第35章ー12
官位の件はともかくとして、と武田義信は更に考えを進めた。
年季奉公人禁止法案についてはどうだろうか。
日本本国内では、外国から来る年季奉公人のために働く場所が奪われる、賃金が低いままになっている、という不満の声が徐々に高まっているらしい。
実際のところ、日本本国内ではそんなに外国から来る年季奉公人が多いとはいえない筈で、どちらかといえば外国人嫌い、排外主義から来ている主張のように思えるが、日本国内で国会選挙が行われ、それによって年季奉公人禁止法案を最大の公約にしていた織田信長が率いる労農党が衆議院の第一党になり、更に織田信長が日本初の内閣総理大臣になったというのが現実だ。
更に妻の美子を早速、南北米大陸の慰撫のために織田信長が送り込んできた、というのが自分にも確かに引っ掛かる。
本来から言えば、そう気軽に日本本国から北米植民地へ等に旅行に出られるものではない。
何しろ時間に加えて金額も大変にかかる代物なのだ。
それこそ三等船客として赴くのならともかく、当然に家格(何しろ従三位で前尚侍に九条家当主の正室までいる面々)から一等船客として上里家5人でこのような家族旅行をするとなると、それこそ普通の家なら一年分以上の年収が軽くかかる旅行になる。
それなのにわざわざ家族旅行をする程の理由となると、確かに裏があってもおかしくない。
妻の和子が言うように、南北米大陸を始めとする植民地を油断させるということを考えて、この家族旅行が行われた可能性は本当にないだろうか。
何しろ日本の国会議員になれるのは、日本本国の者だけなのだ。
植民地からの声はまともに届くとはとても言い難い。
それに国会の法律は当然に日本の領土内である以上は植民地にまで及んで当然の話なのだ。
それなのにわざわざ家族旅行をしてまで、密かに伝えるとなると。
更に考えるならば、織田信長が優れた政治(活動)家なのは間違いないのだが。
その一方で、織田(上里)美子には裏の顔があり、実はかなりの智謀の持ち主、策謀家なのではないか、という根強い噂が陰であるのだ。
何しろ本来から言えば日本人の血が一滴も流れていない身なのに、清華家の中でも家格の高い三条家の当主代行になり、従三位尚侍にまで叙せられていた。
経歴にしても華麗なもので、オスマン帝国に二度も外交団の一員として赴いている。
一度目は単なる通訳の筈だが、二度目は外交団の副使に抜擢されており、その時に至ってはバルバリ海賊との交渉を近衛太政大臣が外れていたのに、女性の身でイスラム教徒のバルバリ海賊との交渉をまとめてしまう剛腕ぶりを示している。
また、罷免されたとはいえ、今でも今上陛下の最側近の一人であり、義妹の上里敬子は本来ならば九条家の側室にしかなれないのに正室にまでなったのは、美子の義妹だったからだ、又、織田信長が内閣総理大臣になれたのは美子の尽力があったからだ、という噂等が流れてくる。
しかも、敬子の結婚の際には日本本国ではなく琉球王国を巻き込むことで、事実上の勅許を得ることで公家社会からの反発を封じるという凄腕を美子は発揮しているとも聞く。
今回の家族旅行に際しても、瀬名と密談を交わすようなことを美子はしている。
松平元康と瀬名の不仲は公然たるものといってよいから、この不仲を活用して松平家にくさびを打ち込んでおこうと、織田信長夫妻が考えて動いたというのも十分にあり得る。
義信は考えれば考える程、妻の和子が話したというのもあるのだが、本当に悪い方向で考え、様々に邪推の目で見てしまうことになった。
「和子」
「はい」
「万が一に備えた準備をしよう」
「分かりました」
義信は終に和子に同心することを決断した。
ご感想等をお待ちしています。
(尚、実際に織田(上里)美子が超一流の政治的策謀家かというと、私の脳内では単に精一杯に自らのできることをやり続けただけで、全く政治的策謀家とは程遠い存在です。
でも、作中の描写を読み返してみると、武田義信がそう邪推して当然な程の政治的策謀家になっている気が。
本当に作者の私の筆の暴走に恥じ入ります)




