第33章ー6
とはいえ、年季奉公人等として自らを売っても、買ってくれる相手となると日本人しかいない、というのがこの頃の欧州の現実となりつつあった。
欧州の深刻なデフレ不況は、それこそ欧州諸国同士の戦乱や一部の欧州国内の内戦を小規模化させる程であり、そのためにこの当時の欧州で名声を博していたスイス傭兵やランツクネヒトに対してさえも、給料不払いによって引き起こされる大規模な解雇を引き起こし、失業した大量の傭兵がそのままに盗賊に転職する事態を引き起こす程になっていた。
また、日本からの安価な織物の大量輸出によって、失職した織物職人等も失業者として溢れる事態が欧州内部では起きていた。
このような状況に欧州が陥っていては、自らが食うための手段として自らを売ろうとしても、欧州内部では買い手がつかず、結果的に日本人に、具体的には北米植民地に自らを売るしかないという事態が欧州では多発したのだ。
中には治安対策も兼ねて、そういった失業者や元傭兵を集めては、彼らを日本の北米植民地へと売って国家財政の増収を図る国さえも欧州内で複数が現れる有様だった。
更にそれに加えて、この頃の欧州内で宗教、宗派による対立からくる迫害、ユダヤ教徒や新旧両教徒同士等の迫害も、この不況を背景に深刻になっていた。
(それこそ、史実の1930年前後の世界大恐慌のドイツ等でどのような事態が起きたか、を考えれば、大体の推察が付くと思われます)
こうしたことから、欧州内で迫害を受けたユダヤ教徒は主にエジプトへと脱出し、又、同様に欧州内のプロテスタント、特にカルヴァン派の信徒がカトリック等からの迫害を逃れようと北米植民地への脱出を図る事態が多発していたのだ。
とはいえ、こういったカルヴァン派の信徒等が欧州から北米植民地へ向かうだけでも、それなりの資金が必要になるし、単に彼らが北米植民地に赴いただけでは、赴いた先で食べていけるだけの仕事があるかも不明になる。
だが、年季奉公人として自らを日本人に売れば、日本の北米植民地への渡航費は日本人が持ってくれるし、北米植民地での就職先もそれこそ粗末な代物とはいえど衣食住が付いた(低賃金の)仕事を当面は斡旋してくれるのだ。
こうした(多少の尾ひれがついてはいる)現実が、噂によって広まるにつれ、欧州内の特にカルヴァン派の信徒の間では、日本の北米植民地を年季奉公人として目指す例が多発しだした。
そして、日本の北米植民地側も、こういった欧州やアフリカの動きを歓迎した。
ともかく人手が少しでも欲しいのに、日本人の移民が来ないという現実が日本の北米植民地にはあり、そうした中で格安の労働者が年季奉公人という形で、欧州やアフリカから来てくれるのだ。
(更に欧州から日本の北米植民地へと赴いてくるカルヴァン派の信徒は、勤労からそれによる蓄財を善とする教えを信じており、そういったことから、当時の日本人と考えが似通うところがあった)
更に宗教上の迫害を受けた被害者や日々の生活の困窮者を、北米植民地で雇うことで援助しているという道徳上の言い訳も、北米植民地の指導者層が出来なくはなかった。
そうしたことから、少しでも効率的に年季奉公人を運んで、表向きは日々の困窮者や宗教上の迫害を受けた被害者を救うために、イングランド等に旧式の機帆船ならば売っても良いではないか、という考えが松平元康や武田義信らといった北米植民地の上層部に行き渡るようにもなってしまった。
だが、機帆船の売買は流石に国禁に関わることだという反対論も根強く、そういった考えを実施に移すことは、1574年現在の日本の北米植民地内では浮かんでは消え、を繰り返す有様だったのだ。
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