第35章ー4
もっとも織田(上里)美子がそんな態度を取ったのは、異父妹の和子との再会が余りにも気が重く、少しでもその再会から目をそらしたかったというのもある。
敬子や里子は異母姉の武田(上里)和子のことを直接は覚えていない(里子に至っては、和子が北米に赴いた後に産まれている)ので、和子と会うのを単純に楽しみにしている。
美子からすれば養母、敬子や里子にすれば実母の愛子も、手紙のやり取りはあっても20年近く直に逢えていない養女の和子との再会を単純に楽しみにしている。
(これは美子と上里松一が、今回の家族旅行の裏を愛子らに完全に伏せたことから起きていた。
美子も松一も、裏を愛子らに話しては更に話がこじれかねないと危惧したのだ)
だが、美子はかつて日本の北米植民地の私設海軍とバルバリ海賊が衝突した際に、その尻拭いに結果的に奔走させられている。
その衝突を使嗾した黒幕が後で和子であることを美子は知り、美子は怒りをできる限り抑えて、そういったことをするなと諫める手紙を送ったのだが、和子からはバルバリ海賊が悪いと責任転嫁する有様で、自分のしたことが全く悪いと考えていない手紙が返ってきたのだ。
これはいけない、と美子は考えてそれからは最低2月に1回は手紙のやり取りを和子とするように、自身は心がけたのだが、本来は日本人ではないのに高位高官(美子は従三位尚侍の地位に既にあった)に上がった異父姉が何を言うのか、という感情を和子は抱いているような手紙を自分に送ってくるような有様で、美子としては頭がずっと痛かったのだ。
そして、今回の家族旅行で、久々に美子と和子は再会するのである。
余程、上手く和子に年季奉公人禁止法案のことを伝えないと、和子やその周辺が激発するのでは、と美子は危惧しており、松一も同様に考えている。
だが、自分の夫の織田信長は、そういった点について楽観視していて、自分の話をどこまで真剣に受け止めてくれただろうか。
美子はそこまで考えた末、次善の策を講じることにした。
下手をすると大いに話がこじれかねないが、和子やその周辺が本気で謀叛、独立戦争等を起こすつもりならば、それなりに対応策を予め講じておくのが、自分の立場として当然だ。
あくまでも私の独断で全て行うことにし、養父にも黙っておこう。
美子はそこまで考えを進めた。
さて、そんな風に長姉の美子が思い詰めながら、太平洋を航海しているのを、三女(?)の智子は全く知らずに父の松一からの連絡を受けて、家族との再会を楽しみに北米に向かうことになった。
智子の場合は、まずはブラジルからコロンへ向かう貨客船に乗り、更にコロンからパナマへと地峡鉄道で移動し、パナマから貨客船で北米へと向かうことになる。
そして、この際に智子は長子の政宗を同伴し、美子や松一に政宗のことを直に頼むことにした。
又、道中の安全も顧慮した末、智子と政宗には片倉喜多と片倉小十郎、鬼庭綱元の3人が同伴することになった。
智子としては3人も同伴しなくともと考えたが、夫の輝宗がそうするように勧めたのだ。
更に言えば、そこまでするのならば貴方(輝宗)も来ればいいのに、と智子が言ったところ、夫の輝宗は、親子や姉妹の再会の場に水を差すようなことはしたくないから、と言って留守を選んだのだ。
こうしたことから智子は5人で北米への旅をすることになった。
もっとも智子らの北米への旅路自体は極めて順調に実際は進んだ。
好天に恵まれ、旅の途中は主に貨客船での旅となったが、誰も船酔いで苦しむことは無く、パナマ地峡鉄道の旅も極めて快適で、政宗が初めての遠出の旅行なので、はしゃぎすぎるのが最大の問題点という有様で北米に到着した。
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