第1章ー6
その言葉に応じ、その場に集っている大日本帝国陸海軍の将軍や提督は、自分達が掌握している部隊の詳細を述べ合い、知識を共有し合った。
そして、その詳細を認識し合うにつれ、どういった部隊がいるのか、徐々に判明しだした。
「つまり、あの時、1941年12月7日の夜から8日の朝に掛けて、南シナ海の海上にいた陸海軍の部隊がこの場にいる、と推定される訳ですか」
自らの頭を整理するためもあり、鈴木宗作中将が発言した。
「ええ、陸地にいた司令部、及び部隊とは全く連絡が着きません。それこそ、日本本土との連絡も同様です。更に言えば、潜水艦とも全く連絡が着きません。勿論、潜水艦は隠密性が第一であり、無闇に電波を発すること等、基本的にはあり得ませんが、このような異常、それこそ月齢が違う、という事態に陥っても、どの潜水艦も電波を一切、発信しないというのは極めて考えにくい。それから考えると、潜水艦もいない公算が極めて高い、と考えざるを得ません」
近藤信竹中将は、そう半ば断じた。
「ということは、潜水艦はいないものとして」
高橋伊望中将が、海軍の総兵力をまとめて、発言した。
(以下に、その概要を記す)
戦艦「金剛」、「榛名」
空母「龍驤」
重巡「鳥海」他、合計12隻
軽巡「川内」他、合計8隻
駆逐艦「綾波」他、合計42隻
他に工作艦「明石」等の特設艦艇、輸送船までも合わせれば、100隻以上の海軍艦艇がこの場、リンガエン沖合に集いつつあった。
陸軍の将軍達は、その兵力を聞いて、目を見張らざるを得なかった。
鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん、どころではない。
もし、16世紀半ば以前に、我々がいるのなら、世界征服さえ可能に思える艦隊戦力だ。
もっとも。
高橋中将が自嘲しながら、続けて言った言葉に、全員が頭を抱え込んだ。
「もっとも、これだけの大艦隊、燃料が無ければ、どうにもなりません。速やかに燃料を確保せねば。後1月もしない内に行動不能になります」
「確かにそうだな。となると燃料、原油を確保しない訳には行かないか」
ずっと沈黙を守っていた本間雅晴中将が言った。
続けて、山下中将が、陸軍の総兵力をまとめて、発言した。
主となる部隊は、近衛師団、第16師団、第18師団、第48師団、第65旅団といったところであり、それ以外に各種独立部隊が、このリンガエンに集おうとしていた。
「ということは、陸軍だけでも10万人を軽く超える訳ですな」
「ええ、第5師団が、この場にいれば、なお良かったのですが。生憎と、タイからの陸路進軍に充てられていたことからいません」
近藤中将の問いかけに、山下中将は答えながら想った。
もっとも、こうなったのは、自分の麾下にある師団長の発言のせいもあるがな。
武藤章、近衛師団長も、牟田口廉也、第18師団長も、お互いにマレー半島上陸作戦の先鋒の任務を他の師団に奪われたくない、という態度を堅持し、自分に対してどころか、参謀本部等に直訴までした結果。
第5師団長の松井太久郎中将が、半ば自発的にタイからの陸路進軍任務に当たることになったのだ。
こうしたことから、近衛師団と第18師団が、自分の麾下にいる。
共にいわゆるクセの強い指揮官であり、暴走に気を付けて、手綱を引き締める必要がありそうだ。
それはともかくとして。
「海軍の燃料の問題、更に、陸軍だけでも10万人を超える兵員を養わねばならない、という問題。それらを考え合わせれば、まずは我々の根拠地を確保し、その上で、日本本土に向かう必要があるのでは」
小沢治三郎中将が言い、その言葉に、この場にいる全ての将官が肯かざるを得なかった。
確かに、日本本土に向かったら、何もなかったでは、我々全員が危機に陥る。
史実では、近衛師団は陸路進軍しており、上陸作戦に参加していません。
また、師団長も武藤章中将ではありません。
そして、工作艦「明石」も、この場にいなかった筈です。
そんな感じで、話の都合もあり、史実の南方作戦の参加兵力とは微妙に違えています。
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