さを感じざるを得なかった。
全く日本国内で戦争が収まってから、僅か数年で外国に赴くことになるとは。
更にこんな形で赴くことになるとは。
始めて火縄銃を、更に、本来はエンフィールド銃と言われていたそうだが、前装式ライフル銃を扱った際の衝撃は、今でも思い出せる。
火縄銃の音とその威力だけでも驚くべきものだったが、前装式ライフル銃の威力はそれ以上だった。
皇軍から伝えられたメートル法に基づけば、理想的な状況に恵まれれば、前装式ライフル銃は900メートル離れた距離から射撃が可能なのだ。
勿論、射撃可能と言っても、人間の頭を狙って当てられるのか、というとほぼ無理だが、馬を狙って当てられるか、といえばまず当たるだろう。
部下の武田晴信少尉が、こんな兵器相手では騎馬隊は解散するしかないです、と肩を落として言ったのも無理はない。
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