第30章ー8
えっ、と考えられそうですが。
この辺りの描写は、米国独立戦争時の英本土と北米植民地の対比が少なからず入っています。
現代では、北米植民地への英本土の不当な課税が米国独立戦争を誘発した、というのが通説のようですが、当時では英本土では北米植民地はキチンと税金払え、という意見が圧倒的多数で、北米植民地は何を甘えている、植民地が自分から税金を払うと言って当然だ、という考えだったとか。
そんな感じで、本土と植民地で意識がズレるというのはあり得ることなのです。
「甘え」と書いた。
変な話に聞こえるかもしれないが、人が不満を持つ一因になるのに、自分が不当に処遇されていると感じるということがある。
だが、実際には他人、周囲から見れば十分な処遇を受けているのに、自分では不当な処遇を受けていると感じる、「甘え」ている人も多々いる。
これは自己評価が高い人に多く見られることだが、そういった中で、時として下手に有力者に縁があるのだから、自分達は優遇されるのは当然だと考える人もいる。
今の北アメリカ大陸の指導層は、そういった考えが珍しくなかったのだ。
実際、「甘え」を感じてもおかしくない面々が揃っていた。
まず、武田(上里)和子である。
和子の異父姉は織田(上里)美子であり、清華家の三条家の養女に迎えられたこと等から三条家の当主代行の地位を務めており、従三位尚侍に加えて貴族院議員でもある。
更にその夫の織田信長も、(苦戦したが)衆議院議員に当選しており、衆議院第一党の労農党の党首も務めているし、大日本帝国全労連の議長も務めている。
和子の異母妹になる九条(上里)敬子は、二条晴良太政大臣の実子であって摂家の一つの九条家の次期当主である九条兼孝の正室に収まっている。
更に和子自身も、猶子ではあるが、羽林家出身で従三位中納言を務めた庭田重親の孫娘にして本願寺顕如の姉という存在である。
そういった様々な縁だけから言っても、五位どころか四位の官位を与えられても、和子はおかしくない立場にあった。
更に和子は、夫の武田義信や松平元康らと共に北米大陸の開拓やカリブ諸島の確保に奮闘している。
そうした功績を考え合わせれば、尚更、自分は官位を持ってもおかしくない、と和子が考えるのも当然と言えないことも無かった。
また、松平元康にしても長男の信康の嫁に信長夫妻の長女の徳子を迎えており、それなりの縁ができている。
だが、そういった考えを和子らが持つのは、日本本土にいる面々、更に美子や敬子から見ても和子らの「甘え」に他ならなかった。
和子は、それこそ日本政府の制止を度々振り切って、夫や松平元康らと暴走を繰り返している。
対スペイン戦争勃発時の民兵の大規模募集に始まり、カリブ諸島侵攻作戦にしても当時の近衛前久太政大臣が前向きだったから認められたようなもので、日本政府上層部の多くが顔をしかめる話だったのだ。
果ては、日本政府が止めたにも関わらずのジブラルタル攻略であり、アルジェへの攻撃行為である。
ジブラルタルやアルジェの一件については、当時、オスマン帝国との交渉に赴いていた美子や近衛太政大臣までが駆り出される大騒動に成ったのだ。
特に最後の一件に至っては、和子らが厳罰に処せられても当然の話だった。
それが厳罰にまで至っていないのは、実際問題として和子らに厳罰を与えるとなると、一生懸命に北米大陸等の開拓に当たってきた日系住民達が怒って武装蜂起を起こしかねない、そうなったら大規模な内戦になりかねないという懸念が日本政府上層部内にあるからだった。
こうしたことから、和子らはきつく咎められるだけで済んでいるのだが、和子らにしてみれば、これだけの大功績を挙げているのだから、何れは官位等の沙汰があって当然だと「甘え」ていたのだ。
更に言えば、そういった実情について、日本本土と北アメリカ大陸、それぞれの住民の間には認識について大きなズレが生じつつあった。
日本本土の住民の多くの間では、北アメリカ大陸等の植民地の住民への日本政府の態度が甘すぎる、という声が徐々に増えていた。
逆に北アメリカ大陸等の植民地の住民の間では、日本(本土)政府の態度は、我々に対して冷たすぎるという声が徐々に上がりつつあったのだ。
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