第33章ー8
だが、(松平元康や武田義信らにしてみれば)時の流れは急速に流れており、日本本国内部では外国からの年季奉公人について、その受け入れを法律で禁止する方向になりつつあったのだ。
更にそれを日本の植民地にも、日本本国政府は押し付けようとしているように、松平元康や武田義信らには見えてならなかった。
勿論、日本本国政府としては、それこそオーストラリア等の現状もあり、いきなり外国からの年季奉公人について、日本本国内はともかくとして日本の植民地にまで全面禁止しようとまでは考えていない。
だが、オーストラリア等や中南米大陸の日本の植民地はともかくとして、北米大陸等の日本の植民地においては、日本本国政府の言葉が素直に信じられるか、というとこれまでに積もり積もった小さな行き違いの結果、素直に信じられないという声が、密やかに広まっているという現実があったのだ。
そして、年季奉公人制度が現在の北米植民地で禁止された場合となると。
北米植民地の急激な成長が止まり、又、大西洋における人と物の膨大な流れ、貿易が大げさに言えば止まる事態さえも懸念されていた。
少なからず話がずれるが、この当時の北米大陸において問題になっていたのが、様々な疫病が原住民の間で間欠的に大流行していることだった。
日本や欧州、更にアフリカから麻疹に天然痘、ペスト、黄熱病等々、様々な疫病が北米大陸に流入し、多くの原住民の命を奪っていた。
推計によらざるを得ないが、多くの推計がこういった疫病が、コロンブスの来航からこの1570年代までの間に多くの原住民の命を奪い、北米大陸の原住民の人口を半数以下にどう少なく見積もっても減らした、としている。
更にそれが現在進行中で起こっており、原住民人口の激減が続いていた。
(尚、中南米大陸でも似たような事態が起きてはいたが、そちらにはスペインやポルトガルが先行して植民地化を進めていたため、既に大きな影響が出た後だったのに対し、北米大陸では後発的に大きな影響が原住民の間で出てしまったのだ)
そこに押し寄せてきたのが、日本人だった。
人口が半数以下にまで減っていた原住民社会は極めて脆くなっており、日本人の波の前に急速に同化を進めていった、というか進めざるを得なかった。
そして、それに追い打ちを掛けるように欧州やアフリカから人が集いだしたのだ。
これまで原住民のみが住んでいた土地は、日本人社会と原住民が同化する流れによって、多くが結果的に日本人の土地となり、そこで欧州やアフリカからの年季奉公人が働く事態が生じていた。
そして、年季が明けた暁には、その年季奉公人がそのまま熟練した小作人として大農場で働くようになること等が想定される事態が起こるようになっていた。
つまり、北米植民地側の観点からしてみれば、徐々に年季奉公人は必要悪どころか、植民地経営に不可欠な存在になっていたのだ。
原住民の人口減少は続いており、その穴埋めとして欧州やアフリカからの年季奉公人が来ることで北米植民地は発展を続けられている。
年季奉公人制度が道徳的によろしくない、と本国政府が言われるのなら、それなりの対策、更なる欧州やアフリカ移民を北米植民地が受け入れられるような対策を講じてほしい、というのが北米植民地上層部の考えだった。
だが、日本本国では移民排除の動きが始まっている。
北米大陸でも年季奉公人制度を禁止し、更に移民排除をも求めてくるのではないか、それこそ異端キリスト教の排除という大義名分もある。
北米植民地の上層部の間では、これまでの行き違いの結果として、日本本国政府からしてみれば疑心暗鬼になり過ぎの考えさえも、徐々に生まれつつあったのだ。
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