第36章ー2
そんな感じで水野信元は瀬名らに加担することを決めたのだが、これにはカリフォルニアの住民らの背景事情もあった。
カリフォルニアは最初期に日本が開発した植民地であり、外国からの大量の年季奉公人を受け入れることで発展した植民地ではなかった。
勿論、年季奉公人が全くいないわけではないが極少数であり、日本本国と同様に年季奉公人禁止法が適用されても大きな影響は無かったのである。
むしろ、日本本国と同様に白人や黒人といった欧州やアフリカから来た異人種に冷たい目を向ける者が、カリフォルニアでは多いのが現実であり、そういった異人種嫌いの面々(水野信元や瀬名らもその一人)からすれば、年季奉公人禁止法案はむしろ積極的に賛成すべき法案だったのだ。
だが、ロッキー山脈以東、更にはミシシッピ川以東といった北米大陸植民地の中東部やカリブ諸島では事情が全く違う話になってくる。
宇喜多忠家は、武田(上里)和子からの書簡を読み終えた後で絶望的な表情を浮かべながら呟いた。
「年季奉公人を全面禁止。特に外国からの年季奉公人受け入れは厳重に処罰する方向で、日本本国政府は考えている模様だと。北米植民地の事情を本国がそこまで分かっていないとは。我々に死ねと暗に言うようなものだ」
宇喜多忠家はミシシッピ川のほとりにまでたどり着いた後、法華宗不受不施派の面々や備前から自分達と共に来た面々と協力して、北米大陸中東部やカリブ諸島で農地の開拓を行っている。
そして、その農地の開拓には欧州やアフリカからの年季奉公人が大量に投入されていた。
そうなっていた背景事情だが、まず、日本人だけでは農地の開拓が追い付かないという現実があった。
日本人が大量に押し寄せ、更に欧州やアフリカからの年季奉公人の群れまで押し寄せてくるという北米大陸の現実は、北米大陸の原住民の間に様々な疫病の大流行をも結果的にもたらしており、多くの原住民社会の崩壊をも引き起こしていた。
こうした現実が、この際にそれによって広大な土地を獲得して、原住民を無視して大規模な農地を開拓しようという現地の日本人の動きを引き起こしていた。
勿論、原住民社会が崩壊したからと言って、原住民が絶滅等したわけではない。
疫病等から生き延びたものの結果的に土地を奪われた原住民の多くが、それこそ生き残った者が身を寄せ集めた上で、日本人への抵抗活動を行った。
表面上は日本人の支配下に入った者が、そういった抵抗活動を行う者と様々な方法で共闘することも多発しており、それによって抵抗活動を行う者は、日本人が装備している優秀な銃を始めとする武器を入手して、日本人と戦うことも稀どころではなかった。
だが、こうした抵抗活動が却って、日本人の間で欧州やアフリカからの年季奉公人を大量に投入してでも北米大陸の農地の開拓等を進めようという動きになっているのも現実だった。
懸命に努力して得たモノを惜しい、更にそのために血まで流しては、それを何としても手放したくない、と考えるのは人間の性である。
北米における原住民の抵抗活動は、却って日本人の入植者達からはそれこそ欧州やアフリカからの年季奉公人を大量に投入してでも、何としても自分達の農地を拡大しようという意思を結果的に強める結果を招いてしまった。
更に厄介なのは北米大陸の中東部における日本人の間に、原住民とは分離して暮らす、居留地を作るという発想が基本的に無かったことだった。
むしろ現地の日本人と社会が崩壊した後の原住民との通婚等が稀ではなく、こうしたことも年季奉公人を大量に投入してでも北米全てを我々のモノ、植民地化しようとする北米大陸における日本人の動きを強めていたのだ。
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